第2話 変化


鐘の音が耳の奥に残っている。


青空。白い石畳。噴水。歓声。

何度見ても、ここは始まりの顔をしている。

 

手の甲の紋章が光る。神官が涙ぐむ。祝福が降り注ぐ。

俺だけが知っている。

この先に、必ず途切れがある。

そして、魔王は何かを隠している。


確定だ。


同じことを繰り返して、同じ終わり方をするのは、もうやめる。

今回は変える。



準備を一つだけ増やした。

封印札。術式の繋がりを鈍らせる、薄い膜。

 

フィオナは眉をひそめた。

「城内の魔力濃度は多分高い。効果は薄いと思う。」


「薄くていい」

効くかどうかを、確かめたいだけだ。


フィオナが笑う。

「勇者さま、最近ずっと顔怖いよ? 大丈夫?」


「大丈夫」

嘘だった。


レオが肩を叩く。

「ま、勝てばいいんだろ。勝とうぜ」

 

ミレイアが短く言う。

「勝つ」


その断言が、やけに眩しかった。



魔王城。

 

霧が絡みつく。空気が重い。足音が吸われる。

俺たちが踏み込んだ瞬間、魔物が雪崩れ込んできた。

 

「クロノス!」

レオが叫ぶ。

 

「先に行け! ここは俺たちが止める!」

ミレイアが盾を構える。フィオナが短く祈る。

 

いつもの形。

俺は頷いて、階段を駆け上がった。

変えるのは、ここからだ。

 


最上階。

黒曜の床。欠けた柱。溶けた彫刻。玉座の前に魔王が立っている。


「……ここまでか、勇者」

俺は返事をしない。封印札を床に叩きつけた。

白い光が走る。薄い膜が広がる。空気が一瞬だけ軽くなる。


魔王の目が、ほんの少し揺れた。


――効いた。わずかでも。

俺は一歩踏み込む。


「……俺を殺せるはずだ」


「殺せる」


「なら、なんでやらない」

沈黙が落ちる。


魔王の指先がわずかに動く。

閉じる。あの動き。


「やめろ!」


俺は剣を捨てた。床を転がる高い音が、やけに鮮明だった。

両手を伸ばす。魔王の手首を掴む。

指が閉じる前に。


冷たい。人の皮膚の冷たさだ。

なのに、重い。

魔王の目が見開かれる。


「……っ」

息だけが漏れた。


「止める。……今回は止める」

魔王の指先が震える。


「離せ」

低い声。感情が混ざった。


「離せ、勇者」


「嫌だ」

即答だった。


腕が痛い。歯を食いしばる。


「……話せ。ここで」


沈黙。


魔王の指先から、ほんの少しだけ力が抜けた。


いける。

そう思った瞬間。


魔王は、腰の剣に手を伸ばした。


「……おい」

声が掠れる。


刃が抜かれる。灯りを吸って黒く光る。


「やめろ!」


俺は腕を伸ばす。

間に合わない。


魔王は自分の喉元に刃を当てた。


一瞬、目が揺れた。

言葉にならない揺れ。


次の瞬間、刃が走った。

赤が弾ける。

魔王の膝が崩れる。


「……っ、魔王……!」

俺の手が伸びる。支えようとして――支えきれない。

重さが、するりと抜けていく。

剣が床に落ち、乾いた音を立てた。


そして

心臓が裏返る。肺が縮む。視界が反転する。

さっきまで掴んでいた手首の冷たさが、遠くなる。


(……また、これか)


音が途切れた。

俺の声も、血の落ちる音も、遠くの衝撃も。途中で断線する。

色が抜ける。熱が消える。

痛みだけが置き去りになる。


世界が、途切れた。



眩しさ。

青空。

歓声。

手の甲の光。

 

「勇者さま! あなたが、勇者です!」


戻された。


俺は息を吸った。吸えてしまう。

喉の奥に残る鉄の匂い。

手首に残る冷たさ。

そして、あの裏返る感覚。

 

魔王は、俺にやられたんじゃない。

自分で終わらせた。

俺は手の甲を見つめた。光は何も答えない。

 

(次は……もっと前だ)

魔王城に辿り着く前から変える。

そう決めた瞬間、胸の奥が冷えた。

 

そしてそれは、あいつの望む形じゃない気がした。

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