第12話「果てしない旅」

断絶の刃が切り刻む空気を、俺の『地殻の踏破者』が無理やり踏みしめる。  物理法則が狂い、ベクトルが散らされた空間。そこに、俺は「執念」という名の新しい道を作った。


「歩けるはずがないだと? 残念だったな。俺はこれまでの人生、ずっと『まともに歩けない道』を歩かされてきたんだよ!」


 満員電車の圧迫、終わらない残業の疲労、明日が見えない絶望。  そんな重圧に比べれば、この処刑人が生み出す「断絶」なんて、せいぜい「少し風が強い日の出勤」程度にしか感じない。


 ――バシュッ!!


 空中に刻んだ一歩が、処刑人の肩口を捉えた。   「な……にっ!?」


 驚愕に目を見開く処刑人の背後。俺はそこからさらに「二歩目」を空中へ踏み出す。  『地殻の踏破者』に溜め込まれた地殻竜の爆圧を、一点、奴の首筋に集中させた。


「親父が15の時に見た絶望――ここで塗り替えてやる!」


 ドッッカァッ!!


 ただの『歩行』の慣性が、奴の全身を覆う断絶の鎧ごと、その巨体を大地へと沈める。 衝撃が広範囲に広がり、道路はめちゃくちゃになった。


「が、はっ……我が刃を、すり抜け……踏み抜く、だと……」


 土煙の中に、深紅の布を千切れさせた処刑人が、膝をついて絶句していた。  奴の大剣は、俺の「歩み」そのものは斬れなかった。理屈じゃない、ただの意地が物理を超えた瞬間だった。


 父さんが、荒い息を吐きながら俺の隣に並んだ。  右腕から溢れる雷の残光を抑え込みながら、少しだけ眩しそうに俺を見る。


「……やりやがったな、アルデル。俺が魔法を千回重ねても届かなかった背中に、お前はたった数歩で届いちまったか」


「当たり前だろ。親父は魔法、俺は散歩。効率が違うんだよ」


 俺が不敵に笑った、その時。  軍勢の中央で、ずっと沈黙を守っていたあの豪華な馬車の扉が、静かに開いた。


土煙が収まる中、馬車から降りてきたのは、銀髪を短く刈り込んだ歴戦の猛者であることを一目で分からせる男だった。


 その男が姿を現した瞬間、殺気立っていた空気が一変し、どこか奇妙な静寂が広がる。


「……処刑人をここまで追い詰めるとはな。かつての相棒と、その息子か」


 父さんが目を見開いた。 「……グレイ。あんた、王宮騎士団の団長なんて柄じゃないだろ」


 父さんの口から出たのは、驚きと、そしてどこか懐かしむような響きだった。この男――グレイは、かつて父さんと共に世界を股にかけていた冒険者時代の仲間だったんだ。


「叔父様、お久しぶりです」


 馬車の影から、セレスが姿を現した。彼女は父さんのことを「叔父様」と呼ぶが、それは血縁ではなく、冒険者時代からの深い絆ゆえの敬称なのだろう。


「セレス、下がっていろ」


 グレイは娘を制し、父さんの方へ歩み寄った。かつては背中を預け合った仲間。だが今、その間には王国の「法」という冷たい壁が横たわっている。


「雷使い……。15年前、貴様が聖女を連れて姿を消した時、俺は世界を歩き続ける道を選んだ。あいつを守るためにこの小さな国の一角に留まった貴様と、自由を求めて外の世界へ飛び出した俺……。どちらが豊かな人生か、未だに答えは出んがな」


「ふん、余計なお世話だ。俺はあいつが笑っていれば、それでいいんだよ」


 グレイの視線が、父さんの背後の家――母さんがいる場所へと向けられた。


「俺は世界中の土を踏んできた。西の果ての空中都市も、南の灼熱の砂漠もな。だが、お前が選んだこの『狭い平和』も……悪くない贅沢に見える。……王命で様子を見に来たが、無理に連れ戻す気は失せたよ」


 グレイの鋭い視線が、父さんを通り越し、俺の『地殻の踏破者』へと向けられた。


「アルデルと言ったか。貴様がこの国の理を『歩み』で超えたと聞き、この目で確かめに来た。……なるほど、ガンスの爺さんが動くわけだ。その足には、かつての雷使いですら持ち得なかった魂が宿っている」


 グレイは俺の前に立ち、不敵に笑った。


「アルデル。親父は母を守るために、この国に残る道を選んだ。だがお前は違う。その靴を履いた以上、お前はもう『ただの村人』ではいられない。世界を歩き潰すほどの覚悟があるなら……いつか王都へ来い。お前の『一歩』がどこまで届くか、俺が特等席で見届けてやる」


 グレイは去り際、俺に小さな紋章入りのメダルを放り投げた。冒険者ギルドの最高ランク推薦状だ。


 軍勢が静かに引き返していく。  俺は手に残るメダルの冷たさと、新しい靴の熱さを同時に感じていた。


「父さん。……俺、やっぱりもっと遠くまで歩いてみたい」


 父さんは俺の頭を乱暴に撫で、苦笑いした。 「わかってたさ。……お前がその靴を欲しがった時から、こうなることはな」


グレイは馬車に乗り込む直前、ふと足を止めて俺を振り返った。


「アルデル。一つ勘違いするなよ。その『紅の処刑人』はこの国……この狭い箱庭の中では最強だ。だが、一歩外に出れば、奴などただの『門番』に過ぎん」


 その言葉に、俺の足裏がピリリと跳ねた。


「世界は広いぞ。魔法を喰らう魔獣、一国を一夜で滅ぼす災厄、そして……物理法則そのものを書き換えて『歩く』ことすら許さない神域の守護者。俺が旅してきた外の世界には、そんな化け物がゴロゴロしていやがる」


 グレイは不敵に笑い、俺の靴を指差した。


「その靴は、ようやくお前を『スタートライン』に立たせたに過ぎん。お前がその一歩で世界を広げたいなら、まずはこの国という甘い揺り籠を蹴り破って出てこい。……待っているぞ、アルデル」


 豪華な馬車が、砂煙を上げて去っていく。  後に残されたのは、ボロボロになった街道と、呆然と立ち尽くす俺たち親子だけだった。


「……だってさ、父さん。この国一番を倒したのに、まだ『門番』扱いだってさ」


 俺は苦笑いしながら、地殻竜の皮の感触を確かめる。  前世の社畜時代、部長を論破して「これで俺も安泰だ」と思ったら、その上に専務や常務、さらには親会社の社長という、戦っても勝てないような権力の塊が無限に続いていたのを思い出した。


 だが、今の俺には絶望感はない。  むしろ、まだ踏んでいない「道」が世界中に広がっている事実に、靴の奥の鼓動が激しくなっているのがわかる。


「……ふん、グレイの野郎。相変わらず煽るのが上手い。……アルデル、どうする。母さんには俺から上手く言っておいてやるが」


「決まってるだろ。まずは朝飯を食べて、それから……」


 俺は王都がある東の空を見据えた。


「ちょっとそこまで、世界を歩き潰しに行ってくる」


 父さんは一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐに「がはは!」と豪快に笑い飛ばした。


「よし、行け! ただし、母さん特製の弁当は忘れるなよ。それがないと、世界を救う前に空腹で倒れるからな!」


 俺の『散歩』は、もはや村の周囲を回るだけの暇つぶしではない。  家族の平和を守り、父さんの過去を超え、そしてまだ見ぬ「世界の理不尽」を踏み抜くための、果てしない旅へと変わったのだ。


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