第二話:揺らぐ私と、発明としての時間
星空の残像がまだ瞼の裏に残っている。
その光を思い出すたび、僕は“私”という輪郭について考え始める。
そして、思考の中に沈んでいくとき、語りは自然と「私」へと変わる。
私は、自分という存在の輪郭について考えるとき、いつも同じ地点に戻ってくる。
私は固定された存在ではない。
私は、固定された点として世界に置かれているわけではない。
むしろ、世界の中で揺れ続ける“反響”のようなものだと思っている。
湖に石を投げると、波紋が広がる。
その波紋は水面を揺らし、岸に触れ、また戻ってくる。
私もそれと同じだ。
世界に触れ、揺らぎ、また別の形で戻ってくる。
世界が私を動かすのではない。
外側の状況そのものが私を変えるのでもない。
変化が起こるのは、私が世界を再解釈する瞬間だ。
同じ出来事でも、昨日の私と今日の私は違う意味を受け取る。
だから私は、固定された主体ではなく、
世界との関係の中で絶えず形を変える“現象”として存在している。
世界は、まず感覚として現れる。
匂い、音、空気の質、光の揺れ、気配。
それらは言葉よりも早く、意味よりも深く、私の内側に届く。
ある朝、窓を開けたとき、空気の匂いが変わっていた。
雨の前の、あの独特の匂い。
「湿度が上がったから」「気圧が下がったから」と説明することはできる。
けれど、その説明は、あの匂いそのものではない。
世界は、説明される前に、すでに私の中に届いている。
理解は後から追いかけてくる影のようなものだ。
だから私は、世界を否定しない。
否定しないことは、理解とは違う。
ただ、世界の広さをそのまま受け取ろうとする態度のことだ。
言葉は、世界を切り分けるための鋭い刃ではなく、
感じたものを壊さずに包むための薄い膜だと思っている。
言葉は揺らぐ。
意味は変わる。
文化や歴史とともに、自然に形を変えていく。
それでも、言葉の輪郭を確かめることは大切だ。
あまりにも破綻すれば、互いに理解し合うことが難しくなるから。
定義は杭のようなものだ。
柔らかい地面に打たれた杭は、地面の動きを完全には止められない。
けれど、崩れすぎないように支えてくれる。
私は、言葉を固定するために使いたいのではない。
世界の揺らぎを壊さずに、そっと触れるために使いたい。
世界は多層的で、私はその深さの中に含まれている。
外側から観察する存在ではなく、
世界の密度の中に沈み込みながら揺らぎ続ける現象。
だから私は、固定された存在ではない。
世界と時間の中で、反響し続ける“私”であり続ける。
時間という発明
時間は、世界の側に最初から備わっていた性質ではない。
人間が、変化を整理するために導入した“発明”だと私は思っている。
世界には、本来「過去」も「未来」もない。
あるのは、ただ変化だけだ。
葉が落ち、風が吹き、光が揺れ、影が伸びる。
その連続を、人間は理解しやすいように区切り、
「時間」という一本の軸に並べた。
時間は、世界を測るための物差しではなく、
世界を理解するための“翻訳装置”に近い。
物理学は、時間を精密に扱う。
時計で測れる時間、光の速度と結びついた時間、
エントロピーの増大とともに進む時間。
それらは確かに世界の一部を説明している。
けれど、私が感じている時間は、
物理学の時間とは別の層にある。
記憶としての過去。
予期としての未来。
感覚としての現在。
それらはすべて、私の内側に存在している。
時間は、外側に流れているのではなく、
私の中で形を変えながら重なっている。
生は直線ではない。
始まりから終わりへと一方向に進むものではない。
生は、回る。
朝が来て、夜が来て、また朝が来る。
季節が巡り、葉が落ち、また芽吹く。
死んだものは土に還り、その土から新しい命が生まれる。
世界は螺旋を描いている。
同じ場所に戻ってくるようでいて、
少しずつ高さを変えながら進んでいく。
私もまた、その螺旋の中で揺らぎ続ける現象だ。
古い木の幹に触れたとき、
私は時間の重さを感じた。
その木が見てきた季節の数、
雨に打たれた回数、
風に揺れた瞬間の積み重ね。
その前に立つと、私は静かになる。
時間を重ねた存在には、言葉にできない尊厳がある。
人間は、時間を操作できる存在ではない。
ただ、その流れの中で揺らぎ、
変化を受け取り、
また別の形で世界に触れていく。
時間という発明は、
私たちが世界を理解するために必要だった。
けれど同時に、
時間は私たちを縛る枠組みにもなった。
「古い」「新しい」
「早い」「遅い」
「まだ」「もう」
それらの言葉は、
時間という発明が生み出した影だ。
私は、時間を否定したいわけではない。
ただ、時間の外側にある“変化そのもの”に触れたいと思っている。
世界は、時間に沿って流れているのではなく、
変化の密度として、ただそこにある。
そして私は、その変化の中で揺らぎ続ける現象である。
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