第四章 【黄金の聖女】:偽りの救済と、加速するプロット

ルーフェンの村を後にした俺たちの旅は、一見すれば順風満帆だった。 銀髪の主役アルス、ヒロインの聖女エルナ、そして「神の筆名」を持つ俺。 奇妙な三人連れは、エルナの故郷であり、物語の第二の舞台となる『聖都フェリシタス』を目指し、黄金の麦畑が広がる街道を進んでいた。


「……アルス様、顔色が優れないようですが、大丈夫ですか?」


エルナが心配そうにアルスを覗き込む。 アルスは、右腕に癒着するように同化した聖剣エクセリオンを忌々しげに見つめ、力なく頷いた。


「ああ……大丈夫だ。ただ、この剣を握っていると、自分の意識が、自分のものではなくなるような感覚に陥るんだ……」


当然だ。俺が無理やり付け足した追加設定(アペンド)――『後悔を糧に肉体を駆動する呪い』。 それは彼が立ち止まろうとするたびに、神経を焼き、筋肉を強制的に収縮させて前へと進ませる。 作者としての俺は、その光景を冷徹な目で見つめていた。物語を停滞させることは、この世界の死を意味するからだ。


「おい、カズ。前方に魔物の群れだ。……また、お前の『予言』通りにな」


アルスが、憎しみの混じった声で俺を呼ぶ。 街道の先、俺の設定通りに、レベル30の岩石巨人(ゴーレム)の群れが道を塞いでいた。本来なら中盤の壁となる強敵だ。


「……下がってろ、アルス。お前の『強制駆動』を消費するのはまだ早い。ここは俺が――【作者権限(オーバーライド)】で片付ける」


俺は一歩前に出ると、半透明のウィンドウを乱暴にスワイプした。 ここら一帯の地形データは、かつて俺が「読者を驚かせるギミック」として詳細に書き込んだものだ。


「設定(リライト)――。この地面の下には、古代の空洞が広がっている。巨人の自重に耐えきれず、一秒後に地盤沈下が発生する!」


【オーバーライド:承認。地形属性を『脆弱』に変更します】


轟音と共に、街道が陥没した。 咆哮を上げる暇もなく、数体のゴーレムが土砂と共に地底へと飲み込まれていく。 さらに俺は指を鳴らす。


「落下した空洞の底には、俺が『いつか使うかも』と放置していた可燃性ガスが充満している。そこに火花(スパーク)を一点――!」


ズガァァァァンッ!


地底から噴き出す火柱。 本来なら死闘を繰り広げるべき強敵たちが、一言の台詞も与えられぬまま文字通り「消去」された。


「……ふん。こんなものか」


俺の口角が、無意識に吊り上がる。 全能感。脳を焼くような、圧倒的な支配の快感。 自分が書いた世界で、自分のルールに従って、すべてが計算通りに崩壊していく。 これこそが、天界院・L・カオスが求めていた至高の光景だ。


「凄いです、カズ様……! 本当に、貴方は何でも知っていらっしゃるのですね」


エルナが純粋な尊敬の眼差しを向けてくる。 だが、その光り輝くような賞賛が、今の俺には毒のように突き刺さった。 彼女が守ろうとしているこの平和な景色も、俺がかつて「この後、壊すために」用意した舞台装置に過ぎないからだ。


やがて、夕刻の光に照らされて、白亜の塔がそびえる聖都フェリシタスが見えてきた。 エルナの瞳に安堵の色が浮かぶ。だが、俺の胸中を占めるのは、更なるプロットへの焦燥だった。


「……エルナ、聖都に入ったらすぐに大聖堂へ向かうぞ。そこで君は『黄金の加護』を授かる儀式を受けるはずだ」


「えっ……? なぜそれを? 儀式のことは、教会の高位者にしか知らされていないはずなのに……」


「俺には聞こえるんだよ。この世界の『台本(シナリオ)』がな」


俺は厨二病的な笑みで誤魔化したが、内心では冷や汗をかいていた。 聖都でのイベント。それは、聖女の力を覚醒させるための重要な通過点だ。 だが同時に、そこには俺が「中盤の盛り上がり」のために用意した、残酷な裏切りが待ち受けている。


(教皇……。あいつをどう動かすか。俺の設定では、彼はエルナを依代(よりしろ)にして、古の邪神を呼び出そうとする黒幕の一人だ)


俺の指が、見えないキーボードを叩くように動く。 中盤までの無双は、俺の手の平の上だ。 だが、アルスが俺に向ける視線は、日に日に鋭さを増している。 彼の中の「意志」が、俺が与えた「設定」という枷を食い破ろうとしているのを感じる。


「……カズ。お前は、僕たちをどこへ連れて行こうとしているんだ?」


門を潜る直前、アルスが低い声で囁いた。 その瞳には、暗い聖剣の光が宿っていた。


「ハッピーエンドだ。それ以外に、俺が目指す場所はない」


俺はそう答え、聖都の喧騒へと踏み込んだ。 加速するプロット。 俺の頭の中には、完璧な勝利のシナリオが描かれている。 しかし、この時の俺はまだ知らなかった。 俺が「設定しなかった」名もなき群衆の感情や、エルナの小さな決意という微細なノイズが、緻密なプロットをどれほど無残に引き裂くことになるのかを。

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