第7話 文芸部は、三人分の沈黙を受け止めきれない
放課後。
今日は少しだけ、部室に向かう足取りが重かった。
理由は分かっている。
昨日、桜庭しおりと話した内容が、頭から離れなかったからだ。
久遠玲奈先輩。
文芸部を続けてきた理由。
そして、「今は自分のためでもいい」という言葉。
考えすぎだと思いながらも、
胸の奥が、落ち着かない。
*
部室のドアを開けると、
すでに桜庭が来ていた。
「こんにちは、先輩」
いつも通りの挨拶。
でも、どこか緊張しているようにも見える。
「こんにちは」
俺は席に着く。
机に原稿を広げるが、
まだペンは持たない。
「今日は、何を書きますか?」
「……書けたら、だけどな」
そんなやり取りをしていると。
コン、コン。
控えめなノック音が、部室に響いた。
ノック。
この部室では、珍しい音だった。
「……はい」
俺が返事をすると、
ドアがゆっくりと開く。
「失礼します」
聞き慣れた声。
「……ひなた?」
佐倉ひなたが、そこに立っていた。
「えっと」
少しだけ視線を泳がせてから、
桜庭の存在に気づく。
「あ」
空気が、目に見えて変わった。
「……こんにちは」
ひなたが、少しだけ硬い声で言う。
「こんにちは」
桜庭も、同じくらい丁寧に返す。
二人の間に、微妙な距離。
「どうしたんだ?」
俺が聞くと、ひなたは肩をすくめた。
「たまたま通りかかったら、
まだ電気ついてたから」
昨日と、似たような理由。
でも、声のトーンは違った。
「邪魔?」
「いや……」
否定しかけて、言葉に詰まる。
邪魔じゃない。
でも、歓迎とも言い切れない。
「どうぞ」
桜庭が、先にそう言った。
「部活中ですけど、
見学でしたら……」
その言い方が、
少しだけ「部員らしく」聞こえて、
胸がざわつく。
「じゃあ、少しだけ」
ひなたは、部室の隅の椅子に腰掛けた。
それで、三人が揃った。
*
沈黙。
今まで、二人きりなら問題なかった静けさが、
三人になると、急に重くなる。
桜庭はノートを開き、
何かを書こうとしているが、
ペンが止まったままだ。
ひなたはスマホをいじっているが、
画面を見ていない。
俺は、原稿を見つめているふりをして、
二人の存在を強く意識していた。
「……ねえ」
沈黙を破ったのは、ひなただった。
「文芸部って、
普段、こんな感じ?」
「まあ……」
俺が答える。
「静か、ですね」
桜庭が補足する。
「そういう部活だから」
「へえ」
ひなたは、部室を見回す。
「落ち着く、って言えば聞こえはいいけど」
言葉を選びながら、続けた。
「二人きりだと、
ちょっと近くない?」
その一言で、
空気が一段階、張りつめた。
「……そうですか?」
桜庭は、穏やかに返す。
「作業をするには、
ちょうどいい距離だと思います」
真っ向から否定しない。
それが、余計に刺さる。
「そっか」
ひなたは笑う。
「部活だもんね」
その「部活」という言葉が、
強調されているように聞こえた。
「……ひなた」
俺が名前を呼ぶ。
「なに?」
「冷やかしに来たなら、
もう帰ったほうが――」
「冷やかしじゃないよ」
即答だった。
少しだけ、真剣な目。
「悠斗が、何してるのか気になっただけ」
それは、嘘じゃない。
だからこそ、何も言えなくなる。
「……」
桜庭が、そっとペンを置いた。
「私、少し外しますね」
「え?」
思わず声が出る。
「トイレ、行ってきます」
それだけ言って、立ち上がる。
ひなたと目が合う。
ほんの一瞬。
何かを確かめるような視線。
「すぐ戻ります」
そう言って、桜庭は部室を出ていった。
*
残されたのは、俺とひなた。
さっきよりも、
さらに気まずい沈黙。
「……優しいよね」
ひなたが、ぽつりと言った。
「桜庭さん」
「……ああ」
「空気、読んでくれる」
それは、褒め言葉だった。
でも、どこか、
悔しさが滲んでいる。
「ねえ、悠斗」
ひなたは、俺を見る。
「楽しい?」
「……何が」
「文芸部」
答えは、もう決まっていた。
「……楽しいよ」
少しだけ、正直に。
ひなたの視線が、揺れる。
「そっか」
それだけ言って、
視線を逸らした。
「……私さ」
ひなたは、言葉を探すように、
ゆっくり続ける。
「悠斗が、
どこか遠くに行くの、
嫌なんだと思う」
心臓が、強く打つ。
「遠くって……」
「場所じゃなくて」
ひなたは、苦笑する。
「考え方、とか」
それ以上、踏み込まない。
踏み込めない。
「文芸部」
ひなたは、もう一度その言葉を口にする。
「悠斗を、変えそうだよね」
否定できなかった。
その沈黙が、答えだった。
*
ガチャ。
ドアが開く音。
「戻りました」
桜庭が、部室に戻ってくる。
空気が、また少し変わる。
「……何か、話してました?」
桜庭が、遠慮がちに聞く。
「別に」
ひなたが先に答える。
「幼なじみの、無駄話」
「そうですか」
桜庭は、それ以上聞かなかった。
でも、
何かがあったことは、
きっと察している。
三人で過ごす、残りの時間。
会話は、ほとんどなかった。
それぞれが、
別々のことを考えている。
同じ部室にいながら。
*
帰り際。
桜庭が、静かに言った。
「……今日は、賑やかでしたね」
「そうだな」
俺が答える。
「たまには、こういうのもいいんじゃない?」
ひなたが、軽い調子で言う。
でも、その目は、
少しだけ真剣だった。
部室を出るとき。
三人が、同時に廊下に立つ。
一緒に帰る、という選択肢が、
一瞬、頭をよぎる。
でも。
「私は、こっちなので」
桜庭が先に言った。
「じゃあね、先輩」
「うん」
ひなたも、反対方向を見る。
「私も、寄り道する」
「……そっか」
三人が、別々の方向へ歩き出す。
背中が離れていく。
その距離が、
ただの物理的なものじゃないことを、
俺ははっきりと感じていた。
文芸部は、
もう「一人だけの場所」じゃない。
そして同時に。
誰のものでもない場所に、
なり始めていた。
第7話 文芸部は、三人分の沈黙を受け止めきれない
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