第4話

 アタルが三田崎を初めて意識したのは、中学一年生の夏。初めて制服で過ごす夏は暑く、生地と生地の重なった部分から侵されるように熱が広がった。アタルは無欲にして反骨心のない男子生徒だったので、ボタンを外そう、ズボンの裾を短くしようなどとは、ついぞ考えもしなかった。


 彼の隣には、同じように洒落っ気のない女子中学生がひとり。おさげで、目つきが悪く、ダンゴムシのように背中を丸めて何かを書いている。昼休みだというのに、ふたりの周辺には活気がない。


 まるでこの一角だけが、教室の日陰になったかのようだ。誰の目にも触れない。誰も気にしない。窓の外からスタジアムのような歓声が聞こえるが、ふたりには縁の無いことだ。


 夏休みも間近に迫ったある日、アタルは三田崎に声をかけた。それは気まぐれな巡り合わせであり、悪戯にも似た思い付きだった。だがそのとき、なぜか彼女の描いている絵が、無性に気になってしまったのだ。スケッチブックに丹念に描き込まれた、炭素の線の爪痕が。


『それ、電車?』

『……!』


三田崎は両手で絵を隠した。一心不乱に鉛筆を走らせていたせいで、彼女の額には汗が浮かび、前髪がぺたぺたと張り付いている。利き手である右手の小指は真っ黒だが、白い肌の色が透けて見えるようだった。


 その必死な感じが、今思えば、可愛かった――ということなのだろう。当時のアタルは、ただただ困惑して、目の前の小動物を怖がらせないように、傷付けないようにと気遣った。


『あ、ごめん、見られたくなかった? でも上手いね。いつもそれ描いてるの?』

『……別に』


彼女は耳を真っ赤にしたまま、眉間にしわを寄せて睨んでくる。早く続きが描きたいから、どこかへ行ってくれと言わんばかりに。だが、アタルは、それがただの電車の絵ではないことに気付いていた。その車体は外装がほとんど剥ぎ取られており、むしろ内装――いや構造が、これでもかというほど精密にスケッチされている。


『透明な電車?』


まず思いついたのはそれだ。鉄道好きな人のために、ガラスか何かで覆われた電車。それが湖を横断して走ったりすれば、メカニックかつ神秘的な、世にも美しい光景となるに違いない。アタルが舌を巻いていると、彼女は青白い顔で呟いた。


『……電車じゃない』

『え?』

『エンジン』


 三田崎カコは、鉄道の内部機構マニアだった。産業革命以来の蒸気機関に始まり、電車を動かすモーターとパンタグラフとの連結、果てはリニアモーターカーの電磁石まで、乗り物を動かす仕組みに目がないという。アタルは目を輝かせた。それは未知との遭遇だった。彼の隣の机上には、狭そうで広い宇宙が広がっていたのである。


 あまりの興奮に二の句が継げず、絞り出した言葉は、


『……それ、エン鉄って言う?』

『は? 遠州鉄道?』

『あ、いや、鉄道オタクは撮り鉄とか乗り鉄とか言うでしょ。エンジンオタクはエン鉄って――』

『言わねぇよ』


三田崎は呆れた顔をしながら、どこか面白がっているようでもあった。その日から、アタルは三田崎とよく喋るようになった。


 「……もう少し奥じゃないですかね」

「え、これぐらい?」

「はい、オーケーです」


合図と同時にクレーンが下がり、アームが景品を抱き寄せるように掴んで持ち上げた。それは横に移動する振動でカクンと首を振り、毛並みの柔らかなウサギのぬいぐるみを元の場所へ叩きつける。


「あちゃあ、アームが弱いな」

「次は俺がやりますよ」


アタルは百円玉を取り出し、彼女と場所を交代した。アクリル板に映る自分がスーツ姿であることに気付き、何をやっているんだろう、と自嘲する。わざわざ格好付けて着てきたのに、すっかり空振りに終わったな。


 ぽすん。


 落ちてきた景品を拾い上げ、隣の相手に渡す。彼女はひどく驚いた様子で、促されるままにぬいぐるみを受け取った。


「すごい。UFOキャッチャーが得意なの?」

「昔、三田崎と散々やったから」

「……あぁ、そうだ。そうだった」


アタルはクスクスと笑った。

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