第11話 黒い声

私はこの人を2つの意味で知っている。


1つは外見。この人は、昼間カフェの前で女子生徒に囲まれていた『臆病王子』だ。だが、今やそのときの内気な印象は、今や微塵も感じられない。自信に溢れた理知的な微笑み。

眼光が鋭く、陰気な印象だった長い前髪や白く透けるような肌は、ミステリアスで知的な雰囲気を醸し出している。


もう1つは声だ。隣の席の、PCから聞こえる教師を嘲笑うかのように論破する黒い声。特別声を張っていないのによく通り、聞く人を魅了する声だ。



頭の整理が追いつかないでいると、賢は入口に近いところに鎮座している着ぐるみ、——亜衣に近寄ってしゃがみ込んだ。

「久しぶり、亜衣。いつもよくやってくれているね」

彼は自然な動作で、着ぐるみの頭を撫でる。亜衣は「…えへへ」とくすぐったそうに身じろいだ。


(何?このイケメン……、尊い……じゃなくて!本当にあの臆病王子と同一人物なの?)


「おっと、ごめんね」

賢は私の方に目を向けた。


「君が束原一乃さんだね。初めまして。正式にはね。こちらが本当の僕だと思ってもらえると嬉しい。自宅部の代表、不死原賢だ」

雰囲気だけでも、御影司と同等、いやそれ以上のカリスマ性だった。賢がいるだけで部屋の雰囲気がガラッと変わっていた。


「自宅部に興味を持ってくれたのに、対応が遅くなってすまない。だが、転校生ゆえ情報収集が追いついていなくてね。“プロファイル”が完成するまで、時間がかかってしまった。だが、こうして会ってみても分析どおりみたいでよかった。これでもう案ずることはない」

「……プロファイル?」

「そう、君の性格を分析したんだ。ただの心理学的なアプローチだよ。少し種明かしをしようか」

賢の声は低く、穏やかで、どこか余裕があった。


「まず、大夜に頼んで、君がプレイしている…と密葉が推理したゲームに関するSNSの書き込みを調べてもらった。すると、どうやらかなりやり込んでいる猛者がいるってことがわかってね」

「SNS……?」

確かに一乃は乙女ゲームに関して発言したり、好きな絵師にファンレターを送ったりするための『女神』のアカウントを持っている。しかし、オタバレを避けるため、本名や写真などは一切出していないはずだ。


「そう。最近の研究では、SNSのプロフィールや投稿内容、言葉の使い方からでも性格を予測できると言われている。だから、その猛者の投稿を収集し分析した。加えて、君の学校での情報も収集して、2つの性格プロファイルを照合した結果、同一人物であると結論づけるに至った。言葉の選び方、感情の表現、投稿する内容などからね。アカウント名や文体で他の人格をトレースしようとしても、本人の性格は簡単に隠せないものさ」

彼は理路整然と語る。その落ち着きと確信に満ちた口調に、一乃はただ言葉を失うしかなかった。



「それで、どうかな?」

紳士的な雰囲気が少しだけ変わる。



「もちろん、人の趣味を否定することはしない。だが、周りの目を極度に気にする君にとって、この趣味を周りに知られるのは嫌だろう?」

一乃に近づき、笑顔のまま見下ろすようにして続ける。女子たちが頬を赤らめて見入ってしまうような綺麗な笑顔だ。しかし、今の一乃には恐怖しかない。間違いない。この人が脅迫の主犯だ。


「悪いが、僕たち自宅部は僕たちなりの方法で、勉学に励み、能力を磨いている」

賢の声は、あくまで穏やかだった。口調に怒気はない。柔らかく、優しげですらある。けれど、だからこそ怖かった。


「こんな弱みを握るようなやり方はしたくないんだけどね。たびたび教師や生徒が訪ねてきて時間を取られるから、うんざりしているんだ。……脅迫が一番手っ取り早い方法だから、今回もそうさせてもらったんだ」

表情が一切変わらないまま、凍てつくような響きで言い放たれた。“脅迫”、“今回も”。その言葉に、背筋がぞわっとした。



「秘密をバラされたくなかったら、『自宅部の活動に今後一切介入しない』。そう約束してもらえないかな?」

黒い笑みを前にして思考が停止し、言葉が出なかった。


「まあ、僕たちにも慈悲はあるよ。それに僕個人としては、君に対して昼間の件で恩もあるしね。ただ、脅して帰ってもらうだけでは申し訳ない。そこで提案だ」

賢はあっさりと微笑む。彼は、少しだけ視線を横にずらす。


「亜衣、例のものを」

「……ん」

亜衣がもそもそと動き、着ぐるみの後ろから何かを取り出した。折れないように大切に持たれていた1枚の用紙。それを差し出された瞬間、一乃の目が釘付けになった。



「えぇぇ!!恭弥くぅん!!??」

テンションが爆発した。

紙に描かれていたのは、紛れもなく一乃の“推し”。セント・フレア学園恋愛譚のメイン攻略キャラの1人、神楽院恭弥。その完璧な横顔。憂いを帯びた瞳。光の加減を緻密に計算された丁寧な塗り。


「これ……線画が繊細すぎる……。髪の毛1本1本の流れが生きてて、厚塗りの肌のグラデーションが緻密すぎ…。え、うそ、公式絵じゃないよね?公式絵なら私が知らないわけない。でも神代燃え先生の癖を忠実にトレースしているし……。でもその中にも独自のアレンジがあって…。デジタルイラストだよね?…すごっ、色の深みが……」


誰よりもオタクとして鍛え抜かれた審美眼が、一瞬でプロの手による非公式グッズ、それも最高級品だと理解した。


「この重度のオタクぶりで、よく今までバレずに隠せていたものだな」

部屋の隅から画面越しの嫌味が聞こえたが、聞き流した。今はそんな場合じゃない。


「……亜衣はうちの部のイラストレーターなんだ」と賢が笑った。

「もちろんこの絵はこの世にたった1つ、今ここにしかない。素直に手を引いてくれるなら、プレゼントするよ?」

(は?脅迫に加えて、今度は買収!?)

でもこんなの、もらえたら泣く。マジで、永久保存版にして毎晩拝むやつ。でも、でも……!



『今後一切、介入しない』



その言葉が、頭の奥でこだました。

一乃のなかで、何かが引っかかっていた。タナトスの指示で動きはじめた自分。初めて踏み入れた自宅部の世界。目の前にいる、圧倒的に偏っていて、圧倒的な才能を持つ者たち。



この人たちを、本当にこのままにしておいていいの?

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