第13話 選ばれないほうの気持ち
文芸部のドアを開ける前から、
今日は少しだけ、胸がざわついていた。
理由は分かっている。
昨日の放課後。
久遠先輩が帰ったあと。
私は、部室の隅で、
先輩と幼なじみさんを、黙って見ていた。
――ああ、やっぱり。
そう思ってしまった、自分がいる。
*
「こんにちは」
声をかけると、
二人がこちらを向いた。
「こんにちは、桜庭」
「おつかれー」
いつもと変わらないやりとり。
変わらないはず、なのに。
私の中だけが、
少しだけ、変わってしまった。
*
机に座り、ノートを開く。
ペンを持つ。
でも、文字が出てこない。
頭の中に浮かぶのは、
久遠先輩の姿だった。
落ち着いていて、
自信があって、
それでいて、優しい。
先輩が、
大切にしていた人。
文芸部を、
守り続けた理由。
――私は。
そこに、
入っていなかった。
*
「……書けない?」
先輩の声。
「……はい」
正直に答えてしまう。
「珍しいな」
「……少し、考え事を」
それ以上、
聞いてこなかった。
その距離感が、
逆に、苦しかった。
*
ふと、
幼なじみさんが席を立つ。
「ちょっと飲み物、買ってくるね」
「一緒に行く?」
先輩が言う。
「ううん、すぐ戻るし」
そう言って、
部室を出ていった。
ドアが閉まる。
残されたのは、
二人きりの空間。
……この時間。
少し前までは、
嬉しかったはずなのに。
*
「桜庭」
「はい」
「……何か、あった?」
優しい声。
でも。
私は、
正直に言えなかった。
「いえ」
嘘。
「本当に?」
「……大丈夫です」
大丈夫じゃない。
でも。
これ以上、
踏み込んではいけない気がした。
*
「……昨日のこと、気にしてる?」
先輩が、静かに言う。
心臓が、
跳ねる。
「久遠先輩」
その名前だけで、
胸が、ぎゅっとなる。
「……はい」
小さく、頷く。
「すごい人ですね」
「……ああ」
「先輩の、
大切な人なんですね」
言葉を選んだつもりだった。
でも。
本当は、
確かめたかった。
「……憧れの人だ」
先輩は、そう答えた。
少しだけ、
間を置いて。
「今も」
その一言で、
全部、分かってしまった気がした。
*
――ああ。
私は。
選ばれる側じゃない。
この人にとって、
私は。
文芸部の後輩で。
転校生で。
たまたま、
一緒にいる人。
それ以上には、
なれない。
*
「……先輩」
声が、
少し震えた。
「私」
一度、
深呼吸する。
「文芸部、好きです」
「……うん」
「でも」
言葉が、
喉につかえる。
「先輩が、
誰かを大切にしている場所を」
視線を、
落とす。
「私が、
奪うみたいになるのは……」
「奪う?」
先輩が、
眉をひそめる。
「そんなふうに、
思ったことはない」
「……でも」
言ってしまった以上、
止まらない。
「私は、
選ばれている気が、しません」
はっきりと。
それが、
私の誤解だと知らないまま。
*
「……桜庭」
先輩は、
少し困った顔をした。
「選ばれる、選ばれないって」
「……」
「そんな話、
したこと、なかっただろ」
「……はい」
「でも」
先輩は、
続ける。
「俺が、
ここに来てほしいと思ってるのは」
一拍。
「君だ」
……え?
顔を上げる。
でも。
それでも、
信じきれなかった。
「……文芸部の、部員として、ですよね」
逃げ道を、
用意する。
「それ以外に、
何があるんですか?」
先輩は、
すぐに答えなかった。
それが、
答えのように思えてしまう。
*
そのとき。
ドアが開く。
「ただいまー」
幼なじみさんが戻ってきた。
空気が、
ふっと変わる。
「……あ」
私の表情を見て、
幼なじみさんが、
一瞬、言葉を失う。
「……どうしたの?」
「いえ」
首を振る。
「なんでもありません」
嘘。
でも、
これ以上は言えなかった。
*
その日の部活は、
どこか、ちぐはぐだった。
会話は、ある。
笑顔も、ある。
でも。
私の中だけ、
何かが、決定的にズレていた。
*
帰り道。
一人で歩きながら、
考える。
先輩は、
優しい。
だから。
私を、
傷つけない。
でも。
それは、
選ばれている証拠じゃない。
むしろ。
選ばれないと、
決まっているからこそ。
*
「……期待しちゃ、だめ」
小さく、呟く。
文芸部は、
大切な場所。
だからこそ。
壊したくない。
自分の感情で。
*
その夜。
ノートを開く。
書いたのは、
こんな一文だった。
――選ばれない側は、
選ばれる側より、
ずっと、静かに戦っている。
それは。
誰にも、
気づかれない戦い。
私は、
ペンを置く。
そして、
決めた。
少しだけ、
一歩、引こう。
選ばれない側として。
それが。
私なりの、
文芸部の守り方だと、
信じてしまったから。
第13話 選ばれないほうの気持ち
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