第4話 いつの間にか、洗面所の歯ブラシは高機能なペアグッズに置換されている。

 その日の放課後。

 家に帰ると、またしても梨花が上がり込んでいた。


「おかえりー、湊くん!」


 ソファでくつろいでいた梨花が、パタパタと手を振る。

 慣れとは恐ろしいもので、僕も「不法侵入だぞ」と怒る気力すら失せ始めていた。


「……今日は何しに来たんだよ」


「んー? 顔見たかっただけ。あ、あとこれ!」


 梨花は洗面所を指差した。


「泊まりに来た時用に、歯ブラシ置いといたから! 可愛いピンク色のやつ!」


 見ると、洗面台のスタンドに、僕の青い歯ブラシと並んで、真新しいピンクの歯ブラシが立てられていた。

 まるで同棲カップルのような光景だ。


「勝手なことするなよ……静に見られたらどうするんだ」


「見せればいいじゃん。ここに『先客』がいるってことを分からせてやるの」


 梨花はニヤリと笑った。

 これが彼女なりのマーキングだ。

 物理的なモノを置くことで、僕の生活スペースにおける自分の領有権を主張しているのだ。


「絶対に使わないからな」


「はいはい。ま、気が向いたら使ってよ」


 梨花は満足げに帰っていった。

 僕はそのピンクの歯ブラシを見つめ、ため息をついた。

 捨てるのも角が立つし、とりあえず棚の奥に隠しておくことにした。


 ◇


 翌日。

 静が家に遊びに来た。

 彼女は「テスト勉強をしましょう」と言って、参考書とお菓子を持ってきてくれた。


「湊くん、洗面所お借りしますね」


 勉強の合間、静が席を立った。

 ドキリとした。

 隠したとはいえ、梨花の歯ブラシが見つかったらどうしよう。

 僕は気が気じゃなかったが、戻ってきた静はいつも通りの笑顔だった。


「お待たせしました。さあ、続きをやりましょう」


 何も言われなかった。

 僕は胸を撫で下ろした。やっぱり、棚の奥までは見なかったようだ。


 しかし。

 その夜、静が帰った後で、僕は違和感に気づいた。


 洗面所に行く。

 ない。

 棚の奥に隠しておいたはずの、梨花のピンクの歯ブラシがない。


 その代わりに。


 洗面台のスタンドには、最新式の高級電動歯ブラシが二本、仲良く並んでいた。

 一本はスタイリッシュな黒。

 もう一本は、清潔感のある白。


 黒い方の柄には、小さなテプラで『湊くん』。

 白い方には、『静』と貼られている。


「……え?」


 僕は呆然とした。

 いつの間に? 彼女が持っていた鞄に入っていたのか?

 いや、それよりも。

 なぜ「隠していたはずの歯ブラシ」が消えて、ペアの高級品に変わっているんだ?


 ブブッ。

 スマホに静からメッセージが届く。


『洗面所のブラシ、古くなっていたので変えておきました。歯周病は万病の元ですからね』


 続けて、もう一通。


『前の汚いブラシは、処分しておきました。……湊くんのお口に、雑菌が入ったら大変ですから』


 背筋があわ立つ。

 彼女は見ていたのだ。棚の奥に隠された、元カノの痕跡を。

 そして怒ることも問い詰めることもなく、「より高価で、より機能的なモノ」で上書きすることで、元カノの存在を消し去ったのだ。


 ウィィィン……。

 試しにスイッチを入れると、電動歯ブラシは力強く振動した。

 その振動は、僕の生活が彼女の「管理下」に置かれていく足音のようにも聞こえた。

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