第4話
「殺したことがあるんです」
窓辺から夜の【天界セフィラ】を見下ろしている、彼の横顔を見る。
「……前にも言った通りサンゴールの民の多くは、第二王子の本当の姿を知りません。
兄上との絆も、女王陛下との協調関係。
女王が担えなかった魔の使命を受け持ち、果たしていたのはあの人だったこと、
国は、あの人に愛されていることを知らなかった。
だから当然、守られていることも知らず、いつか【魔眼の王子】が野心で女王を退位に追いやるのではないかと余計な危惧を持つ人間は絶えなかった。
あの人はよく、そうやって自国の人間に命を狙われていたんです」
うっすらと、それを聞いただけでラムセスは大体のことをもう察していた。
(そうか……)
「俺はあの人に心を開かれたことも心を寄せられたことも一度としてなかったので、分かりませんが……俺には厳しくて、恐ろしい印象の人でしたが、あの人はサンゴールの民がどんなに無礼を働いても、寛容でそれを許していました。
理由は知りません。
あの人もまだ制御術が未熟な頃、周囲の人間をよく【
死に至らしめたことも一度や二度ではなかったと言いますから……その償いのつもりで許したのかもしれない。
それとも力ある能力者だったから、自分の命を脅かせない程度の人間にいくら命を狙われても意に介さなかったのかもしれないし……
……。結局、それが王位継承者というものなのかもしれません」
俺には理解の出来ない世界の話です、と自嘲する。
「ある日、例によってそういう連中と出会ってしまったんです。
俺は昔からそういう所があるんです。運が悪いんですよ。
たまたま第二王子が兄上の画を見てる所に遭遇したり、
たまたま衛兵が場を外していた為に、
王の私室の側まで行けたと思ったら第二王子に見つかって殴られるし。
たまたま後見人の家に行ったら、あの王家の拾われっ子がとか文句言われてる場面に出くわすし、
いつも会いたい時に会えないのに、会いたくない時に会う。
会いたい人には会えないのに、会いたくない人には労もなく会う。
そうなんです。
あの時もそうだったな……。
俺は宮廷魔術師になりたてで、つまり、国務機関においてはじめて任を受けて、すでに表面上の師である第二王子とは顔を合わせる口実もなくなっていて、自分の将来も見通せず、ここで立派な魔術師になればいいのか、ならないほうがいいのか、それも分からず、精神的に不安定な時期でした。
女王陛下やミルグレンが、俺を家族として扱ってくれていたので、会う口実は完全になくなったわけではなかったですけど、俺が行くとあの人は不快感を隠さなかったので、会いに行くのは避けていました」
「会いたいとは思ってた?」
メリクは一瞬言葉を飲んで、数秒時を費やした。
「……。…………たぶん、死ぬほど」
流すかと思ったがメリクは予想に反して、打ち明けた。
しかしもう遠い記憶なのだ。
そこに実感は籠らない。
「よく眠れなくなり、こんな暗い夜には城を抜け出して遠駆けをしていました。
出来る限り城にはいたくなかったから。
ある日、王都の国境沿いにある森で、そういう反逆者に遭遇したわけです。
王族殺しを企む連中に」
「なにがあった?」
「なにも……」
メリクは自分の膝の上に腕を置いて顔を伏せた。
「ただ、見つかってやり取りをしてるうちに、そいつらが『恐ろしい魔眼の力を持った王子が国の為に戦うことなんて当然だ』というようなことを言ったのを聞いて――、
王子が国の為に死ぬのは当たり前だと言われて、
俺は逆上して、そいつらを殺したんです」
メリクの時代のサンゴール王家は魔力が強く発露している時代だ。
そういう時代ならではの事情の中にある。
それは王家自体は非常に無力で暢気だった、ラムセスの世界には存在しない因子だ。
「激昂して魔力を使ったのはそれで二度目。
一度目は事故で辛うじて相手が助かったけど、
二度目は殺そうと望んで仕留めて、手を血で染めました。
でも、それが国を出た理由ではないです。
俺は救いがたいほどその行為を正当化し、自分の誇りにしていた。
一瞬でも手柄のように、あの人に打ち明けようとしたんだから、自分にゾッとします。
俺は貴方の為に戦ったと、善人であると訴えたくて、そのことを話そうとしたんです。 誰かに話さないと人を殺したという、罪悪感に押し潰されそうだったから。
でも打ち明けようとした時、あの人の双眸に見据えられて、
幼い頃、一度目の時に、自分よりも力の無い者に感情で魔力を放つなど魂の下賤の所業だと言われた時のことを思い出した。
あの人の厳しさは、俺を痛めつけるけど……でも移ろう俺の心をいつも正しい所に引き戻してもくれるんです。
だから厳しさも、慕った。
あの人に睨みつけられ、正気に戻ったことを神に感謝しました。
貴方の為に人を殺したんだから誉めて頭を撫でてくれなどと、
そんな人間として最悪なことを言わずに済んだ。
あいつらに対して冷酷な対処が出来た時に、俺ははっきりと、自分にとってこの国は何の価値もないのだと分かった。
――あの人は骨の髄までサンゴールの王位継承者なんです。
国の者に平気で手を掛ける人間よりも、
自分の命を狙う国の者の方が、あの人の中ではずっと愛せる。
今でも、やりようはあったかもしれないと思うにせよ、
俺はあの時あの連中を殺したことは悔いてない。
正しいとすら思っています。
でもその正しいと信じれる行いを、
胸を張ってあの人に打ち明けられなかったあの時に……。
俺は多分、全部何もかもが壊れて」
話していても、前ほど辛くないとメリクは思った。
前は思うたびに胸の奥に響いて痛みが走っていたけど、
今は胸に空いた大きな穴から、簡単に痛みが抜けていく感じだ。
リュティスに憎悪され、嫌悪されているという事実を肯定出来るようになった。
でもそれは決してメリクが強くなったからではないのだ。
「……正しくあろうとしていた世界が壊れて、生きれなくなったんです。
どんなに正しくても、正しいことをしても、
サンゴール王国にいる限り、俺は間違っているんだと思い知った。
どんどん間違っていくんだと。
悪しきものになりたくなくても、なっていく。
息をするたび」
メリクの話し方は淀みがなかった。
今まであった、躊躇いが一切消えた。
まるで練熟の魔術師が謳い慣れた詠唱を紡ぐように、話している。
きっと幾度も幾度も、自分の中で繰り返し反芻した言葉なのだろう。
愛する者の為に戦って、手を血を染めるまでしても、
彼が彼であるかぎり、その聖なる行為は糾弾され下賤の所業だと罵られる。
ラムセスが聞いたメリクのサンゴール王国出奔の理由は、下らないどころか納得しか出来ないものだった。
王位継承権争いなど、どうでもいいことだった。
紛れもなくメリクは魂を脅かされたから国を出たのだ。
「…………だから国を出たんです」
出たかったわけではない。
でも出るしかなかった。
「そうしなければ自分が生きて行けなかったから。
でもそうまでして、自分をひた隠して、
自分の命を生かそうとする必要があったかは甚だ疑問です。
エドアルト・サンクロワに会った時の、俺の気持ちが分かりますか?
出会った時ではなく、
彼が何者か、知った時の」
ラムセスは腕を組みかえた。
「そうだな……。お前は別に、国に残して来たものが大切じゃなくなったから出たわけじゃないのなら……。
あいつがサンゴールやアリステアに関わっている者だと分かった時は……ゾッとしただろうな」
「ゾッとした……」
その感覚を思い出したようにメリクは呟いた。
「そうですね……本当にそんな感覚でした。
追って来た闇に、捕まったような気持ちでしたよ」
そっちの話の方がずっと興味深い、とラムセスは思った。
サンゴール時代のメリクの苦悩はもう完成されすぎていて、突き崩すことは出来そうにない。
だがエドアルト・サンクロワの方は興味深い。
国を出て、決別した世界で、突如再び因縁の中に取り込まれたメリクの絶望を察するのはさほど困難ではないが、不思議なのはメリクがエドアルトを教えたことだ。
「メリク。おまえ、何故エドアルト・サンクロワに同行を許し、教え導いた?」
しかも当たり障りのないやり方ではなく、例えエドアルトが魔術の才に恵まれていなくても、ここで時々聞くこの師弟の会話、そこで垣間見れるエドアルトの魔術知識の方は、少しの澱みも無く、惜しげもなくメリクの魔術知識を真摯に伝えられたものだと分かる。
エドアルトに真摯に魔術を教え込むことが出来るのなら、
第二王子と向き合うことが、何故出来なかったのか。
そこは大いにラムセスの興味を引いた所だった。
「まあ確かにあいつは魔術的には見所がある。魔術師的には見所はゼロだが。
だがお前にとってサンゴールに関わる人間はそれだけで突き放すべきものだろ?」
メリクは押し黙る。
「話さなくていいですかは無しだぞ」
ラムセスが先手を打ってメリクの鼻を摘まんだ。
メリクが笑う。
ラムセスの手を軽く遠ざけて、首を振る。
「言いませんけど、思い出してるんです」
「おっ。そりゃ悪かった。邪魔したな」
「……エドとは、彼がオルハの息子と分かるまで随分掛かったので、弟子にしてくださいとただ追って来る子供だった時は……ひたすら鬱陶しかったので、隙さえあれば撒いてました。
普通、二、三回撒かれたら嫌になって追うのやめますよね?
でも彼は五回置いて行かれようと十回置いて行かれようと『諦めて帰る』って発想がないんですよ。面白いからもう、放っておこうという気になって」
「そんなこと言ってるけどな。お前だって相当面白いぞ。
俺はもう情報持ってんだからな。
お前、撒く時色んな金目のもの置いて行くんだって? そんな生温いことをしてるから、慕われたくもないのに慕われてついて来る奴がるんだよ」
「そうでしょうかね」
メリクは窓ガラスに体を預けた。
「そうしても、そうしなくても。
ああいう人間はついて来たいと思えばついて来ると思いますよ」
「情けを掛ければ助長が容易くなるだろ」
「案外厳しくした方が、燃え上がってついて来るものですよ」
ラムセスは足を崩したメリクの太腿の上に伸ばした足を乗せた。
「ははーん。お前今、自分のことを言ってるな?」
「え?」
「お前自身がどんなに冷遇されても、冷遇されるほど【魔眼の王子】にしがみついて行ったもんな」
ラムセスはからかったつもりだったが、メリクはきょとんとした。
数秒後。
「……。そうか、それは気づかなかった。確かにそうですね」
ずる、とラムセスは片肩を滑らせた。
「なんか厳しくした方が、よりあの子がついて来そうな気がしてたんだけど、理由はそれか……」
今初めて気づいたみたいに言われて呆れる。
「お前は鋭いんだか鈍いんだかよく分からんやつだ」
「とにかく情けを掛けるつもりとか、そういう意味では無いんです。
俺は俺なりに、いつもこうすればエドアルトが去るだろうなと思って置いて行ってるのに、彼が付いてくるんです。
普通の人間と少し違うなと感じたのは確かです。
ついて来ては欲しくなかったですけど、この人間が気ままについて来て、俺も好きな時に撒いていいなら、ほっといてもいいかなと」
「なるほどな。お互いに何も約束事はなく、自由だったわけか」
「ええ。一度彼が大怪我をしたことがありました。はっきり言って彼の落ち度や、考えの甘さで、半年くらい身動き出来なくなったことがあった。
その時に置いて行っても良かったんですが、俺は半年、彼と共に暮らしました。
宿の世話と身体の世話をして、十分一人で歩けるようになった頃、彼を置いて去ったんです。
一年弱くらいかな。
二度と会わないつもりで遠くに去って旅をしていたら、彼に一年後、再会した。
見違えるほど立派になっていましたよ」
メリクは微笑んだ。
「ああいう人は、一人でもちゃんと学んで成長して行ける。
けど彼が不思議なのは、その再会した時に、また共に旅をさせてくれと言ったことです。
驚くべきことに彼は一年間、俺を探しながら旅を続けていたというから」
「……不思議なことはないんじゃないか?
あいつは自分がまだまだ未熟なことを自覚していた。もっと学びたいこともあったから、それならば一番教えて欲しい人の所で学びたかったんだろう」
「俺はあの半年の時間を費やせば、必ず彼を撒けると思ってた。
例え再会しても、懐かしい思い出話でもして、別れることが出来ると。
でもそうならなかった時、……妙な感じがしたんです」
ラムセスはそれまで笑いながら聞いていたがその時、真剣な表情になった。
その妙な感じ、というのがいわゆる魔術師としての直感だ。
力のある魔術師に備わる鋭い感性である。
これを感じることでメリクは自分の行動を変える。
変えたことによって変化が起こるのだ。
メリクが下手なのは、その魔術師の直感を素直に表現する所である。
『感じ取っても無視をする』ということがラムセスのように容易く出来るようになれば、彼も自ら選びたい運命を選べるようになるはずだ。
(だがそれが、こいつの良さでもある)
自分にはないものだ。
エドアルトをどうこう言っているが、メリクの中には魔術的な直感を受けた時、これは大切に扱わなければ駄目なものだという天啓のように受け止められる、そういう純粋なところがあった。
サンゴール時代を経て、彼の持つそういう面が失われていないことはラムセスは美徳だと思う。
勿論それをメリク自身は苦に思ったり、嫌に思うかもしれないが、
(俺は好きなんだ)
それに万物は、たかが十、百繰り返したところで全ての結論を出すほど簡単じゃない。
「最初はなんのことか分かりませんでしたが、数日後にその意味が分かった。
アリステア王国出身ということが分かって。
オルハ・カティアの息子だと気づいて……心の底からゾッとした。
俺とエドは……。
女王陛下とオルハが親友同士でしたから、少年時代に出会う機会が何回かあったんですよ。でもその時は一度も会わなかったんです。
エドアルトが城に来た時は俺が城の外に出ていたりして、俺がサンゴールでオルハに会った時は、エドがアリステア王国に残っていたりした。
そんな人間が、
俺がサンゴールを出て数年後、もう完全に無関係になった国だと安心しきってる頃に現われた。
神から、……天の遥か上から、自分は駒に過ぎないと言われたような気がしました。
俺の感情や、意志や、どんな人間でいたいか、なりたくないか、
そんな願いもどうでも良かった。
意味の無いものだった。
女王陛下は【有翼の蛇戦争】時代オルハと、夫であるキースさんに命を救われました。
彼らの助けや献身がなければ自分は死んでいたと彼女も言っている。
オルハは女王陛下と共に、その旅の終わりにヴィノで俺を救い出してくれた。
俺はサンゴールで……
……サンゴールで、色んな分不相応だと言われながら魔術を学んだ。
最初は楽しそうで」
ラムセスはメリクの太腿の上に伸ばしていた足をどけた。
「見たこともない不思議な世界が楽しそうで、もっと知りたいと思って」
頬杖をついて、そんな風に言ったメリクを優しい顔で見遣る。
「教えてもらうならリュティス様がいいと思って、あの人に学びたかった。
師になってくれればいいと。
でもあの人がそれを決して望まなかったので、
城から出されると、あの人に学べないなら魔術はもういいと思いました。
自分は孤児で、城にいるような人間じゃないと思って。
そう思えたことと、魔術に興味が無くなったこと。
もしかしたらあの時が一番、心が平穏で幸せだったかもしれません。
大きな望みが無いのは今と同じでも……」
あの時は不死者のようではなかった。
それならば他の世界で、他の人間を大切にして生きて行こうという気持ちが自分の中にはあった。
「でも女王陛下が、王の死後に俺を呼び戻したんです。
俺の世話を第二王子に委ねた。俺が思うにあれは多分あの人が、第二王子にも俺を介することで表の世界にも徐々に関わっていて欲しいという意図があったのではと思いますが、彼女の意図を越えて、遥かに強い嫌悪感が第二王子にはあった。
俺はまたあの人から遠ざけられて、その時初めて、自分自身が嫌悪されていることが分かった。
初めて会った時、魔力を見い出されたと浮かれていた俺は、あの人が魔術で人を傷つけ得る人間だと、ただ指摘しただけだったのだと分かった。
あれは、忠告だったんです。
瞳の表層に魔相が表われるほど魔力が強く、迂闊で、
容易く過ちを犯す人間だから、決して魔術を与えるなという。
サンゴールが魔術の伝統を持つ国でなければ、また違ったかもしれませんんが。
俺はあの人が側に寄ることを嫌っていたので、師になってもらうことはもう諦めましたが……魔術を学ぶことはやめませんでした。
せめて、魔術には関わっていたかった。
魔術師になれなくても全然構わなかった。
ただ知識にはずっと触れていたかったんです」
エドアルト・サンクロワに与えられた、
あの分不相応な、魔術観に対して誠実で真摯な知識。
それはここから生み出された。
「魔術をとても大切にしました」
そうだろうな。
お前の魔術を見てると、それが分かるよ。
メリクの独白を聞きながら、邪魔をしたくなかったのでラムセスは心で相槌を打った。
「でもその大切にしてきた魔術が、多くの人間の目を引いて、思惑を引いて、
必死に、大切に切り離した第二王子ともう一度因縁を結びつけてしまったんです。
近くに生きるようになり、
嬉しかったですが苦悩は深まって行った。
男子継承が伝統の王家に、男子が第二王子以外にいない。
それでも俺の名前が出るほどに、サンゴールの伝統は死に掛けていた」
「聞いたことが無かったが……そういえばお前自身は、サンゴールの王位継承に対して当時どんな展望を持っていた?」
「展望ですか。そうですね……それが国にとって最良かは、俺には判断できませんけど。
ただこうなればいいなと思っていたのは、……ミルグレンが王位を継ぐことかな……」
「へぇ……」
「伝統を破っても、彼女が玉座を継ぎ、女王陛下とリュティス王子の助言を受けながら国を統治するのが一番いいと思っていました。
女王陛下は優れた政をしてはいましたが、リュティス王子の憂いはあの人が玉座にある限り、消えないものもあります」
「元々アリステア王国の姫だからな」
「そうです。でもミルグレンは同じように魔力を持っていなくても、リュティス王子にとって意味合いが全く違う。
彼女は【光の王】グインエル王の血を引く者です。
彼女が王位につくのなら、リュティス王子は助言を求められれば、表舞台に出て来たはずだと、俺は思うんですよ。
ミルグレンも、あれは多くの人間に愛されることの出来る人ですし、与えられた運命を最初は泣きながらでも受け止めて、より良くしていく、そういう再生力を持ってると思うんです。
夫が誰であれ、きっとそうなったのではないかと。
彼女にもし王子が生まれれば、リュティス王子は庇護したでしょうし、出来なかった時はその時は王位継承者として花嫁を迎え、自らの手で王子を得る覚悟は定まったはず。
ミルグレンがリュティス王子の側にいることは、国の為に実は必須だった」
「それほど【光の王】グインエルの存在が、
【魔眼の王子】にとって重要だったと読むか」
「不可欠であったと思いますよ」
メリクは言い切る。
ラムセスは赤毛をわしわしと掻いた。
そのミルグレンが、国に追放されたメリクを追って出奔した。
彼女はもっと女王や第二王子や、国が納得する形で、長い間そこで苦労しながら生きた人間に敬意を払う形でメリクを城の外に出したら、そこまでの行動には出なかったかもしれない。
メリクの見立て通り、泣きながら、しかし別離の運命を受け入れたかもしれない。
結局人間一人の扱いを大きく誤ったことが、国の安定を著しく失わせた。
その国としての情けの無さが、こういう運命を導いたのだ。
ラムセスはかつて自分も任官を受けた、サンゴールという国をそう結論付ける。
「とにかく……国にいる間は自分でも、何故自分がここにいるのかと疑問に思うくらい、そういう中で生きて来ましたから。
国を遠く離れ、時間も経った後にエドと出会わされた時感じたのは、確かに絶望だったと思います。
何者かに、……彼を教えなさいと強く命じられた気がしたので。
その相手は俺の力などでは到底抗えない、力を持っているように思えた」
教えなさいと強く命じられたくらいで、あそこまでの知識を魔術師としては大成する見所の無い相手に丁寧に教え込めるなら大したものだと思う。
例え絶望を抱え込んでいたとしても、メリクはエドアルトにいい加減な魔術知識は一つも教えていない。
それは側で今、彼らの話を聞いていれば分かることだった。
ラムセスならばもう一度エドアルトを撒いただろう。
今度こそ、徹底的に。
もう一度運命に捕まるなら二度と俺の前に現れるなと忠告もして、徹底的に戦ってやると、サンゴール王宮に招かれる前、王宮の人間と城に来いあんなとこ誰が行くかふざけんなという激しい舌戦を繰り広げて、ついには無理に近づいたら何をされるか分からんと城の者達を撤退させたラムセスは思う。
結局メリクにとっては、過去が重すぎて絶望に耐え切れなかったのだろう。
ラムセスはそれまで王城とは全く関わりのない人生を送って来たから、不意にそこから人間がやって来ても、俺の邪魔をするなと激怒して追い払えばいいだけだった。
大切な人間など一人もいない世界。
容赦なく薙ぎ払うのは容易い。
メリクはエドアルトに出会った時もう、戦う気力がなくなったのだ。
ふと、自分の額に何かが触れたことにメリクは気づく。
ラムセスの手が伸びて額に掛かった前髪を避け、額を指の背で撫でたようだった。
「……?」
「まだ話せるか?」
メリクは目を瞬かせてから、小さく唇で笑った。
「はい。平気です。敢えて話したくはないですが、貴方ならもういいかと」
それを聞くとラムセスは優しい表情で、子供相手にするみたいに頭を撫でた。
「お前がエドアルト・サンクロワに教えた知識がな……」
「はい。それがなにか……」
ラムセスは手を離す。
「気になるんだよな。釈然としないものがある。
……これはあれだ、お前が北嶺に行ったと聞いた時の感じに似てるんだ」
「本当に勘のいい人ですね」
「ん?」
「……俺も勘のいい人には随分慣れているつもりだったんですが、貴方には驚かされます」
「あの【魔眼の王子】がそこまで勘のいい奴とは俺には思えんがね」
ふん、と顎を反らしたラムセスにメリクは笑ってから、もう一度両脚を窓辺の上にあげた。
「勘のいい人ですよ。
俺が反逆者たちを殺したあの日も、あの人は俺の前に姿を現わしました。
その頃はもう会うことすら珍しかったのに、何の因果かあの日にね。用向きは大したことじゃない偶然でしたが……何かそういう油断ならない風向きの中にいる人なんです」
「例え存在を避けたり、躱したり、それから隠れるための意図があったにせよ、お前は幼い頃からそういう人間と遣り合って来たわけだ。
お前の魔術の感性はそうやって磨かれた」
メリクは本当に、この人がサンゴール時代にいたら、世界の何もかもが違ったんだろうなと思いながらその声を聞いていた。
「魔術を見い出した者だが、育てたがらなかった。
嫌悪しながらも、生かし続けた。
お前にとっての【魔眼の王子】は、常に冷酷な顔だけ見せる人間じゃなかった。
エドアルトの母親が言っていたな。
お前は実際【魔眼の王子】に実際指導されたこともあるし、
指導されなくなったことも両方ある。
あいつは与えることもするし、奪うこともする」
「……そうですね。確かに、あの人からの憎悪を痛いほど感じていましたけど、不思議なことに魔術の講義を受けている時だけは、自分がいい加減な教えられ方をされていると感じたことは一度もありません。
そういういい加減なことが、絶対に出来ない人なんですよ」
話しているメリクは、ラムセスが見つめて来ていることに気付けない。
(そういうとこ、よく似てるよ、おまえたち)
教え導くことと、どうしたいかという感情を、ここの師弟は切り離している。
「なんとなく、色んなことが見えて来た気がする」
「そうですか?」
「うん。お前の話を聞くまでは、希薄な師弟関係だなと思ってたが。
今は繋がりが見えてきた感じだ。
似てるなと、思う部分があるからな」
自分に似てるなど言ったら、あの人は怒り狂いそうだとメリクは思った。
「お前がエドアルト・サンクロワに、一度引き受けた以上いい加減な教えが出来なかったのは、師匠がお前に対してそうだったからか。でもそれだけじゃない」
閉じていた瞳をゆっくりと開く。
「お前はサンゴールを一度捨てた。
絶望はしても、なにもあいつを教えることはない。
国にいたら断れなかったかもしれんがエドアルトから逃げることは出来たはずだ。
神の意志なんてこの世には存在しない。
そう仕向けているように感じられたとしても。
お前は納得する理由がほしかったから誰かに命じられた気がしたと、
美化しているだけだ。
誰もお前に、エドアルトに教えろなんて言ってない。
お前が間違いなくそうしたかったんだ。
お前に与えもし、奪いもする【魔眼の王子】……お前が北嶺で死んだと聞いた時に感じる違和感が、分かった。
お前も、そうなりたかったんだな。
奪うだけじゃなくて、与える者に」
今は輝きの無い、石のような灰色に沈む瞳。
静かな横顔を見せるメリクの柔らかな輪郭を、一つだけ雫が伝い落ちた。
「エドアルト・サンクロワはお前にとって、光だった」
明かりが漏れていた。
中で仕事中だと思ったので、入ろうとして思わず手を止めていた。
「自分はどう足掻いても、どう祈っても、
どう世界が変わっても【魔眼の王子】の光にはなれない。
与える者には。
お前はそれを確信したから国を出た。
しかし心の死傷を負ってまで離別した旅の先で、エドアルトに会った。
お前の命を救った人間を父と母に持つ、完全な光の血脈。
【光の術師】。
与える人間。
あいつを自分が教えれば、自分が救われると思ったんだな、サダルメリク」
エドアルトは目を見開いて、驚いた。
抱えて来たインクを入れた箱を取り落としそうになり、慌てて持ち替え……そっと通路の床に下ろした。
「リュティス王子は、俺に魔術を与えたことを、いつも悔やんでいました。
例え教えてる時は真剣でも、終えればあの人は空虚感に襲われていた。
あの人のサンゴールの未来は、ミルグレンを見越した先にあった。
あの人にとってミルグレンは自分と同じものですが、俺は違う。
俺はあの人の敵になることを、サンゴールの多くの人間に『期待』されていた。
つまりあの人は自分自身の手で、ミルグレンの未来の敵を育ててしまっていた。
その絶望は、いくら俺にでも考えればわかります。
この命を奪えなかったのもミルグレンがいたから。
……師は、弟子と深く繋がっているという。
エドアルトは……。
貴方の言う通り光です。
いずれ多くの人間達を救う運命にある【光の術師】、彼も光の血脈だった。
リュティス王子に教えを受けた俺が例えその反対に属するものだとしても、
俺が【光の術師】を教えれば……あの人は……。
光を教えて導いたことになるんじゃないかと」
例え自分自身が変われなくても。
「オルハとキースさんの息子ならと、思ったんです。
自分が誰かを教え育てられるとは思わなかったけど。
あんなところでサンゴールの因縁に深く関わる人間に捕まった時、
死ぬほど絶望しましたが……。
でも、いい機会かもしれないと。
自分が一瞬だけ、光に触れられる、そういう機会なのかもしれないと思いました。
貴方がエドアルトの魔術知識を誉めてくれたでしょう。
嬉しかったです。
エドアルトの成長が嬉しかったんじゃなく、俺はサンゴールで悩み続けて来た。
他の誰かならまた別の生き方が出来たかもしれませんが、俺にはあれが限界だったんです。誰かに誠実にするのも、正しくあろうとするのも、秘密を抱えて傷つかないふりをするのももう無理だった。
国を出たことで、全てが無意味なことになって、
誰も大切ではなくなって――……
でもエドが俺の教えたことを、真剣な顔で、覚えて行ってくれた。
苦しみ続けたサンゴール時代が、彼を教えることで無意味じゃないものに出来た。
自分の人生の一番最後に、正しい使命を魔術でしてみたかった。
他には望みは、何も無かったから」
ガラス窓に手の平で触れた。
冷たい。
「思うことがあるんです。
あの時代【次元の狭間】が開き、
多くの、本来死ななくて済んだ命が急激に失われました。
死の時代……確かにそう思います。
でも俺は、あの災厄が訪れなければ、
もっと長く生きても救いのない、意味のない死に方を自分がしていたのではないかと。
エドアルト・サンクロワに出会わなければ」
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