狐の嫁入り(中編)

 菊姫様御一行が『あまてらす』へお越しになってから数刻後、東の御山の稲荷大明神のご子息が到着されるという情報を聞きつけ、私は急いで菊姫様の部屋を訪れた。


 窓から見える外の天気は回復傾向にあるが、じっとりと湿った空気が廊下にまで漂っている。しかし、先程までの天候とは裏腹に「入れ」と菊姫から快い返事があった。


「失礼いたします」


 私は余計な物音を立てないように部屋の中へ入ると、天狐様をお迎えするにあたって、お付きの者達と一緒に着替えをされている最中だった。


「申し訳ございません。もうご存知でいらしたのですね」

「派閥は違えど我らの発する気は似ておるからな。絹子、手は空いておるか?」

「はい、空いております」

「そうか。では、これから妾と一緒に天狐を迎えに行ってくれまいか?」

「は――」


 突然の申し出に私は黙り込んでしまった。それは仲居としての務めを超えた願いだと感じたからだ。しかも菊姫様と私は初対面。肯定も否定もできず、黙り込んでしまう。


 お付きの者達も私と考えは同じだったようで、「ひ、姫様!」と慌てた様子で諌め始めた。


「人間の小娘が我々に付き添うなど前代未聞です!」

「たかが人間の小娘一人連れ添ったところで何も問題はないはずじゃが?」

「姫様は西側の姫君なのですよ!? 万が一、東の狐達が良からぬ噂を吹聴でもしたらどうするのですか!?」


 従者の姿が人間寄りの容姿から獣の姿へと変化していく。柄にもなく焦ってしまった私はどうする事もできずに正座をしたまま固まっていると、「問題ないと言っておろうが」と菊姫がキッパリとした口調で律した。


「これは妾の頼みではなく、向こうからの頼みでもあるのじゃ」

「ひ、東の御山からですか?」

「そうじゃ。妾は長きに渡って天狐の願いを叶えるべく動いておった。じゃが、まさか見合いの場におるとは思わなんだがな」


 菊姫は鏡台の上に置いていた扇子を広げ、不機嫌そうにパタパタと仰ぎ始めた。


「東西をまとめ上げ、日本におる稲荷神達を導いていかねばならん大事な時だというのに。どうやら、お前達は政治というものを分かっておらんようじゃな」


 菊姫が長い溜息を吐くと、部屋の温度が急激に下がっていった。部屋に置いてあった家具が凍りついた瞬間、焦った従者達は「し、失礼いたしました」と口にして額を畳に付けてひれ伏す。

 

 私はというと、指先の感覚が分からなくなってきた。体を震わせながら、思い切って視線を上げてみる。三面鏡に映った菊姫の表情はなんだか思い詰めた様子だったが、私と鏡越しに視線が合った途端、にっこりと微笑まれてしまった。


「絹子、妾と共に来てくれるな? 今回の見合いを成功させるには、お主の力が必要なのじゃ」


 ここまで言われてしまっては協力する他ない。「私で力になれるなら、なんなりとお申し付け下さい」と平伏す事しかできなかった。


「よし。であれば、さっさと支度を済ませるぞ。お前達、アレを持ってくるのじゃ」


 アレとは一体、なんだろう? そんな事を考えていると、菊姫の従者達が私を囲んだ。「えっ?」と驚く中、アレを目の前に出される。


「こ、これは……女学生時代の制服?」


 臙脂色の袴に矢羽模様の着物にブーツ、大きな赤いリボンが畳の上に広げられていた。よく観察してみると、これらの着物は私が生前に着ていた物に限りなく近いデザインの物だという事に気付く。


「今の格好よりも、そっちの方が似合うと思うのでな。さ、お前達。絹子を妾の次に美しく仕立て上げるのじゃ」

「き、菊姫様――きゃあっ!?」


 菊姫の従者達に制服を脱がされた後、あっという間に着替えさせられた。化粧っ気のない顔に白粉を塗られ、唇には紅を引き、目元や眉にも手を入れられる。


 全ての工程が終わった後、三面鏡に映る自分を見て思わず、「これが、私……?」と目を丸くしてしまった。自分の顔が見慣れず、いろんな角度から見ていると、「随分と華やかになったのぉ」と菊姫が背後から覗き込んできた。


「やはり、女子に生まれたからには美しくあらねばな」

「は、はい。ありがとう存じます、菊姫様」

「うむ。では、絹子。共に天狐を迎えに参ろうぞ」


 菊姫は金色の襖を豪快に開くと、従者が慌てて「姫様、お淑やかに振る舞ってくださいませ!」と諌めてくる。菊姫はそんな小言は受け付けないと言わんばかりに持っていた扇子を勢いよく閉じていた。


 部屋を出た後の菊姫の振る舞いは見事なものであった。いつの間にか部屋の前で待機してた子稲荷達も艶やかな着物に身を包み、現世で行われていた花魁道中が大規模で行われた。


 特に子稲荷達の中でも霊格の高かった珠々が菊姫の隣に付き添い、私と目が合うと『お姉ちゃん、すっごく綺麗だね!』と念話で話しかけてきたので、顔から火が出たかのような熱さを感じて黙り込んでしまった。


「……おや、あれは西の御山の姫君ではないか? 菊柄振袖が似合っておるのぅ」

「東のご子息とお見合いを『あまてらす』でするという噂は本当だったようじゃな。側におるハイカラな着物を着た女子はもしや、仲居の絹子ではないか?」

「おぉ、本当じゃ! 化粧をしているからか、ワシとした事が気づかなんだ!」


 たまたま泊まりに来ていた神々が、私を見て次々に感想を口にしている。しかも今日に限って、泊まりに来ているお客様は常連の方ばかりで、仲居の格好をしている時以外の私を見るのは初めてだったからか、菊姫様よりも視線を独占しまいがちになっていた。


 あぁ、今すぐここから逃げ出してしまいたい――。


 本当なら菊姫様が視線を独占していたはずなのに! と言わんばかりに従者達の視線がチクチクと痛む。

すみません、すみません……と申し訳ない気持ちでいっぱいの私の思いをよそに、菊姫は終始ご機嫌な様子であった。

 

「ホホホ! 妾よりも視線を独占するとは、なんとも罪深い女子じゃな! しかし、流石は西の狐が総力を上げて開発した化粧道具! 紅を引くだけでも効果を発揮するとは驚きじゃな!」

「あ……ありがとう、存じます……」


 感謝するべきなのか分からず言葉が詰まってしまったが、菊姫がご機嫌になっていくにつれ、分厚い雲の切れ間から太陽の光が差し込んできた。


 門の前には既に大きな漆黒の牛車が停まっており、新米の玉乃が緊張の面持ちでテキパキと対応している姿が目に入った。


「玉乃ちゃ――」


 私も急いで加わろうとしたが、菊姫に「待て」と制された。菊姫が指をさした方を見てみると、玉乃はしっかりと仲居として働いてくれていた。どうやら、今のところ私の手助けは必要ないようである。


「これも良い経験じゃ。たまにはそっと見守ってやるのも先輩としての務めじゃぞ。さぁ、共に行くぞ」

「は、はい……!」


 私は力強く頷き、菊姫様と共に牛車へと向かう。途中で玉乃が私の存在に気付いたようだが、周りの空気を察してか、一歩引いて頭を深々と下げていたのだった。


「この気……。菊姫と誰のものだ?」


 牛車の中から男性の声が聞こえた瞬間、私と菊姫以外の狐達がその場にひれ伏した。


 その場に立ち尽くしているのは私と菊姫の二人きり。そんな話は聞いていない!! と平静を装いつつ、心の中で慌てふためいてしまったが、そんな私の心情を察したのか、菊姫に肩を回されて抱き寄せられる。


「ホホホ。お主の長年の望み、叶えにきてやったぞ」

「ま、まさか……。それは真か、菊姫っ!?」


 ガタガタと牛車が揺れて前簾が激しく波打った後、黒髪の艶やかな男性――天狐の姿が顕になった。菊姫とは対照的に耳と尾は黒。太陽の陽に照らされて艶やかに輝いているのが印象的な稲荷神だった。


「その娘がそうなのか!?」

「あぁ、そうとも。この娘がお主の恩人である絹子じゃ。どうやら、おかみの指示で、ずっとここで働いておったらしい。お主が現世や常世で血眼になって探しても見つからぬはずじゃな」


 菊姫にいきなり背中を押され一歩前へ出ると、天狐も牛車から降りてきた。どうすれば良いのか分からず、銀色のお月様をはめ込んだような目をまっすぐに見つめていると、なんと天狐はその場で膝を着き、私の手を握りながらボロボロと涙を溢し始めた。


「あぁ、なんという幸運な日なのだ! ずっと其方に会いたかった!」

「も、申し訳ございません。私は貴方様のような高貴なお方に頭を下げられるような事をした覚えがないのですが……」


 私は珍しく狼狽えてしまった。助けを求めるかこように視界をぐるりと見渡すと、いつの間にか天狐に連れ添ってきた従者達も、私に向かってひれ伏している。門の近くにいた玉乃に至っては、私の気持ちを代弁するかのように一人でパニックに陥っていた。


「いいや、絹子。今の私があるのは其方のお陰なのだ」

「と、仰いますと……?」

「昔、其方が車に轢かれかけた子供を助けただろう? あれは幼き頃の私なのだ」


 私はハッと息を呑んだ。何百年も前に助けた子供の姿が鮮明に思い浮かぶ。時代は大正。海外文化が日本で流行している最中、その子供は珍しく一昔に流行った柄の着物を着ていた。


 黒い狐のお面を付けていた事も、角帯には風車が挿されていた事も思い出し、だんだん男の子の容姿が鮮明になっていく。私が死ぬ前日に親とはぐれて泣いていた男の子と近所で開かれていた小さなお祭りに出掛け、打ち上げ花火を見ながら一緒に林檎飴を食べた事も全て思い出したのだった。


「貴方、あの時の男の子なの……?」


 そう問いかけると、天狐は大きく頷いた。


 私に子供はいない。だが、あの時助けた幼い子供がこんなに立派になった姿を見るだけで胸が熱くなってきた。


「あぁ、こんな立派な姿になって……。長い間、この宿で働いてきたけどこんなに嬉しいことはないわねぇ……」


 私は声を震わせながら、暫く天狐の胸の中で泣いてしまった。その間、菊姫は晴れやかな笑顔で私達を見守り、玉乃に至っては大号泣しながら持っていたハンカチで涙を拭い続けていた。

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