第53話:異界の静寂と記憶の裂け目
黒い結晶が地面から無数に突き出し、まるで大地が呪われたかのような異様な景色が、徐々に開けていく。やがて、結晶の密度が薄れ、視界の先にぽっかりと空いた広場が現れた。そこは、テントを張るには十分すぎるほどの空間で、周囲を取り囲む黒水晶の林が、まるで外界から切り離された異界のような静けさを漂わせていた。
「今日は、ここで休憩にしませんか?」
私の声は、いつもより少しだけ大きく、けれどどこか頼りなげに空気を震わせた。
「おう、俺ァ、賛成だ」
オーグさんの低く響く声が、場の空気を和ませるように響いた。
ケビンさんとオーグさんが、私の背に負ぶさるミリアリアさんを見て、心配そうに眉をひそめる。私はその視線に気づき、ぎこちなく微笑んで頷いた。すると、ケビンさんがすぐに動き、手際よく地面にシートを広げてくれる。
「あり、ありがとうございます…」
私は思わず声を詰まらせながら礼を言う。ケビンさんは、少し照れたように笑って首を振った。
「いいえ、ミリアリアさんをいつも運んでいただいて、ありがとうございます」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。ケビンさんも、私と同じ気持ちなのだ。ミリアリアさんには、命を救われた恩がある。だからこそ、彼女が倒れたとき、私は迷わず「私が運びます」と申し出た。女性同士の方が気を遣わずに済むし、この旅で鍛えられた身体なら、彼女の体重くらいどうということはなかった。
私はそっとミリアリアさんを地面に寝かせる。彼女の白い肌は、まるで月光を宿したかのように淡く輝いていた。
「ミリアリアの容体はどう?」
隣に立つメグーちゃんが、静かな声で尋ねてくる。銀色の髪が風に揺れ、彼女の神秘的な瞳が私を見つめていた。
「すごく魘されていたけど、今は落ち着いている…と思う」
「そう…何か手伝えることがあったら、教えてね」
「うん…メグーちゃん、ありがとう」
私の言葉に、メグーちゃんはふと空を見上げ、小さく呟いた。
「こんなことなら、グリーを連れてくれば良かったわね」
「うん…でも、大所帯になりすぎると、魔力圏外だと大変だから…」
「それも…そうね」
私たちは、1層に放したグリーの姿を思い浮かべた。あの時の決断は間違っていなかったはずだ。けれど、今は少しだけ、あの頼もしい存在が恋しかった。
そのときだった。
「うっ…ここ…は?」
かすれた声が、静寂を破った。
「ミリアリアさん!?」
私は驚いて振り返る。ミリアリアさんがゆっくりと上体を起こし、額に手を当てていた。白い肌に浮かぶ冷や汗が、彼女の苦悶を物語っている。
「うっ…すまない。どうやら迷惑をかけているようだな」
「い、いえ!気にしないでください!い、今は!ゆっくりと休んでください!」
私は慌てて言葉を返す。心臓が早鐘のように鳴っていた。
その声に気づいたのか、オーグさんとケビンさんが駆け寄ってくる。
「姉御ォ!?」
「ミリアリアさん!?」
だが、ミリアリアさんは二人を見つめ、困惑したように眉をひそめた。
「…貴殿らは、誰だ?」
「へ?」
「おう!?」
その一言に、場の空気が凍りついた。ミリアリアさんの蒼い瞳が、まるで初めて見るものを観察するように、オーグさんとケビンさんを見つめている。
「姉御ォ!俺だよ!俺!!」
「僕はケビンです!」
二人の必死の呼びかけにも、ミリアリアさんの表情は変わらない。彼女は私に視線を移し、かすかに眉を寄せた。
「すまない…酷く…記憶が混乱しているようだ。フェイかサキュウスを呼んできてくれないか…」
その言葉に、私は息を呑む。私のことは、覚えているのだろうか? それとも、ただ女性というだけで頼ったのか…。
「姉御ォ!アニキはいねぇし!サキュウスなんざァ、呼んで堪るかァ!」
オーグさんが怒気を含んだ声で叫ぶが、ミリアリアさんはその意味すら理解できないように、周囲を見渡していた。
「ここは…それに…お前らは…誰だ?」
「え、あ、あの!」
「記憶がないのかしら?」
「え、えええぇぇ!?」
私は震える声で問いかける。
「ミリアリアさん!?わ、私のことはわ、わかりますか!?」
「む?当たり前だ。お、お前は…あ…あれ…」
ミリアリアさんの瞳が私を捉えた瞬間、彼女の顔が苦悶に歪む。両手で頭を抱え、呻き声を漏らした。
「ミリアリアさん!?」
「な…なぜ…名前が出てこない…」
その姿に、胸が締めつけられる。あの堂々とした彼女が、こんなにも弱々しく見えるなんて。
「お母さん。今は、刺激するの、やめておきましょう」
メグーちゃんの冷静な声が、私の混乱を静めてくれる。
「…うん」
「ね、オーグもケビンも、今はそっとしておきましょう。記憶が混乱しているだけよ」
オーグさんとケビンさんは、悔しそうに唇を噛みながらも、ミリアリアさんを見つめ、やがて頷いた。
「分かりました」
「俺のことも忘れちまうなんてよォ、ショックだぜェ」
「そう言わないでくださいよ。オーグさん」
「けっ!」
二人は背を向け、再びテントの準備に戻っていった。
「お母さんは一緒にいてあげて」
「え?でも?」
メグーちゃんは一瞬言葉を迷ったが、すぐに言い直した。
「ううん、やっぱり、ミリアリアには誰かが傍にいてあげた方がいいわ」
私は頷いた。今は、彼女を一人にしてはいけない。たとえ名前を忘れられても、私は、彼女の傍にいたかった。
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