第2話 雨

天宮あまみや! あなた、一体今まで何をしていたのよ!!」



 職場中に響き渡る女上司の怒鳴り声。


 後輩を含めた周囲の社員たちが、その声を聞いて「またか」とでも言いたげに呆れる中、ランチから戻って早々に呼び出された私は、とりあえず申し訳なさそうな顔を作って上司の前に立った。


 言っておくけど、私はまだ何もやらかしていない。


 だって午前中は、取引先ときちんと打ち合わせをしていたのだから。



「何って、打ち合わせが終わって、そのままランチに行ったのですが……課長、何かありましたか?」

「『何かありましたか?』じゃないわよ! あなた、午後から取引先との打ち合わせが入っているのよ!」

「はい!?」



 午後から取引先との打ち合わせ!?


 そんな話、聞いていないのですが!?



「あの、課長。その件でしたら、昨日、午前中に変更があって、先ほど行いましたが……」

「違うわよ! それとは別の取引先との打ち合わせ!」

「え?」



 今日の打ち合わせは一件だけだったはず。


 そのために連日残業までして準備してきたのだから。


 そう思いながら、上司に一言断って社内メールを確認したが、取引先からの連絡は届いていなかった。



「課長、確認しましたが、打ち合わせに関するメールは届いていません」

 


 すると上司は、心底うんざりしたようにため息をつく。



「あなた、戻ってすぐ社内メールを確認しないなんて、社会人としてどうかと思うけど……」



 いや、その前にあなたが私を呼び出したんじゃありませんか。



「あなたが呑気に取引先と打ち合わせしている時、先方から打ち合わせの電話が来たのよ」

「……ちなみに、その取引先ってどこですか?」

「はぁぁ……それすら把握してないなんて。まぁいいわ、ここよ」



 そう言って上司は、自分が作ったであろう打ち合わせ資料を机の上に投げ出した。


 そこに書かれていたのは、つい先日、無理やり私に押し付けた取引先の名前。


 ……待って。この流れ、どこかで見覚えがある。



「あなたがいなかったから、私が代わりに返事をして、ついでに資料も作ってあげたわ」



 『作ってあげたわ』じゃない!


 どうして、そんな重要なことを担当の私に伝えないのですか!


 というか、勝手に返事をしないでくださいよ!


 そのせいで私は、昨日まで残業して今日の打ち合わせ用資料を必死に作っていたんですけど!?



「何? 文句でもあるの?」

「い、いえ……」



 上司から睨まれ、思わず口を閉ざす。


 この上司、怒ると本当に怖いんだよね。



「ともかく! 取引先との打ち合わせが終わったら、即会社に報告するのが社会人としての常識でしょ! それを怠ったせいで、私があなたの分の仕事をする羽目になったのよ!」

「……一応、社内チャットでは報告したのですが」

「言い訳しない!!!」



 いや、言い訳じゃないんですけど。


 これ以上話しても無駄だと悟った私は、さっさと仕事モードに切り替えることにした。



「ちなみに、打ち合わせは何時からですか?」

「14時からよ」



 って、あと一時間しかないじゃない!


 その時、まるでタイミングを見計らったかのように、外で激しい雨が降り始めた。


 正直、この中で取引先に向かうのはかなり嫌だ。



「念のため伺いますが、今回の打ち合わせは先方から急ぎの案件でしょうか?」



 この取引先の担当者は話が分かる人だ。


 事情を説明すれば、日程を調整してくれる可能性は高い。


 決して、土砂降りの中を移動したくないわけでは……ない。多分。



「急ぎとは聞いていないけど……こういうのは、早い方がいいに決まってるでしょ!」



 つまり、上司の独断で“急ぎ”になったということか。


 一応、仕事ができると社内で評判の人だけど……本当にそうなのだろうか。



「ほら、ぼさっとしないで、さっさと行く!」

「わ、分かりました!」



 とりあえず会社を出たら、先方に電話で確認して、タクシーを捕まえないと。


 はぁ……本当に、この土砂降り中、行きたくない。



「先輩、僕も一緒に――」

「あぁ、空崎そらさき君は行かなくていいわ。今回は天宮指名だから」

「……分かりました、課長」



 ありがとう、後輩君。


 その気遣いだけは、ありがたく受け取っておくよ。



「……そういえば、後輩君は上司のお気に入りだったわね」



 一応、社内チャットで後輩君に打ち合わせで出た意見を纏めるようお願いしようっと。


 もちろん、無理のない範囲で。


 土砂降りの雨の中、会社を出た私は深いため息と一緒に愚痴をこぼしつつ、先方に電話で確認を入れ、慌ててタクシーに乗り込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る