第13章 野戦病院の白い布
死の臭いは、鉄錆びた血の匂いではなく、甘ったるい腐敗臭として漂っていた。 前線基地の野戦病院。そこは、うめき声と絶望が支配する空間だった。 「オペレーション・ヒートテック」の成功により、凍死者は劇的に減った。しかし、私の計算機(頭脳)は、新たな変数を弾き出していた。
「感染症による死亡率、四〇%……」
私はマスク越しに呟き、簡易ベッドの間を歩いた。 兵士たちの体は温かい服に守られているが、その下にある傷口は化膿し、高熱を発している。 原因は明白だった。彼らに巻かれている「包帯」だ。
「おい、その布を変えろ! 泥がついているじゃないか!」 「ありません! 新品のさらしは底をつきました! 使い回すしかないんです!」
衛生兵の悲痛な叫び。 彼らが再利用している包帯は、戦場の泥水ですらいだだけの、細菌の温床だった。 繊維の隙間に潜んだ菌が、傷口から体内に侵入し、兵士を内側から食い荒らしている。
「……ラインを変えるぞ」
私は同行していたカイルに短く告げた。 防寒服の生産は順調だ。今、ボトルネックになっているのは「衛生」だ。
「アルカス、でも包帯なんて、ただの布切れだろ? うちで作る必要あるのか?」 「ただの布切れだから、人が死ぬんだ」
私は近くの煮沸釜を指差した。 ぐらぐらと煮えたぎる湯。 本来ならここで包帯を消毒すべきだが、既存の安物の綿布は、煮沸すると縮んで硬くなり、すぐにボロボロになる。だから衛生兵たちは、ぬるま湯で洗うことしかできない。
「煮沸(ボイリング)一〇〇度に耐え、かつ繊維が脱落(リント)せず、傷口に張り付かない高密度ブロードクロスを作る。さらに、銀イオン(Ag+)を定着させた抗菌加工を施す」
「銀!? そんな高価なものを!」 「兵士一人を育てるコストと、銀貨一枚。どちらが高いと思う? 経営判断だ」
私はすぐに王都の工房へ伝令鳩を飛ばした。 仕様変更の指示書(スペックシート)。 銀食器を粉砕し、溶解液に混ぜ、繊維の内部に固着させる。 ナノレベルでの抗菌加工。 前世のドラッグストアで当たり前に売られていた「抗菌防臭」の技術を、錬金術で再現する。
三日後。 真っ白な包帯の山が前線に届いた。 それは、雪のように白く、絹のように滑らかで、微かに銀色の光沢を放っていた。
「使ってください。これは煮ても焼いても傷みません」
私が渡した包帯を、衛生兵長は震える手で受け取った。 傷ついた兵士の脚に巻く。 銀の微弱な魔力が、傷口の雑菌を浄化し、炎症を抑えていくのが目に見えて分かった。 兵士の苦悶の表情が和らぎ、安らかな寝息に変わる。
「……魔法の包帯だ」 「いいえ、ただの『衛生用品』です」
私は淡々と答えたが、内心では安堵していた。 繊維は、肌を守る「盾」であり、命を繋ぐ「薬」にもなる。 野戦病院の白い布は、絶望の泥沼に咲いた、希望の花のように見えた。
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