第3話:スウェットの夜と、優しすぎる誤算
駅前の、休憩利用ができるレンタルルーム。
薄暗い部屋に入った瞬間、俺、ケンジの緊張はピークに達していた。
(き、来てしまった……! 本当に、こんなトントン拍子でいいのか!?)
背後でドアが閉まる音が、退路を断つゴングのように響く。
振り返ると、リリさんが入り口で立ち尽くしていた。
ダボッとしたグレーのスウェット上下に、ボサボサ気味の三つ編み。
色気とは無縁の姿だ。
だが、俺にはそれが「素人っぽさ」の証明に見えて、逆に興奮を煽っていた。
「あ、あの……シャワー、とか……」
「あ、うん。そうだね」
俺が答えると、リリさんはおずおずとスウェットの裾に手をかけた。
いよいよだ。童貞卒業の瞬間が――。
――ガタガタガタッ。
異変に気づいたのは、彼女が上着を脱ごうとした時だった。
彼女の華奢な手が、小刻みに、いや、見てわかるほど激しく震えているのだ。
顔面は蒼白で、唇もわなないている。
まるで、処刑台に上がった囚人のように。
(……えっ?)
俺の脳内に冷や水がぶちまけられる。
彼女は、怯えている?
そういえば、プロフィールに『人見知り』と書いてあった。
会ったばかりの男と、密室で二人きり。怖くないはずがない。
俺は自分の浅はかさを呪った。
(俺は……なんてことをさせようとしているんだ。嫌がる女の子を無理やり抱いて、それで卒業して嬉しいか? いや、違うだろ!)
俺の中の「紳士(チキン)」が叫んだ。
気づけば、俺は彼女の震える手首を、優しく掴んで止めていた。
「……リリさん、ストップ」
「ひゃいっ!?」
彼女が涙目で俺を見上げる。
その怯えように、俺の決意は固まった。
「無理しなくていいよ。……すごく、震えてる」
「あ、これ……これは、その……」
彼女は何か言い訳しようとしたが(おそらく空腹と緊張のせいだが)、俺には「恐怖を隠そうとする強がり」にしか見えなかった。
「今日はやめよう。ただお喋りして、少し休憩したら出ようか」
「えっ……で、でも、食事……」
「嫌がってる子を食べるほど、俺も鬼じゃないからさ」
俺は精一杯の、余裕ある男の笑みを浮かべた(つもりだ)。
***
結局、部屋ではコンビニで買ったジュースを飲んで解散した。
駅の改札前。
リリさんは申し訳無さそうに、何度も頭を下げていた。
「すみません……せっかく誘ってくださったのに……」
「いいって。俺も焦りすぎたし。……また、ご飯(ランチ)でも行こうよ」
「! ……はい! ぜひ!」
彼女の顔がパッと輝いた。
その笑顔に、俺は「今日はこれでよかったんだ」と自分を納得させて帰路についた。
――しかし、俺は知らなかった。
改札の向こうで、彼女が深刻な顔で反省会をしていたことを。
(やっちゃったぁぁぁ……!!)
リリは人混みの中で頭を抱えていた。
お腹が空きすぎて、緊張しすぎて震えていたら、獲物に同情されてしまった。
サキュバスとして、これ以上の屈辱はない。
(『嫌がってる子を食べるほど鬼じゃない』……って言われた。つまり、私に魅力がなかったってこと!?)
リリは自分の姿を見下ろした。
ヨレヨレのスウェット。毛玉のついた袖。
確かに、これでムラムラしろと言うほうが無理がある。
(バカバカ、私のバカ! 地味にしなきゃとは思ったけど、スウェットじゃ『食事対象』に見てもらえないよ! ケンジさんは優しかったけど、男の人の本能を刺激しなきゃ、次はまた見逃されちゃう!)
彼女の瞳に、決意の炎が宿る。
空腹は限界に近い。次のデートがラストチャンスだ。
「次は……絶対に逃さない。ケンジさんの理性を、私の体で吹き飛ばしてあげるんだから……!」
リリはスマホを取り出し、通販サイトを開いた。
検索ワードは――『セクシー 勝負服 露出多め 胸開き』。
次回のデートが、とんでもない事態になるとも知らずに。
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