第3話

 「……それで」


アタルははっと我に返った。


「今日は何の用事で呼び出したの?」


彼女は少し身を引いて、場を整えるような調子で言った。


 アタルはそこに壁を感じた。これ以上踏み込んでこないでほしい、過去の恋心を引きずって、余計なことを言わないでほしいという壁だ。


 彼女の言いたいことは分かる。昔の三田崎とは別人なのだ。いつまでも幻影ばかり追ってはいけない。ここで一線を引こうというのは、アタルにも了解できる提案だった。もっとも、その約束は暗黙のうちに交わされたため、彼女の本心を知る術はないが。


 彼は心を切り替えた。


「たまたま実家に帰る用事ができたから、懐かしい顔が見たくてさ」


見ることができたのは、懐かしさとはほど遠い、すっかり様変わりした美人だったが……。


 コーヒーが届いた。わざわざ断りを入れたので、どちらのソーサーにも砂糖がない。アタルは店員を呼び止め、「すみません、やっぱり砂糖一本もらえますか」と尋ねた。


 なんだか、無性に甘いコーヒーが飲みたかったのだ。


「ごめんね、私が余計なこと言ったから」

「ううん。俺の気が変わったのが悪い」


多分どっちも悪くない。そう頭の中で呟きながら、受け取った砂糖を投入した。まるで液体なんて無いみたいに、サラサラ底へ落ちていった。


 「大学……は、行ったんだよな?」

「うん」

「就職は?」

「今は大学院」

「へぇ」

「擦田くんは?」

「俺は高卒で就職。今は電機メーカーで働いてる」

「すごい」

「下っ端だよ」

「下っ端でもすごいよ」


お世辞でも嬉しい。


「友達は? 大学で友達はできたか?」

「……うん」

「どんな人?」

「え? うーん、……なんでもやってくれる世話焼き、かな」

「あぁ」


合いそう。


 その後も色々な話題で盛り上がった。高校生活のこと、大学のサークルのこと、中学の同級生のこと、将来について考えていること。彼女は煮え切らない返事が多かったが、やんぬるかな、彼女とアタルでは情報に大きな隔たりがあった。


 三田崎カコは他人のことに興味がない。


 アタルは昔を思い出した。あの頃も、俺が喋って三田崎が聞き流していたんだっけ。クラスメイトの色恋沙汰とか、学校で囁かれる噂とか。しかし、どうして俺は飽きもせず喋っていられたんだろう? 他の人と同じように、三田崎は俺にも興味なんか無かっただろうに。


 今、目の前にいる彼女だって……。


 「擦田くん」

「はい」

「コーヒー、なくなっちゃったね」

「あ……。そうですね」


アタルはもう何度、空のコーヒーカップを口に運んだか分からない。恐らく相手も同じ。なのに追加を頼まなかったのは、この居心地の悪さに救われていたからだ。


 気まずい空気に耐える。むしろ楽しむ。


 それだけで、まるでこの場にいない第三者を非難しているような気になった。


 だからだろう。


「もう出る?」


そう言って彼女が腰を上げたとき、アタルはそれを引き留めたい衝動に駆られた。この空間は、アタルと彼女が共同で作り出した異世界だ。それが壊れてしまうのが嫌だった。現実に引き戻された後、すべてが嘘になってしまうのが怖かった。


「あの、どっか遊びに行きません?」


口をついて出たのは、自分でも呆れるほど陳腐な問い。「時間があれば」の枕すらない。昔から少しも変わっていないことが、アタルには少し嬉しく、同時に悲しかった。


「どこかって?」

「ゲーセンとか、大きめのショッピングモールとか」

「中学生みたい」

「いいでしょ、童心に返ってるんです」

「うーん……」


彼女はちらりと携帯に目を遣り、思案顔でアタルを見た。彼は良い返事を確信していた。根拠は無いが、そう思った。


「そうだね。行こう。憂さ晴らしのつもりで」


まるで、この場にいない第三者を批判するかのようだった。

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