第4話 第二次接触、拒絶
神崎晋一郎がこの仕事に就いたのは、八年前のことだ。
当時、神崎は警察官だった。
三十四歳。
所轄の刑事課で、地道に事件を追う日々を送っていた。
魔物が初めて出現したのは、そんな頃だった。
最初の魔物災害で、神崎は同僚を三人失った。
拳銃は効かなかった。
パトカーで体当たりしても、弾き飛ばされた。
なすすべもなく、目の前で人が死んでいった。
あの無力感を、神崎は今でも覚えている。
そして、魔法少女が現れた。
十代の少女たちが、大人にできないことをやってのけた。
魔物を倒し、人々を守った。
希望だった。
救いだった。
同時に──絶望でもあった。
子どもに戦わせている。
大人が守るべき子どもたちに、命を懸けさせている。
その現実を、神崎は受け入れられなかった。
受け入れたくなかった。
だから、この仕事を選んだ。
特務対策室。
魔法少女の支援と保護を専門とする部署。
せめて、少女たちの傍で、できることをしたかった。
守れなかった分を、少しでも取り戻すために。
夜。
神崎は一人、オフィスに残っていた。
デスクには、桐生凛に関する資料が広げられている。
戸籍情報。
桐生凛、十五歳、父・誠一、母・美咲、ともに死亡。
現在の親権者は母方の叔母。
学校の記録。
■高校一年生、六月の災害以降、登校なし。
警察の捜索記録。
七月上旬、叔母宅から失踪、届出あり。
現在も行方不明扱い。
聞き取り記録。
叔母の証言。
『あの子は、ほとんど何も喋りませんでした。
食事もあまり取らず、部屋に閉じこもって……。
ぬいぐるみをずっと抱いていました。
汚れた、変な形のぬいぐるみを。
夜中に時々、窓から外を見ていたようです。
何を見ていたのかは、わかりません』
神崎は記録を閉じた。
何を見ていたのか。
決まっている。
魔物を、探していたのだ。
復讐の相手を。
コーヒーを淹れに給湯室へ向かう途中、神崎は廊下で一人の少女とすれ違った。
「──あ、神崎さん」
早月ひよりだった。
まだ帰っていなかったのか。
「こんな時間まで残っていたのか」
「はい。
報告書の整理を……」
「無理はするな。
明日も学校だろう、そっちを優先してくれ」
「大丈夫です。
あの、神崎さんこそ」
ひよりは少し言いづらそうに、神崎を見上げた。
「いつも遅くまでいますよね。
ちゃんと寝てますか?」
神崎は苦笑した。
十六歳の少女に心配されている。
情けない話だ。
「ああ、寝てる。
……少しだけな」
「少しだけじゃダメですよ」
ひよりは真面目な顔で言った。
「私たちを支えてくれる大人が倒れたら、困ります」
「…………」
神崎は、ひよりの顔を見た。
十六歳。
あどけなさの残る顔。
でも、目には覚悟がある。
怖いと言いながらも、逃げずに戦い続けている少女の目。
「早月」
「はい」
「君は、怖くないのか。
この仕事」
ひよりは少し考えてから、答えた。
「怖いです。
毎回、怖い。
魔物と戦うのも、怪我するのも、死ぬかもしれないのも」
「……そうか」
「でも」
ひよりは小さく微笑んだ。
「神崎さんたちがいるから、頑張れます。
なぎさもいるし、他のみんなもいるし。
一人じゃないから。
……だから、神崎さんも一人で抱え込まないでください」
神崎は、何も言えなかった。
子どもに励まされている。
守るべき相手に、支えられている。
不甲斐ない。
本当に、不甲斐ない。
でも──嬉しかった。
「……ありがとう」
神崎は、それだけ言った。
ひよりは「失礼します」と頭を下げて、去っていった。
給湯室でコーヒーを淹れながら、神崎は考えていた。
桐生凛。
あの子には、ひよりのような仲間がいない。
支えてくれる大人もいない。
一人で戦い、一人で傷つき、一人で立ち上がってきた。
三ヶ月以上も。
あの子が失踪を選んだのは、周囲を信じられなかったからだろう。
大人を信じられなかったからだろう。
無理もない。
両親が死んだあの日、助けは間に合わなかった。
魔法少女が駆けつけたのは、両親が死んだ後だった。
組織が、大人が、間に合わなかった。
だから、信じられない。
頼れない。
──自分でやるしかない。
十五歳の少女が、そう思い詰めるほどの絶望を味わった。
神崎は拳を握った。
信じられなくて当然だ。
頼れなくて当然だ。
俺たち大人は、あの子を守れなかった。
でも。
だからこそ。
今度は、守らなければならない。
信じてもらえなくても、手を差し伸べ続けなければならない。
それが大人の仕事だ。
それが──俺の矜持だ。
***
翌日、神崎は新たな情報を手に入れた。
監視カメラの映像解析班からの報告。
桐生凛の行動パターンが、ある程度判明したという。
「彼女が確認された地点を分析したところ、いくつかの傾向が見えてきました」
解析担当の職員が、地図を広げて説明する。
「まず、彼女は魔物の出現を事前に察知しているようです。
我々の探知システムより早く現場に到着しているケースが多い」
「事前に察知? どうやって」
「不明です。
ただ、彼女のパートナー……あのぬいぐるみが関係している可能性があります」
神崎は頷いた。
あのぬいぐるみは、魔物を「食べる」。
魔物と何らかの繋がりがあってもおかしくない。
「それから、彼女の活動範囲ですが──この一帯に集中しています」
地図上に、赤い円が描かれた。
■県■市を中心とした、半径約三十キロの範囲。
「ここは……」
「はい。
六月の災害が起きた街を中心とした範囲です」
神崎は地図を見つめた。
あの子は、ずっとあの街の周辺で戦っている。
両親が死んだ街。
すべてが始まった場所。
離れられないのか。
それとも──離れたくないのか。
「次に彼女が現れそうな地点を予測できるか?」
「魔物の出現予測と同じで、いくつか候補は絞れます。
ただ、確実ではありません」
「構わない。
候補地点のリストをくれ」
「了解しました」
***
その夜、神崎は一人で車を走らせていた。
行き先は、予測された候補地点の一つ。
■市の隣町にある、廃工場地帯。
監視班が二十四時間体制で監視しているので、それに任せることもできた。
だが、今夜は自分の目で確かめたかった。
桐生凛が、どんな風に戦っているのか。
どんな顔をしているのか。
車を停め、懐中電灯を手に廃工場へ向かう。
嫌な予感がした。
空気が重い。
魔物が近くにいる気配。
──と。
暗闘の中で、何かが動いた。
神崎は物陰に身を隠し、目を凝らした。
いた。
小さな影。
黒髪の少女。
パーカーにジーンズ。
そして──腕に抱えた、胴の長いぬいぐるみ。
桐生凛。
間違いなかった。
魔物が現れた。
C級。
犬のような形をした、四足歩行の異形。
二体。
少女は──迷わなかった。
駆け出す。
人間の速度ではない。
弾丸のように地を蹴り、最初の一体に肉薄する。
ぬいぐるみを振りかぶる。
魔物の頭に叩きつける。
「ドゥー」
間の抜けた音。
しかし、魔物は横に吹き飛んで転がった。
二体目が背後から襲いかかる。
少女は振り返りもせず、ぬいぐるみを背後に突き出した。
魔物の牙が、ぬいぐるみに噛みついた。
少女はそのまま、ぬいぐるみを振り回した。
魔物ごと。
遠心力で魔物が振り回され、地面に叩きつけられる。
一度、二度、三度。
動かなくなった。
最初の一体が起き上がろうとする。
少女は跳躍し、落下しながらぬいぐるみを叩きつけた。
「ドゥー」
地面が陥没した。
魔物は、もう動かなかった。
戦闘時間、三十秒足らず。
神崎は息を呑んだ。
報告書で読んだ。
映像でも見た。
しかし、実際に目の当たりにすると──凄まじかった。
同時に、胸が痛んだ。
少女の動きには、無駄がなかった。
洗練されていた。
それは──何度も何度も戦い続けてきた証拠だ。
たった一人で。
誰にも頼らず。
十五歳の子どもが。
ぬいぐるみが、魔物を食べ始めた。
少女はそれを無言で見ていた。
神崎は物陰から出た。
「──こんばんは。すこし、いいかな」
少女が振り返った。
暗闘の中でも、目が見えた。
暗い目。
深い闘の色を湛えた目。
警戒の色が浮かぶ。
身構える。
神崎は両手を上げた。
武器は持っていない。
敵意がないことを示すために。
「俺は特務対策室の神崎晋一郎。
君を傷つけるつもりはない。
話を聞いてほしい」
「…………」
少女は答えなかった。
「君のことは調べた。
六月の災害のこと。
両親のこと。
──辛かったな」
少女の目が、わずかに揺れた。
「君は一人で頑張ってきた。
でも、もう一人で戦わなくていい。
俺たちがいる。
組織がある。
君を支える仲間が──」
「要らない」
少女が、初めて口を開いた。
低い声。
感情を殺した声。
「要らない。
仲間も、組織も、大人も。
──全部、要らない」
「なぜ──」
「あの日」
少女は神崎を見据えた。
「お父さんとお母さんが死んだとき、大人は何をしてた? 組織は何をしてた? 魔法少女は?」
神崎は、答えられなかった。
「遅かった。
間に合わなかった。
誰も、助けてくれなかった」
少女の声は、淡々としていた。
怒っているのではない。
ただ、事実を述べているだけ。
「だから、要らない。
私は一人でやる。
邪魔しないで」
少女は背を向けた。
「待ってくれ──」
神崎が手を伸ばす。
少女が跳んだ。
壁を蹴り、屋根を越え、闇の中に消えた。
追いかける術はなかった。
神崎は一人、廃工場に立ち尽くしていた。
「……そうだな」
呟いた。
「遅かった。
間に合わなかった。
──その通りだ」
何も反論できなかった。
いや、反論しようと思えばいくらでもできる。
そもそも魔物が現れてからの対応だ。
間に合うわけが無い。
だが、そういう事ではないのだ。
事実として。
俺たち大人は、間に合わなかった。
あの子の両親を、守れなかった。
だから、信じてもらえない。
頼ってもらえない。
でも。
神崎は、少女が消えた方向を見た。
「それでも」
俺は諦めない。
何度拒絶されても、何度突き放されても。
あの子が、一人で戦わなくていい日が来るまで。
手を差し伸べ続ける。
それが、俺にできる唯一のことだから。
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