第25話 春鈴の魔法
真帆が鳥羽に弟子入りさせられる二日前──
妖精の国での騒動が終わり、穏やかな日常に戻って間もない頃。
「──何ですって?」
春鈴は目の前の青年の言葉に耳を疑った。
作業部屋。春鈴は鳥羽と向き合い立っている。危うく手に持っていたビーカーを落とすところだった。
鳥羽はビーカーに入った魔法薬を、かくはん棒で混ぜながら、もう一度口にする。
「仔犬くんを私の弟子にすると決めた」
どういう
「弟子にする予定はなかったんじゃないの?」
「気が変わったんだ」
春鈴は露骨に嫌な顔をする。
「真帆くんは、まだ心の整理がつかない状態です。もう少し待ってあげたほうが──」
「いや、弟子にするなら早いほうがいい」
ハッキリと口にする鳥羽。春鈴は持っていたビーカーを置き、彼の言うことを真剣に聞く態度を示す。
「妖精の国での騒動で、オズヴァルトの生まれ変わりの存在は魔法協会の耳に入るだろう」
彼は、かくはん棒をビーカーから抜き、側に置く。
「オズの子がこの家にいる事を知られるのは時間の問題だ。近いうちに少年と接触を図るかもしれない」
鳥羽は真剣な声色で続ける。
「魔法の知識も、魔法使いの世界も知らない未熟な子どもを協会は持ち上げるだろう。自分の手のうちにオズの子を引き入れ利用するに違いない」
春鈴は彼の魂胆の全貌が見えてきた。
「魔法協会や他の魔導師に使われる前に、自分の弟子にしておくつもりなのね」
鳥羽がニヤリと笑う。
「そういうことだ。弟子にしてしまえば、協会に引き入れることも難しくなる」
魔法使いになるには誰かの弟子になるのが常識だ。そして魔法使い同士の暗黙のルールとして、弟子の引き抜きは御法度。
鳥羽は魔法協会に属さない魔導師なため、真帆が鳥羽の弟子になれば、魔法協会は簡単に手出しができなくなる。というわけだ。
「あの連中に少年を渡すのは癪だ」
これが鳥羽の本音だろう。
「弟子にするのは同意だけど。今の真帆くんが素直に弟子になるとは思えないけどね……」
真帆は自身がオズヴァルトの生まれ変わりであることを、よく思っていないようだ。
とはいえ、亜澄果を助けるためにオズヴァルトの魔力を使った経験もある。上手くいけば、いい魔法使いになるかもしれない。
妖精の国でのことを思い返した。
──『起きて、亜澄果』
少年が眠る少女に語ったとき。
光の粒が漂い始め、少年と少女を取り囲んだ。光は青く輝く蝶へと形を変え、目覚めた少女を祝福するように羽ばたく。
蝶の群生は二人の若者の周りを飛び回り、二人だけの世界を作り上げていた。
朝焼けの空へ飛び去っていく蝶の情景が今も思い浮かぶのだ。
春鈴は微笑みながら目を伏せた。
「真帆くんの魔力は綺麗ね……あんなに美しく優しい魔力は初めて見たわ……」
「それがオズヴァルトの魔力なのだろう」
あの青く光る蝶は、真帆の魔力が具現化したものだろう。
本来は杖がなくては体内の魔力が放出することはないのだが、真帆は杖なしに放出した。それだけオズヴァルトの魔力は強いと鳥羽は言いたいのだろう。
しかし春鈴は首を横に振る。
「オズヴァルトの魔力だけじゃない。妖精の魔法を解くほどの力……あれは真帆くんの優しさと愛が起こした“奇跡”なのよ」
「──愛か……」
鳥羽は春鈴を『ロマンチストだな』と笑っているようだ。
◇
真帆が鳥羽の弟子になってから三日が経った。
いま真帆は、【やさしい魔法の基礎II】と表紙に書かれた本を開いている。
彼が座る作業台には本がいくつも積み上がっているのだ。
「あ〜……」
真帆は天井をあおぐ。
その隣で魔法薬の精製をしている春鈴が声をかけてきた。
「どうしたの。疲れちゃった?」
「ずっと座学ですよ?魔法って、こう……空を飛んだり、火を出したり、物を浮遊させたりってするんじゃないですか?」
鳥羽から最初に出された課題は『魔法の基礎を頭に叩き込むこと』だった。
魔法使いの歴史、魔法の原理、魔法の規則など。基本的なことをまずは覚えろ、というのだ。
真帆が一番に頭を悩ませたのは覚えることの量ではない。【やさしい魔法の基礎II】(全四巻)以外は海外書籍だ。つまり翻訳のされていない書籍だった。翻訳機や電子書籍を駆使しながら内容を読み解いていく。それは途方もない。
新品のノートには真帆の直筆で、びっしりと書籍の内容の訳や要約が事細かに書かれている。彼は勤勉だった。鳥羽から半強制的な押し付けの勉強だとしても、真面目に取り組んでいる。
しかしそれも長くは続かない。集中力が切れ、少年は本を閉じた。
「でも大切なことよ。何事も本質を理解しなきゃ」
そう言うと彼女は杖を取り出す。
「魔法はどうやって起こすのか、わかる?」
春鈴が問いかけてきた。
「えっと……体内にある魔力を外に出して、魔法が起きるんですよね」
彼女は頷く。
「そう、魔力は魔法を発動させるためのエネルギーよ。でも魔力は体内にあるじゃない。どうやって外へ出すのかしら」
すると真帆は春鈴の杖を指す。
「“杖”ですよね」
「そうね。杖が体内の魔力を出力する機能を持つわ。杖と同等の機能を持つ物なら、同じく魔力を出力できるわね」
「それで、“詠唱”が魔法を正しく発動させるためのもの」
春鈴は真帆に笑顔を向けた。
「ちゃんと勉強してるわね。つまり魔法には魔力、杖、詠唱が必要なの」
彼女は杖を握りしめ、瞳を閉じた。意識を集中させるように深呼吸をする。
真帆はその様子を椅子に座りながら見つめた。
耳に風のさざめきが聴こえる。空気が震え、鳥肌が立つ。
『巡れ 巡れ 大地に根を張り生を受け 揺らせ 揺らせ 風は種を運び命が芽吹く 咲き誇るは自然の息吹』
彼女の詠唱は優しくも美しい。
床から光の粒が舞い上がった。真帆は眩しさに目を細める。
「……!!」
光の粒が消えると、彼の眼前には草花が部屋一面を覆い尽くしていた。床も壁も、作業台も、鮮やかな緑と色とりどりの花で覆われている。
土と草花の匂いが漂う。天井からはフラワーシャワーのように花びらが舞い落ちている。
部屋の空気が一変し、別世界に迷い込んだようだ。
「これ、幻覚!?」
真帆は椅子から立ち上がり、部屋を見渡す。
すると春鈴はくすくすと笑った。
「幻覚じゃないの。植物を生やしたのよ」
春鈴がこちらへ近づくと、真帆の髪に触れる。指先で摘んだ花弁を真帆に見せるのだ。彼はそれを受けとる。
淡いピンクの花びら。確かに感触は本物だ。
彼女は言葉を続けた。
「魔力は電力、杖はコンセント、詠唱が電気ケトル、魔法がお湯なのね」
真帆は彼女の言葉に眉を寄せ、首を傾げる。
「……魔法がお湯?」
「魔法は“事象”であり“結果”よ。杖に魔力が流れて詠唱でお湯が沸くの!」
「わかりやすいでしょ?」と、にこやかに彼女は言う。
確かにわかりやすいが、まさか魔法を電化製品に例えるとは……。
二人は顔を見上げ、降り続ける花びらを眺めるのだった。
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