【賢者猫転生】パワハラで人間に絶望したサラリーマン人間を辞め異世界で無双(リセット版)

田中寿郎

第1話 猫はいいな…仕事に行く必要もないしな…

「……」


気がつくと俺は、森の中に佇んでいた…。


周囲を見回す。


木。木。木。


周囲には三百六十度、木があるだけだな……。


「森の中……?」


周囲を見回す自分の体が、随分柔らかい事に気付いた。後ろを振り返ると百八十度真後ろを通り越して二百七十度くらいまでは余裕で見える。体の固かった俺には有りえない事だ。頑張れば視界の端は三百六十度まで行くんじゃないか? どんな状態なんだ俺の体?


見下ろすと、そこにあったのは毛皮に覆われた体。手には肉球、尻には尻尾、手で触ると耳は頭の上にあるようだ。これは、あれだよね、獣耳…。


耳が自由にクルクル動く。耳の向きを変えると、近くに水の流れる音が聞こえる方向がある。音のするほうに行ってみると小川があった。


水辺に降りられる場所を探し、自分の体を水面に映してみた。


猫だ。


子猫だね。


なんで……?


俺は……


……


…記憶が蘇ってきた。


俺は……死んだのか?


最後の記憶は、帰宅途中の深夜。


家への近道である公園を抜けようとしたとき、猫の鳴き声が聞こえた。


声がしたほうに目をやると、男が猫を地面に押さえつけているのが見えた。


猫は……


近所の家で飼われている顔見知りの猫だ! 特徴のある不機嫌顔の猫なので間違いない。


「おい! 何してる?!」


男の手にハンマーが握られているのが見えた。男は片手で猫を押さえつけ、ハンマーを振り上げた…!


気がついたら俺は走り出していた。


無我夢中で、走ってきた勢いそのまま男の両肩を思い切り突き飛ばす。


男は尻もちをつき、開放された猫は走って逃げて行った。


男が大声で何か怒鳴り始めたが、何を言ってるのか分からない。外国人?! よく見ると確かに日本人とは顔立ちが違っていた。


男が喚きながら近づいてくる。


…観察していないでさっさと逃げなきゃ!


俺は慌てて踵を返したが、遅かった。


世界が暗転する。


気がつけば俺はアスファルトに頬ずりしていた。


体を起こすと口から大量の血が出ている。前歯が折れたようだ。


後頭部にも痛み。


多分、持っていたハンマーで殴られたのだろう。


悲しいかな、何度か殴られた経験があるので分かる。後頭部を殴られると、一瞬でブラックアウトする。その間は受け身など取れないので、無防備に顔から倒れたのだろう。


座り込んでいた俺は再び突き飛ばされた。


さっきの男が馬乗りになってくる。


またハンマーで殴られるかと思ったが、男はハンマーを捨てた。


代わりに懐から取り出した何か……街頭の光で反射してそれがナイフだと分かった。


男がナイフを振り上げた…。


『きゃあっ!』

『おい! 何してる?!』

『警察を…!』


その時運良く通りがかった人が居て騒いだため、不審な外国人は慌てて逃げ去った……。


「おい君、大丈夫か?!」


通りかかったうちの一人が近寄ってきて、救急車を呼ぼうかと言われたが、俺は必死でそれを断り、逃げるように自宅に帰った……。


この時、素直に助けを受け入れていれば、俺は生きていたのかも知れない…。だが、生まれてこの方、俺は病院など行った事がない。体が丈夫だったわけじゃない。幼い頃から、怪我をしても病気になっても、病院になど連れて行ってもらえなかったからな。


父は博打好きで酔えば俺を殴るクズだった。母も俺を庇わない。俺に興味がないようだった。


金など掛けてもらえなかったので進学もできず中卒で就職した。ブラック企業だったので、体調が悪くても休む事など許されなかった。


まぁ、それでも病院にかかる事なく生きてこれたのだから、やはり体は丈夫なほうなのかも知れないが。


病院? どんなところなんだ? 職場の健康診断で行かされた健診センターは病院と言えるのかな?


足を引き摺りながら、俺はなんとか家に帰り着いた。幸い、家はすぐ近くだった。俺は家に入ると、そのまま万年床に倒れ込んだ。


……夜中、一度目を覚ました。


のどが渇いた。トイレにも行きたい。だが、体の自由がきかない。


右半身に感覚がない。左足には感覚はわずかにあるが力が入らない…。


動くのが左手だけでは起き上がる事すらできず。


ただ寝て回復を待つしかないか。


朝になったら動けるようになっているといいが。


明日も仕事だ。休むわけにはいかない。正直、毎朝、仕事に行くのが嫌で嫌で仕方がないが……薄給・長時間労働のブラック企業でも、クビになったら生きていけない。


それに、もし仕事を休んだらあのパワハラクソ上司に何を言われるか……。


学歴もない、何の取り柄もない俺はクビなったら他に就職口など見つからないだろう。結局、嫌でも仕事に行ったほうがマシという事になるのだ……。


ふと、窓の外から視線を感じた。


ああ、お前か…。


無事なようで良かった。


近所の家で飼われているブサイク顔の猫。


数軒先の家で飼われている猫らしい。


クズ上司のパワハラに心をすり減らす日々の中で、ある日俺は、時折見かけるその猫の柔らかそうな体に触れてみたいと思うようになった。


そしてある日、“猫がまっしぐらに走ってくる” と評判の猫の餌をコンビニで買った。


意外と高い。自分の晩飯を減らす事になったが、それでも猫に触れられるなら…


家に帰ると近くの塀の上に猫が居た。


餌をチラつかせてみたら、作戦成功。猫は塀から降り、近づいてきた。俺は猫に初めて触れた。撫でられたのは猫が餌を舐めている間だけだったが。柔らか掛かった。


そんな事を何度か繰り返しているうち、猫は俺を見ると甘えた声を出し足に擦り寄ってくるようになった。


食べさせる前にモフるのがコツだ。食べ終われば礼も言わず、触るな!という態度で逃げていってしまうからな。


思えば、この猫は、俺の人生で触れた唯一の柔らかい生き物だった気がする……。


俺は左腕を伸ばしてみたが、窓の外に居る猫に触れられるわけもなし。


「猫はいいなぁ、仕事に行く必要もないしな…。次は、猫に生まれたいなぁ…」


それが人間だった時の最後の記憶だ。


多分、殴られた衝撃で脳内出血を起こして死んだのだろうと説明された。


…説明された?


誰に?


ぼんやりとした曖昧な記憶でしかないのだが、誰かと話をしていた記憶がある。


…医者?


だが、あのブサイク猫もその場に居た気がするし、死んだ人間と医者は話さないだろう。遺体の検証に来た警察関係者の話が聞こえていたとか…?


…いや!


断片的にしか思い出せないが、俺が死んだ事、そして生まれ変わらせてくれる事、行く世界と種族を選ばせてくれる事を説明された!


…ような気がする。


そうだ、それで、俺は人間になりたくないと必死で訴えた。ロクな人生を送っていなかった俺は、人間というものに幻滅しきっており、選べるのなら、人間と関わらずに一人で生きていける種族を熱望した。


ならばと、妖精猫ケットシーという種類の猫を薦めてくれたので、それを選んだ。


ああ。それで現在。転生を果たし、猫の姿で、人気のない場所に一人で居るというわけだな。


断片的だが、(記憶が)はっきりしてきた部分もある。


妖精猫ケットシーというのは、すべての魔法が使えるので、一人でも楽に生きていけるチートな種族だとか。もちろん転生先は魔法のあるファンタジーな世界だ。


ケットシーなら世界最強……その能力をすべて使いこなせれば、だが。


…ん?


そうだ…! ではいざ転生という段になって、最後に大事な事を言われたのを思い出した! たしか…


『転生直後はレベルが最低で弱いから気をつけろ』


……とか。うぉい…!


小川の水面に映る姿は可愛らしい小さな子猫だ。とても強そうには見えない。


この状態で他の動物にでも襲われたらヤバいんじゃないか?


たしかこの世界には野生動物より危険な “魔物” が居ると言っていた……。


その時、突然とてつもなく悍ましい感覚に襲われ、全身の毛が逆だった。本能的に身体が動き、小川から飛び退く。



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