第7話
深夜2時。
都市の喧騒が眠りについた頃、九重蓮は学生寮を抜け出し、湾岸エリアにある廃工場地帯へと足を運んでいた。
潮風が錆びた鉄の匂いを運んでくる。
街灯もまばらな暗闇の中、蓮の手にあるガラケーの画面だけが、青白く点滅していた。
『ターゲット、座標固定。距離50メートル。倉庫内』
昼間、風紀委員室に来たあの気弱な男子生徒――スパイの信号は、ここで止まっている。
蓮は物陰に身を隠し、廃倉庫の割れた窓から中を覗き込んだ。
◇
倉庫の中には、二人の人影があった。
一人は、例のスパイの男子生徒。
もう一人は、黒いフードを目深に被った男だ。
「……こ、これでいいんですよね? 言われた通り、ウイルスを学内ネットワークに感染させました」
男子生徒が震える声で、報酬を求めて手を差し出す。
しかし、フードの男は冷淡に笑った。
「ああ、ご苦労だったな。おかげで一高のセキュリティホールの位置が特定できた」
「じゃ、じゃあ約束の金を! それに、僕を『ジェイルブレイク』の正規メンバーにしてくれるって……」
「金? メンバー?」
フードの男が、懐から拳銃のような形状の魔道具(キャスト・ガン)を取り出した。
「勘違いするなよ、学生風情が。お前はただの『捨て駒』だ」
「え……?」
「足がつくと面倒なんだよ。ここで消えてもらおうか」
男が引き金に指をかける。
銃口に魔力が収束し、殺意の光が灯る。
男子生徒が悲鳴を上げ、腰を抜かして後ずさる。
「ひ、ひぃっ! 助け……!」
絶体絶命の瞬間。
倉庫の外で見ていた蓮は、退屈そうにガラケーを開いた。
(……やれやれ。使い捨てにするなら、せめてリサイクル(記憶消去)くらいにしておけよ。殺すのはリソースの無駄だ)
蓮は、正義の味方ではない。
だが、自分の管理下にある「実験動物(スパイ)」を、他人に勝手に処分されるのは癪だった。
それに、あのフードの男からは情報を吐かせなければならない。
カチッ。
蓮の親指が、エンターキーを押した。
――環境制御システムへの侵入(ハック)。
――対象:倉庫内搬送クレーン。
ウィィィィン……!
突然、倉庫の天井付近でモーターの駆動音が響いた。
フードの男がギョッとして見上げる。
「あ? なんだ?」
次の瞬間。
天井に吊るされていた巨大な鉄骨が、何の前触れもなく落下した。
ドゴォォォォォン!!
凄まじい轟音と粉塵。
鉄骨は、フードの男と男子生徒の間にある地面に突き刺さり、両者を分断した。
「な、なんだ!? クレーンが故障したのか!?」
フードの男が咳き込みながら叫ぶ。
だが、攻撃は終わらない。
今度は倉庫内の照明が一斉に明滅し始めた。
バチッ、バチバチッ!
パァァァァン!
過電流により、水銀灯が次々と破裂する。
ガラスの雨が降り注ぎ、倉庫内は完全な闇に包まれた。
「誰だ! 誰かいるのか!」
男が闇に向かって魔道具を構える。
その時、彼の持っているスマートフォンから、機械合成された無機質な声が響いた。
『――警告。不正なアクセスを検知』
「なにっ!?」
「俺の端末が……勝手に喋って……!?」
男が慌ててスマホを見る。
画面が赤く染まり、カウントダウンが表示されている。
『バッテリー温度上昇。臨界点まで、あと3秒』
「は……? う、嘘だろ!?」
『3、2、1……』
「くそっ!」
男は反射的にスマホを放り投げた。
直後、空中でスマホがボンッ! と音を立てて小爆発を起こした。
リチウムイオンバッテリーを過負荷で熱暴走させる、物理的な破壊工作だ。
「俺の通信機が……! 貴様、姿を見せろ! どこの手の者だ!」
武器である魔道具と、通信手段であるスマホを同時に失った男が喚く。
その混乱を見透かしたように、暗闇の奥から、淡々とした声が響いた。
「……騒ぐな。近所迷惑だぞ」
コツ、コツ、と足音が近づいてくる。
非常灯の赤い光に照らされて浮かび上がったのは、時代遅れのガラケーを手にした、一人の学生だった。
「お、お前は……風紀委員の!」
へたり込んでいた男子生徒が、蓮を見て目を見開く。
蓮は彼を一瞥もせず、フードの男へと歩み寄る。
「テロリストさん。お宅のセキュリティ意識はどうなってるんだ? 公衆無線LAN(フリーワイファイ)経由で工作員の管理をするなよ。ポートが開けっ放しだぞ」
蓮は呆れたように肩をすくめた。
この倉庫の設備も、男のスマホも、すべてネットワークに繋がっていた。
IoT(モノのインターネット)化が進んだ現代において、凄腕のハッカーにとって「ハッキングできない物」など存在しない。
「き、貴様……何をした……!」
「何って。お前が持っていた『管理者権限』をもらっただけだ。ついでに、組織のメインサーバーへのパスワードも抜いておいた」
蓮がガラケーの画面を男に見せる。
そこには、男も知らないような極秘ファイル――『学園襲撃計画書』が表示されていた。
「な……ッ!?」
「実行日は明日、正午。ターゲットは一高のメイン電源設備。……随分と派手なことを計画してるじゃないか」
男の顔が恐怖に歪む。
目の前の少年は、魔法など使っていない。
ただ指先だけで、自分たちの計画を丸裸にし、武装解除させたのだ。
底知れない不気味さが、男を襲う。
「ば、化け物め……!」
「よく言われるよ」
男は隠し持っていたナイフを抜き、蓮に突進した。
物理攻撃。魔法が使えないなら、肉体言語だ。
だが。
「……非効率だ」
蓮はポケットから手を出さず、最小限の動きでナイフを躱した。
そして、すれ違いざまに男の足を引っ掛ける。
バランスを崩した男の顔面を、倉庫の床に転がっていた鉄パイプ(※蓮が先ほど、蹴って位置を調整しておいたもの)が直撃した。
ゴッ!!
鈍い音がして、男は白目を剥いて昏倒した。
「……さて」
蓮は気絶した男を放置し、震えている男子生徒の方を向いた。
「た、助けて……! 僕は脅されて……!」
「言い訳は風紀委員長(神宮寺)に言え。俺は裁判官じゃない」
蓮は冷たく言い放つと、男子生徒の胸ぐらを掴んで立たせた。
「だが、死なせはしない。……お前が死ぬと、俺の評価(管理能力)に関わるからな」
「う、うう……」
蓮はスマホを取り出し、神宮寺へ短いメッセージを送った。
『ゴミ掃除完了。回収求む。場所は――』
◇
翌朝。
国立高度魔法技術高校は、いつも通りの朝を迎えていた。
だが、水面下では緊張が高まっていた。
蓮が持ち帰った情報により、生徒会と風紀委員会は極秘裏に厳戒態勢を敷いていたのだ。
生徒会室。
会長の七瀬凛が、モニターに映る蓮に向かって不敵に微笑んだ。
『お手柄ね、九重くん。おかげで敵の狙いが分かったわ』
「……それで、どうするんですか? 休校にしますか?」
『まさか。敵が来るなら、歓迎パーティーを開いてあげなきゃ』
凛の目が肉食獣のように輝く。
『予定通り授業は行うわ。そして、侵入してきたネズミを一匹残らず駆除する。……前線の指揮はあなたに任せるわよ、技術顧問』
「……残業代、弾んでくださいよ」
蓮は通信を切ると、深いため息をついた。
教室の窓の外を見る。
雲ひとつない青空。
だが、その空の向こうでは、すでに学園のサーバーを狙う膨大なアクセス集中(DDoS攻撃)の前兆が始まっていた。
「お兄様、顔色が優れませんが……?」
隣の席の桜が心配そうに覗き込んでくる。
蓮は妹の頭をポンと撫でた。
「いや、なんでもない。……今日はスマホの充電、満タンにしておけよ」
「はい? もちろんですが」
正午まで、あと3時間。
魔力ゼロのエンジニアと、テロリスト集団との全面戦争が始まろうとしていた。
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