第5話 間違いなく、そのプラチナ・ペアシートは元カノを排除するための障壁だ。

 日曜日のショッピングモール。

 僕は静と映画デートに来ていた。


「楽しみですね、湊くん」

「うん。この映画、評判いいらしいからさ」


 静は清楚なワンピース姿で、僕の半歩後ろをついてくる。

 周囲の喧騒が嘘のように、彼女の周りだけ静謐(せいひつ)な空気が流れている気がした。


「あーっ! 湊くんじゃん! 奇遇~!」


 突然、背後から弾んだ声が聞こえた。

 振り返ると、派手なオフショルニットを着た梨花が、わざとらしいほど驚いた顔で立っていた。


「……梨花。なんでここに」

「え、買い物だけど? あ、もしかして映画? 何見るの? 『恋する惑星』? うっそ、私もそれ見ようと思ってたんだ!」


 嘘だ。

 彼女のバッグからは、明らかにアクション映画のパンフレットが覗いている。

 僕たちの予定をSNSか何かで特定し、先回りしていたに違いない。


「じゃあさ、一緒に見ようよ! 私、チケットまだ買ってないし!」


 梨花は強引に僕の腕に抱きついた。

 柔らかい感触と、あの甘い香水が押し寄せる。

 静の手前、振りほどこうとしたが、梨花は離れない。


「ねえ湊くん、ポップコーンはキャラメル味だよね? Lサイズ買って二人でシェアしよっか! 昔みたいにさ!」


 梨花はチラリと静を見た。

 『私は湊くんの好物を知ってるけど、貴女はどうなの?』という牽制だ。


 しかし、静は動じなかった。

 彼女はハンドバッグから、二枚のチケットを取り出した。


「ごめんなさい、天堂さん。私たち、もう席を取ってあるんです」


「は? じゃあ私がその隣の席買うから……」


「無理だと思います」


 静は涼しげに言った。


「『プラチナ・ペアシート』ですから」


「え……?」


 梨花が固まる。

 プラチナ・ペアシート。この映画館に数席しかない、完全個室仕様のVIP席だ。

 料金は通常の三倍。専用のラウンジがあり、一般席とは入り口すら分けられている。


「湊くんと二人きりで、誰にも邪魔されずに楽しみたかったので」


 静は微笑んだ。

 その笑顔は、「貧乏人は一般席へどうぞ」と言わんばかりの残酷な美しさを湛えていた。


「さあ、行きましょう湊くん。ラウンジで特製のハーブティーが出るそうです。……キャラメルポップコーンなんて糖質の塊、体に毒ですよ?」


 静は僕の手を引き、専用ゲートへと歩き出した。


「ちょ、ちょっと! 湊くん!?」


 取り残された梨花の声が遠ざかる。

 一般客の列に並ぶ彼女の姿が、どこか小さく、惨めに見えた。


 ◇


 上映中、僕は映画の内容が頭に入ってこなかった。

 広々としたソファ席。

 隣には静がいる。

 彼女はずっと僕の手を握り締めていた。


 スクリーンを見ているのではない。

 横顔に視線を感じる。

 彼女は暗闇の中で、映画よりも熱心に、僕の横顔を見つめ続けているのだ。


 ブブッ。

 ポケットの中でスマホが震えた。

 梨花からだろう。

『今どこ?』『終わったら合流しよう』というメッセージに違いない。


 確認しようと手を動かすと、静がその手を強く握り込んだ。


「……湊くん?」


 囁くような声。


「今は、私だけの時間ですよね?」


 暗がりで光る彼女の瞳が、爬虫類のように細められた気がした。

 僕は息を呑み、スマホから手を離した。


「……うん、ごめん」


「いいえ。分かってくれればいいんです」


 静は満足そうに微笑み、僕の肩に頭を預けた。

 甘いシャンプーの香り。

 でもそれは、梨花のような人工的な甘さではなく、どこか冷たくて清潔な、病院の廊下のような匂いだった。


 映画が終わるまで、僕は一度もスマホを見ることができなかった。

 遠く離れた一般席で、梨花が一人でポップコーンをヤケ食いしている姿を想像し、少しだけ胸が痛んだ。

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