第3話:最短で終わらせるつもりが、手助けが常態化する

歓迎式典は、始まる前から燃えていた。


燃えるなら、せめて自分の服に火が移らない距離で眺めたい。


なのに私は、なぜか火元のそばに立っている。


人生って、だいたいこうだ。


自分から火に近づく趣味はないのに、なぜか近づいてしまう。


「面倒が増えるのを避けたい」という理由で。


廊下の怒号は、だいたい内容が決まっている。


「誰の不手際だ」「先に通すべきは誰だ」「うちの家を軽んじたのか」。


この世界の貴族は、言い方が違うだけでみんな同じことを言う。


言葉のドレスを着た幼稚な縄張り争い。


ああ、嫌だ。


私の脳が疲れる匂いしかしない。


控室の空気が硬いまま固まっている。


第二王子は眉間にしわ。


横恋慕令嬢は不安げな顔(演技)で殿下の近く。


悪役令嬢枠は立ち上がり、出る気配を見せている。


出たら最後だ。


火に油を注ぐ人は、だいたい「正しい顔」をしている。


正しい顔は、面倒の免罪符になる。


私は正しさが嫌いだ。


正しい人ほど、片付けを他人に押し付ける。


(止めなきゃ)


「君、偉いね」


(偉くない。面倒が嫌なだけ)


「それを偉いって言うんだよ」


(言葉遊びはいいから黙って)


私は一歩だけ前に出た。


一歩だけ。


これ以上出ると、中心になってしまう。


中心はダメだ。


中心は主人公が立つ場所だ。


私はモブ志望だ。


「殿下。恐れながら——外の混乱は、式典係が対処いたします。殿下が動かれますと、かえって注目が集まり、収束が遅れます」


王子の目がこちらを向いた。


値踏み。


評価。


この視線が嫌い。


でも、ここで止められないともっと嫌な未来が来る。


「……そうか」


第二王子は少しだけ頷いた。


彼は中心にいることが好きだが、中心で“醜態”を晒すのは嫌いなタイプだ。


助かった。


横恋慕令嬢はすぐに頷く。


「殿下、ここは落ち着いて。イレイン様がそう仰るなら」


“私も殿下の味方です”のアピール。


上手い。


上手いけど面倒。


悪役令嬢枠だけが、私を見ている。


視線が鋭い。


「あなたが出るの?」という目。


やめてほしい。


私が出ると、私が目立つ。


目立つのは嫌だ。


でも、出ないと燃える。


燃えたらもっと目立つ。


目立つのは嫌だ。


……結局、嫌だ。


「……私が参ります」


私は式典係の上級生に目で合図を送った。


彼は即座に理解して、背筋を伸ばす。


真面目だ。


真面目な人は、私の平穏を削るけど、今日だけは便利だ。


「イレイン様、こちらです!」


私は廊下へ出た。


怒号が近い。


空気が熱い。


熱いのは嫌いだ。


眠くなるから。


いや、熱いと眠くならないか。


でも嫌いだ。


嫌いに理由はいらない。


曲がり角の先で、貴族の小さな集団が押し合っていた。


誰が先に通るかで揉めている。


いつものやつ。


私はため息を胸の内にしまい、顔に“無害な微笑”を貼った。


この微笑は防具だ。


攻撃もするが、基本は防具。


陰キャは防具を大事にする。


「恐れ入ります。式典係の者でございます」


私は札を見せる。


札は正義だ。


そして正義は、面倒を黙らせる。


少なくとも一時的に。


「現在、動線が一部詰まっております。上席の方々は右手の回廊より、その他の方々は左手よりお進みください。順番は名簿の通りに——」


「名簿? 誰が決めた!」


「学園でございます。式典の進行は——」


「我が家を下に見るのか!」


ああ、出た。


この手の台詞は、どの世界にもある。


私は頭の中で数を数える。


一、二、三。


呼吸を整えるための数。


怒鳴り声は、相手の都合でこちらの心拍を上げようとする。


私はそれに乗らない。


乗ると、疲れる。


疲れると、平穏から遠ざかる。


私は“責任の所在”を個人から制度へ押し付けることにした。


個人を責めると燃える。


制度を責めても、制度は燃えない。


制度は便利だ。


私の人生、制度に救われがちだ。


「恐れながら。こちらは学園の規定に基づく順でございます。ご不満があれば、式典後に正式な形で——」


“正式な形”は魔法の言葉だ。


今ここで殴り合うな、という意味を、角を立てずに伝えられる。


角を立てたら燃える。


燃えると面倒。


私は燃やしたくない。


相手は渋い顔をした。


不満は残っている。


でも、ここで暴れて“規定を破った貴族”という汚名を背負うのは嫌だ。


貴族は体面で動く。


体面は面倒だが、操れる。


私は操りたくないけど、今日は操る側に回るしかない。


押し合いがほどける。


人の流れが整う。


怒号が遠のく。


——一応、鎮火。


私は、目の奥の疲労を隠しながら、上級生に小声で言った。


「右の回廊に一人、教師を立たせてください。『規定』を盾にする役です。私は、ここを離れます」


上級生が頷き、走る。


走るのは偉い。


私は走りたくない。


走ると心臓が働く。


働くと疲れる。


疲れると布団が恋しくなる。


布団はいつだって正しい。


控室へ戻ると、そこには“物語の中心”が、整然と座っていた。


第二王子は何事もなかったように姿勢を正している。


横恋慕令嬢は心配そうに私を見る(演技の目)。


悪役令嬢枠は無表情で、でも少しだけ、何かを考えている目。


考えないで。


考えると、私が“意味のある存在”になる。


意味のある存在は、面倒を呼ぶ。


「ご苦労だったな」


第二王子が言う。


私は頭を下げる。


「恐れ入ります。式典係の務めでございます」


この一文で、私は空気に戻れる。


空気は最高だ。


空気は責任を取らない。


横恋慕令嬢がすかさず言う。


「まあ……さすがソレイユ侯爵家のご令嬢。落ち着いていらして、とても頼もしいですわ」


やめて。


頼もしい認定はやめて。


頼もしいと、頼られる。


頼られると、面倒が増える。


面倒が増えると、私は死ぬ。


比喩じゃなく、心が死ぬ。


「恐れ入ります。たまたま、規定がございましたので」


私は微笑で受け流した。


“私がすごい”ではなく、“規定がすごい”。


責任の押し付け先を作る。


規定は今日も私を救う。


歓迎式典自体は、その後、比較的スムーズに始まった。


比較的、だ。


“比較的”という言葉は、世界の現実にぴったりだと思う。


完璧なんて存在しない。


存在するのは、比較的ましな地獄だけ。


私は式典係として、端で資料を持つ役に落ち着いた。


端っこ。


やっと端っこ。


私は端っこの幸福を噛みしめる。


端っこにいると、会話が減る。


会話が減ると、責任が減る。


責任が減ると、眠りが近づく。


眠りは正義。


……しかし世の中は、私の眠りを許さない。


式典の最中、横恋慕令嬢が何度も、さりげなく私の近くを通った。


通って、目を合わせて、微笑んで、軽く会釈していく。


“友好の印”だ。


周囲の令嬢たちは、それを見ている。


「横恋慕令嬢が親しくしている相手」として、私が認識される。


やめて。


私は認識されたくない。


私はモブ。


モブは背景。


背景は友好を示さない。


(あの子、私を足場にしてない?)


「してるね。君、使いやすいもん」


(嬉しくない)


「でもさ、使われる方が安全な時もあるよ」


(……それは、そう)


使われるのは面倒だが、敵視されるよりはまし。


この世界は、敵視されると面倒が爆発する。


私は爆発が嫌いだ。


片付けが大変だから。


式典が終わる頃には、横恋慕令嬢は第二王子の近くに自然に立っていた。


自然に。


自然に見えるように整えられている。


恐ろしい。


努力を努力に見せない人は強い。


私は努力を努力に見せたい。


「努力したので休みます」って堂々と言いたい。


言えない。


言えないから陰キャなのだ。


そして、式典が終わった翌日。


私の平穏は、また削られた。


「イレイン様。少し、お時間を頂けますかしら」


学園の廊下。


昼休み。


私は図書室に逃げ込もうとしていた。


逃げの動線は完璧だった。


だったのに、完璧なタイミングで声をかけられた。


完璧は敵だ。


横恋慕令嬢が、にこにこしながら立っている。


背後に取り巻き数名。


護衛みたいに微笑んでいる。


怖い。


笑顔の集団は怖い。


笑顔は刃物より怖い。


刃物は避ければいいが、笑顔は避けると悪者になる。


「はい。何でしょう」


私の声は平坦。


余計な感情を入れない。


感情を入れると、相手が“話せる人”だと勘違いする。


勘違いされると面倒だ。


「実は……殿下と、もう少しお話する機会が欲しくて。昨日の控室では、ゆっくりお話できませんでしたもの」


ああ、来た。


“偶然の再会”を増やしたい人の台詞。


王道の香りがする。


でも私は王道の参加者じゃない。


観客席でポップコーンを食べる役だ。


ポップコーンはこの世界にないけど。


「学園内での殿下の動線は、護衛と侍従が管理しておりますので……」


私はやんわり断ろうとした。


だが、横恋慕令嬢は微笑んだまま、言葉を重ねる。


「ええ、ですから“偶然”でよいのです。ご負担にならない形で。イレイン様はお詳しそうですし、昨日もとてもお上手でしたから」


上手い。


上手い認定、やめて。


上手いと、また頼られる。


頼られると面倒。

 

面倒が増える。


私が死ぬ。


さっきからこのループだ。


私の人生、ループ多すぎる。


(断りたい)


「断ればいいじゃん」


(断ると、面倒が増える)


「……うん。増えるね」


(ならどうする)


「最小の手間で終わらせる」


(それができたら苦労しない)


私は頭の中で、天秤を出した。


断る場合の面倒:横恋慕令嬢の機嫌を損ねる→噂→嫌がらせ→防御→さらに面倒。


一回だけ協力する場合の面倒:動線を少し調整→短期的に終わる可能性。


短期で終わるなら、こちらの方が軽い。


問題は、“一回だけ”で終わらないことが多い点だが。


それでも、今は選ぶしかない。


面倒の世界では、完全勝利は存在しない。


あるのは被害軽減だけ。


「……学園規定の範囲で、できることだけになりますが」


私は言った。


横恋慕令嬢の目がきらりと光る。


成功の目。


やめて。


成功すると、次も来る。


でも、もう言ってしまった。


「ありがとうございます! ほんの少しでいいのです。例えば……図書室での閲覧席など、殿下が落ち着ける場所を」


図書室。


そこは私の避難所。


そこをイベント会場にする気か。


最悪だ。


最悪だが、図書室なら騒がれにくい。


騒がれにくいのは助かる。


私は自分を慰める。


「図書室は予約制の席がございます。上級生が使用する時間帯もありますので、空きの確認が必要です」


私は淡々と説明した。


“協力している”というより、“手続きを案内している”体で。


そうすれば私は共犯ではなく、案内役でいられる。


案内役は空気に近い。


空気は責任を取らない。


横恋慕令嬢は頷き、素直に聞く。


素直さも武器だ。


「では、その空きを……」


「式典係経由で学園側に申請を出せば、調整は可能です。ただし、“殿下のため”と明記すると騒ぎになりますので、来賓閲覧枠として——」


私は自分の口が回りすぎていることに気づいて、内心で殴った。


やめろ。


その最適化癖、やめろ。


最適化すると、相手が得する。


相手が得すると、次も求めてくる。


私は自分を守れ。


それでも私は、最適化を止められなかった。


面倒が嫌いだから。


面倒を減らすには、手順を整えるのが一番早いから。


嫌な才能だ。


いらない。


返品したい。


その日のうちに、私は図書室の予約表を確認し、空きの時間を見つけた。


廊下の動線も確認し、そこで“偶然”が起きても混乱しないよう、ぶつかりやすい時間帯を避けた。


挨拶の順番が集中する時間を避け、教師が巡回する時間帯に寄せた。


第三者として同席する上級生(本好きで口が堅い子)も、自然にその席に座るよう誘導した。


全部、地味。


地味で、面倒。


そして、魔法は一切使わない。


使ったら痕跡が残るかもしれない。


痕跡は面倒だ。


私は痕跡が嫌いだ。


結果。


第二王子は図書室で横恋慕令嬢と“偶然”出会い、短い会話を交わした。


横恋慕令嬢は“殿下のお疲れを癒す”話題を用意していた。


王子はそれを心地よく受け取った。


周囲は静かだから、噂になりにくい。


——私の目的は達成された。


面倒は増えなかった。


増えなかった……はずだった。


翌日、横恋慕令嬢がまた私を呼び止めた。


にこにこ。


当然のように。


「イレイン様。昨日は本当にありがとうございました。殿下、とても喜ばれていましたわ」


私は笑顔で頷く。


ここで突っぱねると角が立つ。


角が立つと面倒。


だから笑う。


笑顔は防具。


「それは何よりでございます」


「それで……もし可能なら、今度は食堂で。殿下、甘いお菓子がお好きだと伺いましたの」


ああ、来た。


二回目。


一回だけのつもりが、二回目。


私は心の中で床に突っ伏した。


廊下の床は冷たいだろうが、心の床は柔らかい。


現実の床に突っ伏したら問題になる。


問題は面倒だ。


だから心で突っ伏す。


(常態化してない?)


「してるね」


(最短で終わらせるつもりだったのに)


「君が最短で整えちゃうからだよ」


(責めるな)


「褒めてる」


(褒めないで)


私は、ここで一つだけ救いを見つけた。


横恋慕令嬢は、私を“敵”として見ていない。


むしろ“便利な同席者”として見ている。


便利枠は、攻撃されにくい。


攻撃されにくいのは助かる。


私は自分を慰める(二回目)。


そしてもう一つ。


悪役令嬢枠——深紅の少女が、最近、私を見る目を変えている。


変えないでほしい。


変えると、意味が生まれる。


意味は面倒だ。


……なのに。


図書室での“偶然”の日、私は帰り際に彼女とすれ違った。


彼女は足を止めた。


そして、私の目を見て言った。


「……あなたは、誰の味方?」


問いは短い。


声は低い。


周囲に人はいない。


逃げ道がない質問だ。


でも、私は逃げ道を作るのが得意だ。


得意というのが嫌だ。


「式典係の務めを果たしているだけです」


私は即答した。


真実。


半分は。


残り半分は「面倒を減らしたいだけ」だが、それは言わない。


言うと誤解が生まれる。


誤解は面倒だ。


悪役令嬢枠は一瞬、目を細めた。


「そう。……あなたは、変わらないのね」


その言葉が、胸の奥に残った。


変わらない。


それは、たぶん彼女にとって希少なのだ。


周りは彼女に対して、恐れたり、媚びたり、敵意を向けたり、勝手に“役”を押し付ける。


私は押し付けない。


押し付けないのは、関わりたくないからだ。


でも彼女には、それが“平常運転”に見えるらしい。


……やめてほしい。


好感は、面倒の入口だ。


それでも。


その日から彼女は、廊下ですれ違うと私に小さく会釈するようになった。


会釈は軽い。


軽いけど、積み重なると重くなる。


私は積み重なる未来が見える。


見えるから嫌だ。


嫌だが、今は止められない。


止めたら、また別の面倒が生まれる。


私は今日も、食堂の席を“たまたま”空けるための手順を考えながら歩く。


図書室の次は食堂。


次は講義室。


次は中庭。


王道イベントの導線が、私の手のひらの上で整えられていく。


整えるたびに、平穏が近づくはずなのに。


なぜか、別の種類の面倒が育っていく。


——信頼。


横恋慕令嬢からの“便利認定”。


悪役令嬢枠からの“変わらない人認定”。


そして、第二王子からの“覚え”。


覚えられるのが、いちばん嫌だ。


覚えられたら、物語に名前が書かれてしまう。


私は背景がいい。


背景がいいのに。


私は内心で呟いた。


(……これ、早く終わらせたい)


神様が気楽に返した。


「終わらないよ。だって物語だもん」


(私は物語の外で寝たい)


「寝るために動くんでしょ?」


(……うるさい)


食堂の扉が見えた。


人の声がする。


甘い匂いがする。


面倒の匂いもする。


私は、ため息を飲み込んで、笑顔を貼り直した。


そして思う。


最短で終わらせるつもりだった。


本当に。


でもたぶん——

“最短で終わらせるための手助け”が、私の日常になっていく。


そんな予感が、もう当たってしまっている気がした。

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