第3話 第一次接触、無視

「例の魔法少女は、この災害の被災者の一人、桐生凛。

 間違いありません」


 神崎は室長の五十嵐に報告した。


「六月の■市魔物災害の生存者です。

 両親を亡くし、親戚に引き取られましたが──二週間後に失踪。

 以降、行方不明のまま」


 五十嵐は眉をひそめた。


「契約はいつだと思う?」


「おそらく、災害当日です。

 記録では『外傷軽微』とありますが、両親は即死。

 十五歳の少女が、あの規模の災害で無傷に近い状態で生き残った。

 何らかの力を得ていたと考えるのが自然です」


「つまり、契約から三ヶ月以上。

 その間、ずっと一人で戦ってきた」


「はい」


 五十嵐は窓の外に目を向けた。


「組織の支援もなく、訓練もなく、ケアもなく。

 十五歳の子どもが」


 神崎は答えなかった。

 答える言葉がなかった。


「……保護を急ぎなさい。

 あの子がこれ以上、壊れる前に」


「了解しました」


 ***


 その夜。


 早月ひよりと檜原なぎさは、二人とも組織に所属する魔法少女で、本部での定期訓練からの帰宅途中だった。


「ひよりー、眠くない?」


 なぎさが欠伸を噛み殺しながら言う。

 昨日は夜中に魔物が発生して緊急出動したのだ。


 魔法少女に過剰に負担がかからないように組織があるとは言え、どうしても無理をすることはある。


「眠いよ。

 でも、仕事だから」


「真面目だなあ」


「なぎさだって、ちゃんとしないと」


「してるしてる。

 ……ねえ、今夜は出ないといいね。

 魔物」


 ひよりは小さく頷いた。


 怖い。

 正直に言えば、毎回怖い。

 魔物と戦うのは、何度やっても慣れない。

 変身して、魔法を使って、それでも心臓はいつもバクバクしている。


 でも、やらなければならない。

 自分たちにしかできないことだから。


 そう言い聞かせていつも戦っている。


「──ひより」


 なぎさの声が、急に硬くなった。


「……うん。

 気づいてる」


 空気が変わった。

 嫌な気配。

 魔物特有の、肌がざわつくような感覚。


「来る」


 二人は同時に変身した。


 魔物は、倉庫の陰から現れた。


 B級。

 四本の腕を持つ、人型に近い異形。

 目が六つあり、すべてがこちらを見ている。


「──行くよ、なぎさ!」


「わかってる!」


 ひよりが光の矢を放つ。

 なぎさが炎の槍を投げる。

 二人の連携は、長年の訓練で磨かれている。


 しかし、魔物は素早かった。


 四本の腕が旋回し、ひよりの矢を弾き、なぎさの槍を掴んで投げ返す。


「っ──!」


 なぎさが横に跳んで避ける。

 その隙に、魔物が距離を詰めてきた。


「なぎさ、下がって!」


 ひよりが盾を展開する。

 魔物の拳が盾に叩きつけられる。

 衝撃で腕が痺れた。

 強い。

 二発目。

 三発目。

 盾がはじけ飛んだ。


「──やばっ」


 四発目が来る──


 その瞬間。


 何かが、魔物の横っ面に激突した。


「ドゥー」


 間の抜けた音がした。


 魔物が横に吹き飛ぶ。

 倉庫の壁に激突し、壁ごと崩れ落ちた。


 ひよりは目を疑った。


 魔物を殴り飛ばしたのは──少女だった。


 黒髪。

 肩にかかる程度の長さ。

 私服。

 パーカーにジーンズ。


 魔法少女の変身衣装ではない。

 普通の服。


 そして、その手には──ぬいぐるみ。


 胴の長い、ウサギのような形をしたぬいぐるみ。


「……嘘、でしょ」


 なぎさが呟いた。


 未登録の魔法少女。

 飛ばない。

 魔法を撃たない。

 武器はぬいぐるみ。


 報告書で読んだ。

 信じられなかった。


 実際に見ても、やっぱり信じられなかった。


 少女は魔物に向き直った。

 瓦礫の中から這い出てきた魔物が、怒りの咆哮を上げる。

 四本の腕を振りかぶり、少女に襲いかかる。


 少女は──跳んだ。


 飛行ではない。

 跳躍。

 しかし、その高さは異常だった。

 三階建ての倉庫を軽々と超える。


 そして、落下しながらぬいぐるみを振りかぶった。


 魔物の頭に、ぬいぐるみが叩きつけられる。


「ドゥー」


 また、あの音。


 魔物の頭が陥没した。

 そのまま地面に叩きつけられ、アスファルトにクレーターができる。


 少女は着地した。

 魔物は動かない。


 B級魔物を、たった二撃で沈めた。


 ひよりとなぎさが苦戦していた相手を。


「……すご」


 なぎさが呆然と呟く。


 ひよりも言葉が出なかった。


 少女は動かなくなった魔物を見下ろしていた。

 その表情は──暗くて、よく見えない。

 でも、冷たい気配は伝わってきた。


 ぬいぐるみが、もぞりと動いた。


 口が──開いた。


 魔物を、食べ始めた。


「──ひっ」


 なぎさが小さく悲鳴を上げた。

 ひよりも息を呑んだ。


 ぬいぐるみは、魔物の死骸を丸呑みにしていく。

 巨大なB級魔物が、みるみるうちに消えていく。

 物理法則を無視した光景だった。


 やがて、魔物は完全に消えた。


 ぬいぐるみは口を閉じて、また元の姿に戻った。

 何事もなかったかのように。


 少女がそれを抱き上げた。


「──待って!」


 ひよりは声を上げた。


 少女が振り返る。

 初めて、その顔が見えた。


 幼い顔立ち。

 たぶん、自分たちより年下。

 少し年下に見える。


 そして──目。


 暗い目だった。

 何も映していないような、深い闇を湛えた目。


 ひよりは、思わず言葉を失った。


 なぎさが前に出た。


「あ、あんた……っ、助けてくれて、ありがと。

 えっと、私たちは──」


「…………」


 少女は何も答えなかった。


 なぎさを見て、ひよりを見て、そして──背を向けた。


「待ってよ! ねえ、あんた名前は──」


 少女が走り出す。


 速い。

 異常に速い。

 なぎさが追いかけようとするが、一瞬で距離が開いていく。


「──っ、待ってってば!」


 なぎさが飛ぼうとする。

 しかし、少女はビルの壁を蹴って路地裏に消えた。

 追いかけても、もう姿は見えなかった。


「……逃げられた」


 なぎさが悔しそうに拳を握る。


 ひよりは、少女が消えた路地裏を見つめていた。


 あの目。


 あの、暗い目。


 怒っているのだと思った。

 最初は。

 でも、違う気がする。


 怒りの奥に、何かがあった。


 それが何なのか、ひよりにはわからなかった。


 ***


「──以上が、昨夜の報告です」


 翌朝。

 神崎のデスクの前に、ひよりとなぎさが立っていた。


「ご苦労だった。

 怪我はないか」


「はい。

 あの子が……助けてくれたので」


 ひよりは、少し言いづらそうに答えた。


「助けてくれた、か」


 神崎は報告書に目を落とした。

 戦闘の詳細。

 ぬいぐるみによる攻撃。

 魔物を「食べる」様子。

 そして、無言で立ち去ったこと。


「神崎さん」


 なぎさが口を開いた。

 いつもの勝ち気な表情ではなく、どこか困惑したような顔で。


「あの子、なんであんな風に戦ってるんですか? 一人で、あんな……なんていうか、滅茶苦茶な戦い方で」


「…………」


「強かったです。

 めちゃくちゃ強かった。

 私らが手こずってた魔物を、一瞬で倒した。

 でも──」


 なぎさは言葉を探すように、視線を彷徨わせた。


「──なんか、見てて怖かった。

 強いのに、怖かった。

 うまく言えないけど」


 神崎は二人を見た。


 十六歳の少女たち。

 魔法少女として戦いながらも、仲間がいて、大人の支援があって、怖いと言える相手がいる。

 それがどれほど大切なことか、本人たちはまだわかっていないかもしれない。


「檜原」


「は、はい」


「怖いと思ったのは、正しい感覚だ」


 神崎は静かに言った。


「あの子は──桐生凛は、三ヶ月以上、たった一人で戦ってきた。

 組織の支援もなく、仲間もなく。

 君たちの年齢で、いや、君たちより年下で」


 なぎさの顔から、悔しさが消えた。

 代わりに、別の感情が浮かぶ。


「……それって」


「だから、保護しなければならない。

 あの子がこれ以上、一人で戦わなくていいように」


 ひよりが小さく頷いた。


「私たちにも、何かできますか」


「ああ。

 君たちにしかできないことがある」


 神崎は二人を真っ直ぐに見た。


「あの子と、同じ目線で話すことだ。

 大人の俺には、できない」


 神崎は二人を見送った後、窓の外を見た。


 桐生凛。


 報告書の内容を思い返す。

 B級魔物を二撃で倒す戦闘力。

 魔物を「食べる」ぬいぐるみ。

 無言で立ち去る少女。


 そして──ひよりが言った言葉。


「あの子が助けてくれた」


 助けた。

 無言で、何も求めず、ただ助けて去っていった。


 憎しみだけで動いているなら、そんなことはしないはずだ。


 あの子の中には、まだ何かが残っている。


 人を見捨てられない、何かが。


「……待っていてくれ」


 神崎は呟いた。


 必ず、手を差し伸べる。


 あの子が、その手を取れるようになるまで。

 何度でも。


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