第7話 蓮の正体と真実


1

彰が消えて一週間後。

「今夜、来てほしい場所がある」

蓮が真由に言った。

「どこへ?」

「僕の部屋」

真由は驚いた。

蓮の部屋――それは、この一連の出来事の中で一度も行ったことがない場所だった。

「あなたの……本当の部屋?」

「ええ。あなたに、見せたいものがある」

蓮の目には、いつもとは違う何かが宿っていた。

決意、あるいは――覚悟。

2

その夜、蓮が指定したのは都心の高層マンションだった。

エレベーターで38階まで上がる。

ドアが開くと、そこには驚くほど豪華な空間が広がっていた。

「これが……あなたの部屋?」

真由は息を呑んだ。

床から天井まで続く窓から、東京の夜景が一望できる。

高級家具、美術品、そして――。

壁一面の、写真。

真由が近づくと、それは全て彰の写真だった。

子供の頃の彰。

学生時代の彰。

社会人になった彰。

そして――。

真由との結婚式の写真。

「これは……」

真由の声が震えた。

「なぜ、こんなに……」

「座ってください」

蓮がソファを勧めた。

「全てを、話します」

3

蓮はワインを二つのグラスに注いだ。

そして、真由の向かいに座った。

「真由さん。僕の本当の名前は、神谷蓮です」

「神谷……?」

真由の心臓が跳ねた。

「ええ。彰さんと、同じ苗字です」

蓮は窓の外を見つめた。

「僕の母は、30年前、ある男性の愛人でした」

蓮の声が、遠くなる。

「その男性には、既に妻と息子がいました。正妻の子――それが、神谷彰です」

真由は、言葉を失った。

「母が僕を妊娠したと告げた時、彼は母を捨てました」

蓮の拳が、震えた。

「『既に家庭がある。君のような女との子供など、認められない』――彼はそう言って、母に100万円を渡して去っていきました」

「それで……」

「母は、僕を一人で育てました」

蓮は立ち上がり、棚から一枚の古い写真を取り出した。

それは、若い女性が赤ん坊を抱いている写真だった。

「狭いアパートで。いくつもの仕事を掛け持ちして」

蓮の指が、写真を撫でた。

「母は、僕が15歳の時に過労で倒れて、そのまま――」

蓮は写真を棚に戻した。

「一方、彰さんは何不自由なく育ちました。裕福な家庭で。父親の愛情を受けて」

蓮が真由を見た。

その目には、冷たい炎が燃えていた。

「僕と全く同じ顔をした、異母弟として」

4

「いつから……彰のことを知っていたの?」

真由が震える声で聞いた。

「母が死ぬ前に、全てを話してくれました」

蓮はワインを一口飲んだ。

「父親の名前。そして、異母弟の存在」

「それで……」

「ええ。僕は彰さんを探しました」

蓮はスマートフォンを取り出し、真由に見せた。

そこには、彰のSNSのスクリーンショットが大量に保存されていた。

「10年間、僕は彼を観察し続けました」

写真をスクロールしていく。

彰の日常、仕事、友人――そして。

真由との結婚式の写真。

「この写真を見た時――」

蓮の指が、画面の中の真由に触れた。

「僕の計画が、変わりました」

「計画……?」

「最初は、ただ彼から全てを奪う復讐を考えていました」

蓮が真由の目を見つめた。

「でも、あなたを見た時、僕は思ったんです」

蓮が真由の頬に手を伸ばした。

「彼から奪うべきは、地位や財産じゃない。あなただ、と」

真由の体が震えた。

「だから、俳優派遣事務所を作りました」

蓮は立ち上がった。

「あなたが彼の不倫を知った時、必ず復讐を求めるだろうと分かっていました」

「全部……仕組んだの?」

「ええ」

蓮は認めた。

「あなたが『替え玉』を検索するように。あなたが僕を見つけるように。全てを」

真由は立ち上がった。

「じゃあ……私は……」

「操られていました」

蓮が真由の肩を掴んだ。

「でも、途中で気づいたんです」

蓮の声が震えた。

「復讐なんて、どうでもよくなった。ただ、あなたが欲しかった」

5

真由は蓮の手を振り払った。

「私は……あなたの復讐の道具だったの?」

「最初は、そうでした」

蓮は正直に答えた。

「でも、今は違います」

「信じられない……」

真由の目から、涙が溢れた。

「私は……利用されていただけ……」

真由は窓際に歩いていった。

眼下には、無数の光が瞬いている。

どこかで、人々が普通の生活を送っている。

でも、私の人生は――。

「真由さん」

蓮が背後から真由を抱きしめた。

「憎んでください。僕を」

「憎めないわよ……」

真由が呟いた。

「だって……」

真由は蓮の腕を掴んだ。

「あなたは私を利用したのね」

真由が振り返った。

涙で濡れた顔で、でも――笑っていた。

「でも、どうしてかしら」

真由が蓮の胸に顔を埋めた。

「彼に愛されていた時より、ずっと呼吸がしやすいの」

蓮の体が震えた。

「真由さん……」

「本物の愛なんて、最初からなかった」

真由が顔を上げた。

「彰は私を愛していなかった。あなたも、最初は復讐のために私を利用した」

真由が蓮の頬に触れた。

「でも、あなたは私を見てくれた。本当に、見てくれた」

「……」

「だから、いいの」

真由が微笑んだ。

「たとえ、嘘から始まった関係でも」

6

蓮は真由を強く抱きしめた。

「真由さん。僕は、あなたを幸せにできるか分かりません」

「分からなくていい」

真由が答えた。

「ただ、一緒にいて」

「一緒に……」

「ええ」

真由が蓮の目を見つめた。

「共犯者として。あなたは神谷彰として。私は、あなたの妻として」

蓮の目から、一筋の涙が零れた。

それは、真由が初めて見る、蓮の本当の涙だった。

「ありがとう」

蓮が囁いた。

「僕を、選んでくれて」

二人は、そのまま抱き合っていた。

窓の外では、東京の街が眠らずに輝いていた。

その光の中に、かつての神谷彰の姿はもうない。

ここにいるのは、新しい神谷彰と、その妻だけ。

7

ベッドの中で、真由が蓮に聞いた。

「ねえ、蓮」

「何?」

「本物なんて、どこにもいなかったのね」

蓮は真由の髪を撫でた。

「そうですね」

「私が愛したかったのは、彰じゃなかった」

真由が蓮を見上げた。

「私を本当に愛してくれる、誰か」

「たとえそれが、偽物でも?」

「ええ」

真由が蓮の唇にキスをした。

「偽物の方が、ずっと本物らしかったもの」

蓮は真由を抱き寄せた。

「真由さん。これからは――」

「これから?」

「僕たちが作るんです」

蓮が真由の目を見つめた。

「本物よりも本物らしい、偽物の人生を」

その言葉に、真由は微笑んだ。

「ええ、そうね」

真由が蓮の胸に顔を埋めた。

「偽物の夫と、裏切られた妻の――」

真由が目を閉じた。

「新しい人生を」

二人は、そのまま眠りに落ちていった。

外では、夜が明けようとしていた。

新しい一日の始まり。

神谷彰と真由の、偽りの、でも確かな――。

明日が、始まろうとしていた。

――第7話 了――

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