虚構5 魔王という名の平和
魔族の首都エクリプス、第三学区立高等魔導学校。
午前の四限目、三年生の教室は、いつものように少し眠たげな空気に包まれていた。
窓際の席に座るリリアは、十六歳。
黒みがかった紫色の髪を、角の付け根で軽く束ねている。
肌は淡い灰色で、瞳は金色に近い琥珀。
典型的な魔族の少女だが、彼女の机の上には、人間製の小型音楽再生機(通称「ポータブル・クリスタル・プレイヤー」)が置かれていた。
「さて、本日の授業は『人間種族の脅威と魔王の守護』だ」
教壇に立つ中年魔族教師、ガルム先生が、黒板に魔法で文字を浮かべながら始めた。
声は低く、威厳たっぷり。
生徒たちは半分寝ぼけ眼でノートを開く。
「諸君。我々魔族は、数百年もの間、人間種族の侵略に晒されてきた。特に近年、顕著な脅威となっているのが『勇者』という存在だ」
黒板に、魔法で投影された映像が広がる。
人間の勇者が、剣を振りかざし、魔族の兵士を次々と斬り倒す。
炎の魔法が炸裂し、血しぶきが飛び散る。
もちろん、これは報道局が提供した「公式映像」――つまり、スタジオで撮られた再現劇だ。
リリアは知っていた。
去年の文化祭で、演劇部が同じ衣装を使って同じシーンをやっていたことを。
「勇者は、魔王の力を恐れぬ愚か者たちだ。
彼らは魔王の城を目指し、我々の領土を荒らし回る。だが、魔王陛下の加護がある限り、我々は決して敗れない!」
ガルム先生が拳を握り、声を張り上げる。
教室の後ろの方で、数人の生徒が小さく拍手した。
リリアはノートにペンを走らせながら、内心でため息をついた。
(……またこの話か)
隣の席の親友、ゼインが肘で軽く突いてきた。
ゼインはリリアより少し背が高く、角が片方だけ折れているのがチャームポイント。
「リリ、聞いてる? 今日のテスト範囲、これだってよ」
「聞いてるよ。でもさ……」
リリアは声を潜めて、机の下で音楽プレイヤーのスイッチを入れた。
耳に小さな魔力イヤホンを差し込み、音量を最小限に。
流れてきたのは、人間製の最新ヒット曲『Midnight Shadow』
低音が効いたビートに、切ないメロディ。
人間の歌手が歌う歌詞は、魔族語に翻訳すると「闇の中で君を探す」みたいな内容だ。
ゼインがにやりと笑う。
「それ、昨日闇市で買ったやつ? 人間の曲、クセになるよな」
「うん。なんか、魔王とか勇者とか関係ない話でさ。ただの恋愛ソングなのに、胸にくる」
授業は続く。
ガルム先生が黒板に「勇者の脅威度:極高」と書き加える。
「諸君、覚えておけ。もし勇者が魔王を倒してしまったら、どうなるか? 我々の軍需産業は崩壊する。武器生産工場が止まり、雇用が失われる。交易市場は縮小し、闇市さえも活気を失うだろう。つまり、我々の生活が、脅かされるのだ!」
教室の前方で、真面目そうな生徒が手を挙げた。
「先生、それって……勇者を倒すべきってことですか?」
「いやいや、待て。勇者を倒すのは、魔王陛下の役割だ。我々は、陛下の加護を信じ、守りを固めるだけだ。そして、陛下の脅威が続く限り、我々の経済は繁栄する。これが、魔王の守護の真髄だ」
リリアはイヤホンから流れるメロディに合わせて、指で机を軽く叩いた。
隣のゼインが小声で囁く。
「なあ、リリ。もし本当に魔王がいなくなったら、どうなると思う?」
「さあね。でも、きっと……みんな困るんだろうね」
「だよな。うちの親父、魔王軍向けの鎧工場で働いてるし。倒されたら、リストラだって言ってるよ」
「私の母さんも、交易ギルドで人間相手に商売してる。もし勇者が魔王を倒したりしたら商売上がったりになるだろうだって」
二人は顔を見合わせて、くすりと笑った。
授業の最後、ガルム先生が締めくくった。
「よし、宿題だ。『勇者の脅威に対する我々の備え』について、千字以内でレポートを提出せよ。期限は明後日だ」
チャイムが鳴る。
生徒たちが一斉に立ち上がり、教室を出ていく。
リリアはイヤホンを外し、プレイヤーをカバンにしまった。
廊下に出ると、友達の輪が自然に集まる。
誰かが言った。
「今日の授業、相変わらず熱かったな」
「でもさ、最近の勇者って、ほんとに強いのかな?ニュース映像、なんか毎回同じポーズしてる気がする」
「再現映像だって噂あるよ。でも、信じなくていいんだろ?魔王陛下がいるんだから」
リリアは輪の外で、窓の外を見た。
遠くの空に、今日も黒い煙が上がっている。
本物の戦場だろうか。
それとも、今日の授業で使われた映像の残り香か。
どちらでもいい。
学校は今日も賑やかだ。
魔族の若者たちは、魔王の脅威を習いながら、
人間の音楽を聴き
人間の恋愛ソングに胸を震わせ
そして、魔王がいる世界を当たり前のように受け入れている。
誰もが、同じ空気を吸っている。
もし、魔王がいなくなれば、私たちの平和な日常は、崩壊するだろう。
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