第24話 魔法使いの弟子

──仕事部屋

 真帆は春鈴に肩を押され、作業台の前に座らされる。そして作業台には鳥羽によって大量の本が積まれた。


「これでよし……」


 鳥羽は満足気に腰に手をあてている。


「……なにごとですか……?」


 説明もなく仕事部屋に連れて来られた真帆は、状況を把握できないまま、二人は何やらソワソワしていた。

 鳥羽は作業台を挟んで真帆の向かい側に立つ。それから咳払いをするのだ。なんだか碌でもない予感がする。


「よく聞きたまえ仔犬くん──」

「……?」

「君は今日から、この最高の魔導師である鳥羽眞人とばまことの弟子だ!!」


 彼は胸を張り、両腕を広げた。まるでスポットライトを浴びて台詞を語る役者のよう。


「……はぁ!?」


 思わず真帆は椅子から立ち上がり、椅子は勢い余って床に倒れた。春鈴がそっと立て直す。


「待って下さいよ。弟子って……どういうことですか!?」


 ズカズカと彼は鳥羽に歩み寄る。


「私が師匠、君が弟子」


 そう言いながら鳥羽は真帆を指差してきた。真帆は向けられた指を手で叩く。


「勝手なこと言わないでください!!」


 弟子になるつもりなんてない。彼の身勝手に真帆は憤怒していた。しかし鳥羽は涼しい顔である。


「君に拒否権は無い。オズの子よ、魔法使いになれ」

「お断りします」


 真帆は間髪入れず答えた。すると鳥羽は短く息を吐く。


「……君の魔力は計り知れない。自身のためにも魔法を学び、これからに備える必要があるだろう」


 彼の妙な言い回しに真帆は怪訝な顔をする。まるで、これから何かが起こることを予期しているような言い草だ。


「備えるって……“なに”に……?」

「君はこれから、様々な渦中に巻き込まれることになるだろう。これは避けては通れない道だ。そのためにも魔法を学ぶ必要がある」

「……よく……わかりません……」


 すると赤い鉱石が嵌め込まれた杖頭じょうとうで顎を持ち上げられた。真帆は彼を見上げる。赤い瞳がこちらを凝視し、逸らすことを良しとしない。


「少年。いつまでも己がオズヴァルトの魂を持つことから逃げてはいられないぞ」

「……」


 真帆の指がピクリと動く。


「本当は確信を得ているのではないか?自身がオズヴァルトの生まれ変わりであることを」

「……!!」


 真帆は鳥羽と距離をとり、彼から顔を背けた。


「夢に出てくる“銀糸の魔法使い”。魔法水晶の粉砕。妖精の魔法を解くほどの君の魔力、それから杖……どれを取っても普通じゃない」


 鳥羽は冷静な語り口調で続ける。


「君がオズヴァルトの生まれ変わりではないと、否定する方が難しい」


 真帆は目を伏せた。


(そんなこと……言われなくても、本当はわかってる……)


 鳥羽と出会う前は自分でも疑心暗鬼だった。オズヴァルトの生まれ変わりだなんて冗談だろうと。

 だが彼との出会いがきっかけで、気付かないうちに真帆は魔法の世界に足を踏み入れていたのだ。その過程で疑心は確信に変わる。それでも受け入れ難かった。


「僕は好きでオズヴァルトの生まれ変わりになったんじゃない!!魔法使いになろうが、どうしようが僕の勝手だろっ!?」


 真帆は鳥羽に叫ぶと、仕事部屋を勢いよく飛び出した。階段を駆け下り、玄関を開けて外へ出る。

 鳥羽の家を背に道を歩き出した。周りの風景は広がる緑と空しかない。優しい風が頬を撫でるが、真帆の心は落ち着かなかった。


 ◇


「……なにもないな……」


 見渡せば牧草地が広がり、人の気配も車の音もしない。

 鳥羽の家がある場所は、コッツウォルズの街並みから外れた場所に寂しく佇んでいるのだ。歩いて街まで行くには遠すぎる。

 どれだけ歩いたか。穏やかな風が優しく甘い香りを連れてくる。どこか懐かしい匂いがした。少年の視界には一面に広がる紫色の花が見える。近づくにつれてその匂いは濃くなっていった。


「……ラベンダーだ」


 真帆は足を止める。自生したラベンダーの花畑が広がり、風に揺られ紫の海が波打つようだ。


「……母さんが好きだった花……」


 匂いが記憶を呼び覚ます。母は透明な瓶に詰められたラベンダーのポプリを持っていた。家族写真にもラベンダー畑に佇む母の写真があったのを思い出す。


「忘れてたな……」


 風が吹けば紫の波が揺れ、視界一面ので花がさざめいていく。真帆は懐かしさに浸りながら眺め続けた。

 真帆が三歳の頃に亡くなった母。その記憶は今では殆どない。頼りは家族写真と遺品だけ。母が好きだった花も忘れてしまうくらいに、自分の中で母の存在が薄れていたことに悲しみを覚えた。

 花畑の中へ入ると、そっと指先を柔らかな茎に添える。少しの罪悪感を残しながら静かに折った。


(母さんの写真立ての横に飾っておこう)


 立ち上がったとき。背後から誰かの視線を感じる──


 ◇


 少年は少し驚いた顔でこちらを見ていた。彼の手には摘まれたラベンダーが握られている。


「……まったく……急に飛び出すとは……」


 鳥羽は息を整え、ラベンダー畑に入って行った。


「追いかけてきたんですか……?」

「君が逃げるからだろう」


 少年を見下ろせば、彼は俯き茶色の頭だけが目に入る。


「……すみません……」


 鳥羽は頭を掻いた。先ほどは怒鳴って出て行ったくせに、今ではしおらしくなっている。


「……どうしてここへ?」


 聞けば少年は顔をあげ、花畑を見渡した。


「通りかかっただけです。綺麗だなって……」


 一面に広がるラベンダーを見つめる彼は、その光景に感嘆しているようには見えなかった。瞳は揺れて寂しさを宿している。

 鳥羽はそれについて言及はしない。少年と同じように花畑を眺める。


「魔法で、死んだ人を生き返らせることはできるんですか」


 一瞬だけ少年に視線を向け、直ぐに花畑へと視線を戻す。


「不可能とされている。蘇生の魔法については研究することも禁じられている行為だ」

「魔法でも出来ないことがあるんですね」

「失ったモノを取り戻すことはできない。君が考えるほど、魔法というのは自由がきかない」

「……僕なら出来たりして」


 少年の冗談に、鳥羽は眉を寄せて顔を向けた。


「オズヴァルトの魔力でも無理じゃないか。魔法の法則を捻じ曲げる行為だ。師としては許し難い」

「……本気で僕を弟子にするつもりなんですか?」


 やっと少年は鳥羽に顔を向けてくる。


「あたり前だろう。オズの子が弟子だなんて、私の魔導師人生において箔がつくじゃないか」

「最低だ……」


 少年は口を尖らせながら言った。鳥羽は笑う。


「安心しろ。私が君を立派な魔法使いにしよう」

「どうせなら、素敵な魔法使いがいいや」


 彼の言葉に鳥羽は怪訝な顔をする。


「素敵な魔法使い?……まぁ、なんでもいい。これからは魔法の勉強に励んでもらわなければ」


 少年は短く息を吐いた。


「学生の本分は勉強ですよ。魔法の、ではなく」

「両立すればいい。大差ないだろう」


 すると少年はさらに深く息を吐いた。だが鳥羽は気にしない。


「小さな魔法使い。君はどんな魔法使いになるのだろうな」


 強い風が吹き、二人は目を伏せた。


「あっ……!」


 少年の声に目を開ければ、彼が摘んだラベンダーが宙に舞う。風に乗って遥か高く空へ向かって飛んでいく。

 鳥羽と真帆はその様子を静かに眺め続けた。

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