第2話 ピッチの内側

 朝のクラブハウスは、まだ眠っている。


 清水エスティーロの門をくぐったとき、修斗は足を止めた。

 潮の匂いはしない。

 代わりに、芝と洗剤と、金属の匂いが混ざっている。


 受付を抜けると、壁一面に写真が並んでいた。

 昇格の瞬間、優勝カップ、歴代の10番。


 藤堂奏馬の写真は、中央にあった。


 視線が、そこに引き寄せられる。


「初めて?」


 声をかけてきたのは、同じジャージを着た男だった。

 修斗より少し背が高い。

 肩の力が抜けている。


「はい」


「そりゃ緊張するよな」


 男は笑った。


「間宮だ。お前は?」


「綾城、です」


「綾城……ああ、昨日の」


 それだけで、何を指しているのか分かった。


 ロッカールームに入ると、空気が変わった。

 言葉は少ない。

 だが、無言の確認が飛び交っている。


 誰が主力で、

 誰が控えで、

 誰が試されているのか。


 修斗は、最後の列に座った。


 スパイクを履く音が、床に響く。


 向かいのロッカーで、間宮がテーピングを巻いている。

 手つきが速い。

 迷いがない。


「お前、どこやってた?」


 間宮が顔を上げずに聞いた。


「……特には」


「ふーん」


 それ以上、聞かれなかった。


 ピッチに出ると、朝の光が芝に落ちていた。

 ラインは鮮明で、芝は短く刈り込まれている。


 さっきまで立っていた場所とは、別の世界だ。


 ウォーミングアップが始まる。


 修斗は、ボールを触らせてもらえなかった。

 パスは回ってくるが、選べる先はなかった。


 横。

 戻す。

 安全。


 間宮のプレーは違った。

 一つ先を選ぶ。

 縦を見て、無理ならすぐ切り替える。


 完成されている。


 藤堂奏馬が入ると、流れが変わった。


 ボールが集まる。

 無理に集めているわけではない。

 自然に、そうなる。


 修斗は、距離を取った。


 まだ、近づいてはいけない気がした。


「止めるな。流せ」


 低い声が、ピッチを切った。


 昨日の男だ。


 監督は、修斗を見ていた。


 パスが来る。

 一拍、遅れた。


 間宮が先に動いた。


「……今のだろ」


 監督の声が、修斗に向いた。


 修斗は、次の瞬間、足を出した。


 トラップはしない。

 角度だけを変える。


 ボールは、中盤と最終ラインの間へ。


 誰もいない。


 ――いや。


 藤堂奏馬が、そこに入ってきた。


 ワンタッチで前を向く。

 シュートは打たない。

 外に預ける。


 流れが続く。


 監督は、何も言わなかった。


 だが、間宮は見ていた。


 視線が、初めて交わる。


 敵意でも、敬意でもない。


 ただの確認。


 ピッチの中でしか出来ない会話だった。


 修斗は思った。


 ――ここには、サッカーがある。


 だが、

 居場所は、まだない。

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