女子高生、初日から幽霊と同棲することになりました②

 湯舟が溜まるのを待つこと、およそ15分。

 その間は部屋で明日の授業で使用する教科書などの準備に費やした。

 作業自体は単純なのに、肩の奥に鉛を仕込まれたみたいな重さが抜けることはなかった。


 脱衣所で服を脱ぐ前、鏡の前に立ち自分の肩の部分を目を凝らして見てみた。

 ……どこからどう見ても私ひとり。

 お母さんが言ったようなオーラも浮いていないし、何かがいる気配もない。


 やっぱり、お母さんにしか見えない何かがあるんだろう。

 そう言い聞かせて、服を脱ぎ湯気の満ちる洗い場へと足を踏み入れた。

 湯舟のお湯を体にかけ、バスチェアへと腰かける。

 そして、シャワーの蛇口を捻り、髪を洗い始めようと目を閉じたそのときだった。


 ――つぅっ。


 何かがうなじに触れる感触。

 氷水を急に垂らされたみたいな冷たい感触だった。


「……っ?!」


 反射的に体が跳ね、バスチェアが風呂床を滑って、ギッと音を立てた。


 シャワーを止め、荒い息のまま振り返る。洗い場にも、湯舟にも、誰もいない。

 あるのは、白く濁る湯気と、滴る水音だけ。


「気のせい……だよね」


 震える声で呟いてみるが、うなじに残った冷たい感触がそれを否定する。

 指先でなぞるような、あの独特な動き――少しだけ爪を立てて、くすぐるように。

 生前、かえでがよく私に仕掛けてきた悪戯と、全く同じリズムだった。


 ……そんなはずはない。かえでは、もう。


 必死に自分を納得させようとした、その時。

 湯気で白く曇りきっていたはずの正面の鏡に、異変が起きた。

 まるで、誰かがそこを指でなぞったかのように、鏡の曇った部分が縦に拭われていく。

 それは、見えない誰かが、鏡越しに私を覗き込もうとしているようだった。

 

 心臓が跳ねた。脳が「やばい」と告げる。


 私は、髪についた泡をすすぐのももどかしく、逃げるように湯船に潜り込んだ。熱いお湯が全身を包む。


 それでも、うなじに残ったあの「氷のような指先」の感覚だけは、いつまでも消えてくれなかった。


 結局、それからはこれといった異変は起きなかった。

 私は隙を見て体と髪を再度洗い、風呂場をあとにした。

 

 ご飯のときも、これと言った異変は何も起きなかったが、お母さんの「濃くなってるわね」という言葉に少しだけ背筋がぞわりとした。

 ……料理の味のことで少し安心したが。

 

 とはいえ、油断するわけにもいかず、私は晩ご飯後、テレビも見ず、自室に戻り、明かりを消してベッドへと入った。


 ここまでの肩の重さも、お風呂での出来事もみんな気のせいだ。

 明日になればすっかり消えているはず。

 そう言い聞かせて、明日の学校にも備え早く眠ることにした。


 ……深夜、どれくらい時間が経っただろうか。

 ふと意識が浮上した瞬間、体の異変に気づいた。


 指一本、動かない。


 全身を、鉛の板でプレスされているような、圧倒的な圧迫感。

 金縛りというやつだ。

 今まで何度か経験してきたけれど、今回のは明らかに「密度」が違う。


 心臓の音が耳元でドクドクと不快に鳴り響く中、カサリ、と勉強机に置いていた本のページが捲られる音がした。


 視線だけは僅かに動く。その先を追うと、部屋の真ん中に真っ黒な影があった。


 ゆっくりと、じわじわと。「それ」はズ……ズ……と私の枕元に近づいてくる。


 ついに「それ」が私の顔の真横までたどり着いた。


 「――みぉ……」

   

 耳元で、湿った、それでいて懐かしい吐息が漏れる。

 あまりの恐怖に、私はぎゅっと目を閉じた。  


 バッ、と全身を覆っていた「重み」がさらに増した。骨が軋むほどの重圧に呼吸が浅くなる。


 「――みぉ……」


 「それ」と思わしき声が、鼓膜のすぐ裏で反響した。


 今度こそ、無理だと思った。


 心臓が限界まで跳ね上がり、息が詰まる。

 これ以上怖いことが起きる前に、意識が飛んでくれたら――


「……ちょ、ちょっと澪ちゃん。さすがに無視はひどくない?」


 ――え?


 想像していたような、怨嗟に満ちた低い声じゃない声が聞こえた。

 湿り気はあるけど、どこか間の抜けた、聞き慣れた声。


「起きてるでしょー? なんとなく心臓がドクドク鳴ってる感覚はわかるからね」


 ……?


 その一言で、恐怖より先に混乱が来た。


 え、なに?

 心臓のリズムとかに文句を言われてる?

 幽霊(多分)に?


「……あ、やば。これ起こすタイミング、完全にミスったかも」

 

 その声と同時に、胸を押さえつけていた重みが、少しだけ緩んだ。

 ひそひそと、声の主が反省会みたいな独り言を呟いている。


 その口調。その間。その、少しだけふざけた声音。

 全部、知っていた。


 私は、意を決して、ぎゅっと閉じていた目を、ほんの少しだけ開いた。

 視界の端、枕のすぐ横。そこにいたのは……。


「……」


 透けていた。


 間違いなく透けているけど、表情はやけにハッキリしていて。

 中学の頃とほとんど変わらない、見慣れた顔。


 私の幼なじみ、朝比奈かえでがベッドに肘をついてこちらを覗き込んでいた。


 


 

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