第2話:歓迎式典の待機室で、事故を防いだら事故が起きる
入学式が終わった瞬間、人類は「安心して騒げる」生き物になる。
つまり、式典が終わったら終わったで、別の式典が始まる。
歓迎式典。
名目は「新入生の門出を祝う場」。
実態は「各家が顔を見せ合い、序列を確認し、誰が誰の味方かを測る場」。
面倒の展示会だ。
入場無料なのが唯一の救い。
私は式典係として、広間の外の動線整理に放り込まれていた。
手には進行表。頭には責任。胃にはストレス。
……いや、胃にストレスは入らないか。比喩だ。
比喩は、現実より軽いから便利だ。
現実は重い。持ちたくない。
「イレイン様、こちらの来賓待機室の確認をお願いします」
「はい」
返事は短く。
歩幅は小さく。
存在感は薄く。
それが私の理想だが、残念ながら私はソレイユ侯爵家の令嬢という“肩書きの光源”を背負っている。
暗がりに隠れる努力をしても、肩書きが勝手に照らしてくる。
やめてほしい。
廊下の角を曲がったあたりで、空気が変わった。
さっきまでのざわつきが、妙に「よそゆき」になる。
誰かが来る。
偉い人。
偉い人は、だいたい面倒を連れてくる。
(第二王子、来る?)
「来るよ。イベントの匂いが強いもん」
(匂いって言うな。リアルに臭そう)
「君、容赦ないね」
(容赦は面倒の元)
私は廊下の端に寄り、通路を確保した。
これだけで事故が減る。
事故が減れば騒ぎが減る。
騒ぎが減れば私の平穏が一ミリ守られる。
一ミリでも守りたい。
一ミリが積み重なれば、布団に近づける。
足音が来た。
護衛の靴音は揃っていて、侍従の声は柔らかい。
そして中心に、あの金髪。
第二王子。
笑顔は完璧、目は冷めている。
人を見ているというより、「配置」を見ている目だ。
ああ、王道の王子様って、たいていこういう目をしている。
“自分が物語の中心”だと疑わない目。
私は、できれば端っこの小石でいたい。
「殿下。こちらへ」
私は式典係の権限を最大限に活用して、王子を“正しい部屋”ではなく“安全な部屋”へ誘導した。
正しい部屋は、あの悪役令嬢枠が待機している控室の近く。
安全な部屋は、その手前の小待機室。
動線を切り分ければ、衝突が減る。
衝突が減れば、面倒が減る。
我ながら合理的だ。
合理的は正義。少なくとも私の中では。
王子が入室し、侍従が続く。
私は扉を閉めかけて——また、あの声を聞いた。
「殿下ぁ! こちらにいらっしゃったのですね!」
明るい。甘い。完璧。
そして、“距離が近い”。
見なくても分かる。
横恋慕令嬢枠が、今日も元気だ。
彼女は廊下を小走りで駆けてきて、扉の前でぴたりと止まった。
止まり方まで計算されている。
息が上がっていないのに、少し息を弾ませる演技。
頬の色も、たぶん調整している。
私は演技が嫌いではない。
演技は、相手の期待を満たして早く場を終わらせる道具だから。
ただし、その演技が私の平穏を削る方向に作用するなら話は別だ。
「入学式、お疲れではございませんか? 殿下のご負担が少しでも軽くなればと……」
「気遣いをありがとう。君は、いつもよく見ている」
ほらね。
王子の声が柔らかくなる。
“肯定してくれる女”に惹かれる導線が敷かれていく。
私はただ、事故を減らしたかっただけなのに。
どうして私は、恋愛イベントの受付みたいな位置に立っているのだろう。
このまま二人を同じ部屋に入れると、問題がある。
小待機室は狭い。
距離が近いと、他者が入り込む余地がない。
つまり、後から誰かが入ってきたとき、衝突の確率が上がる。
そして「後から誰かが入ってくる」の代表例が——悪役令嬢枠だ。
私の平穏センサーが、びりびり鳴っている。
(神様。これ、やばい気がする)
「うん。やばいね。だってさ、今から“遭遇イベント”起きるよ」
(起こさない方向に動いていい?)
「君の人生はだいたいそうだよね」
(褒めてないから)
「褒めてるよ」
私は横恋慕令嬢に向き直った。
表情はにこやか。声は柔らかく。目は優しく。
中身は、面倒の回避ルート検索中。
「お嬢様、殿下はこれから歓迎式典の準備確認がございます。こちらの待機室では少々手狭で……」
「あら、そうなのですね。では私が、殿下のお邪魔になってしまいますわ」
「いえ。ですので、殿下には隣の来賓控室へお移りいただくのがよろしいかと」
言い方が大事だ。
“あなたが邪魔”ではなく、“部屋が手狭”。
責任の所在を空間に押し付ける。
空間は反論しない。
私は空間が好きだ。
王子は一瞬、私を見る。
値踏みの目。
だが、式典係としての建前がある。
ここで逆らうと「秩序を乱す王子」になる。
王子は、そう見られるのが嫌いそうだった。
だから頷く。
「分かった。案内してくれ」
「かしこまりました」
私は王子を隣の広い控室へ誘導することにした。
来賓控室。
本来、王族用に整えられた場所だ。
広い。護衛も置ける。出入口も二つある。
つまり、事故が起きても“逃げ道”がある。
逃げ道があると、面倒の規模が小さくなる。
私は逃げ道が大好きだ。
横恋慕令嬢も、当然のようについてくる。
当然のように。
当然のように、腕一本分の距離に。
近い。
近いというだけで面倒は増える。
近いと、言葉を交わさないと不自然になる。
不自然は噂の餌だ。
噂は面倒の苗床だ。
控室に着く。
扉が開く。
豪奢なソファ、壁の装飾、窓から入る光。
王子が入室する。
そして——窓辺に、あの少女がいた。
悪役令嬢枠。
深紅の髪、銀の瞳。
背筋がまっすぐで、空気が冷える。
彼女はここにいるべきではない。
本来は別の控室のはずだ。
どうしてここに——
「……」
彼女がこちらを見た。
視線だけで、廊下が凍る。
横恋慕令嬢も気づいた。
次の瞬間、彼女の笑みが一段明るくなる。
“勝てる相手が来た”という明るさ。
ああ、やめて。
やめて。
今この場で火花を散らさないで。
私は火花の掃除が嫌いなの。
焦げ跡が残ると、さらに面倒なの。
(事故を防いだら、事故が起きた)
「タイトル回収」
私は心の中で頭を抱えた。
そして、すぐに頭を切り替える。
ここで私が崩れると、誰も止まらない。
止まらないと、燃える。
燃えると、面倒が増える。
増えた面倒は、なぜか私に降ってくる。
世の中はそういう仕組みだ。
私は一歩前に出た。
目立ちたくないのに。
でも、今目立たないともっと目立つ未来が来る。
面倒回避は、いつも苦い選択だ。
「殿下。こちらの席へ」
私は王子をソファの中心ではなく、少し奥の席へ誘導した。
中心は争いが起きやすい。
奥は、守りやすい。
護衛が位置取りしやすい。
それだけで衝突率が下がる。
統計は取っていないが、感覚で分かる。
感覚は、陰キャの生存戦略だ。
「まあ……!」
横恋慕令嬢が、わざとらしく小さく声を上げた。
「こちらにいらしたのですね、ええと……」
悪役令嬢枠を見て、名前を呼ばない。
呼ばないことで、“距離”を作る。
距離を作って、自分が王子の側にいる理由を強調する。
上手い。
上手いけど、面倒。
上手い面倒が一番厄介だ。
悪役令嬢枠は、横恋慕令嬢を見て、何も言わない。
言わないことで、“格”を保つ。
そして周囲は、その沈黙を「冷たい」と受け取る。
王道だ。
王道の溝は、だいたい無言で深くなる。
王子が、悪役令嬢枠の方を見た。
「ここにいたのか。……準備の確認は?」
彼の口調は丁寧だが、どこか“面倒そう”だ。
彼にとって、彼女は「すでに用意された婚約者」。
努力しなくても手に入るものには、感謝が薄い。
そういう人間は多い。
残念ながら、王族にも多い。
むしろ王族の方が多いかもしれない。
努力しなくても周りが頭を下げるから。
悪役令嬢枠が静かに答える。
「確認は済んでおります。殿下のご都合に合わせて動けるよう、こちらに」
声も姿勢も完璧。
完璧すぎて、周囲に“隙”を与えない。
隙がないと、人は勝手に隙を作って叩く。
面倒な心理だ。
横恋慕令嬢が、柔らかく割り込む。
「まあ、さすがでいらっしゃいますのね。殿下にとって、どれほど心強いことか……」
“殿下にとって”。
主語を王子にする。
そして、悪役令嬢枠を「道具」の位置に置く。
上手い。
上手いけど面倒。
面倒の才能がある人は、だいたい成功する。
私の平穏を犠牲にして。
王子が微笑む。
「そうだな。——君も、そう思うだろう?」
悪役令嬢枠に同意を求める。
同意させれば、場は丸く収まる。
しかし、同意させるのは“強要”に近い。
彼は気づいていない。
気づかないから王子なのかもしれない。
気づかないから面倒なのかもしれない。
悪役令嬢枠の瞳が、わずかに細くなる。
拒絶ではない。
ただ、感情が一ミリ動いた。
その一ミリが、噂の種になる。
私は種が嫌いだ。
芽が出ると刈らないといけない。
刈るのが面倒だ。
——ここで、私の役目が決まった。
この場を荒らさない。
荒れた痕跡を残さない。
誰にも“私が関与した”と悟らせない。
ついでに、転生者同士の正体も匂わせない。
禁止事項は絶対だ。
バレたら、面倒が無限になる。
私は、控室の隅に置かれていた茶器に目をつけた。
完璧な逃げ道。
貴族社会で「お茶を淹れる」は、会話の温度を調整できる。
沈黙がまずいときは、手を動かして間を作れる。
言葉が刺さりそうなときは、香りで空気を薄められる。
そして何より、私が中心から離れられる。
「失礼いたします。お茶をお持ちいたしますね」
私は誰の許可も取らずに動いた。
式典係の札は万能だ。
“気が利く”という評価は、面倒だが今は利用する。
湯を注ぐ。
香りが立つ。
カップを並べる。
手を動かすと、心も少し落ち着く。
陰キャの儀式。
現代でも異世界でも変わらない。
その間に、横恋慕令嬢の声が続く。
「殿下、学園生活ではきっとお疲れになることも多いでしょう? 私、できる限りお力になりたいのです」
王子がそれを受け取る。
「君は優しいな」
悪役令嬢枠は黙っている。
黙っているから冷たく見える。
王道の加速装置が、いま目の前で組み上がっていく。
私はカップを持って、そっと近づく。
そして配置する。
王子の右手側。
横恋慕令嬢の手前。
悪役令嬢枠の少し奥。
——距離を作る。
距離は衝突を減らす。
衝突が減れば面倒も減る。
私は距離が好きだ。
人間関係も距離がすべてだと思っている。
「ありがとうございます、イレイン様でしたわね」
横恋慕令嬢が私を見た。
にこにこ。
覚えた。
私は今、覚えられた。
最悪だ。
覚えられると、次から「お願い」が来る。
お願いは断ると面倒、受けるともっと面倒。
どっちに転んでも面倒。
面倒の二択は、人生の定番メニューだ。
「いえ。式典係の務めでございます」
私は無害な笑みを貼った。
自我はしまう。
自我を見せると絡まれる。
絡まれると面倒。
私はモブ。
私はただの便利な空気。
そう、便利な——
「……あなた」
悪役令嬢枠が、私を見た。
さっきと同じ目。
刺すみたいに真っ直ぐな目。
でも、そこにわずかに“観察”が混じっている。
私の動き。
私の配置。
私の距離感。
見られている。
やめて。
分析されると、余計な意味が生まれる。
意味が生まれると、噂が生まれる。
噂が生まれると面倒が増える。
「はい」
「……式典係は、ここまで気を回すのね」
「……揉めると、進行が滞りますので」
私は本音を誤魔化した。
“揉めると面倒”が本音だが、それを言うと人間性が疑われる。
疑われると面倒だ。
だから私は「進行」という言葉に逃げる。
進行は正義だ。
正義は、たいてい面倒を正当化する。
私は面倒を正当化したくないけど、今日は必要だ。
その瞬間だった。
控室の扉が、勢いよく開いた。
息を切らした式典係の上級生が飛び込んでくる。
顔色が悪い。
嫌な予感がする。
嫌な予感は当たる。
当たるから嫌だ。
「申し訳ありません! ……来賓の動線で、少し……いえ、かなり……」
言い切る前に、廊下の向こうから怒号が聞こえた。
男の声。
誰かが誰かを責めている声。
そして、何かが倒れる音。
金属の音。
——事故だ。
私が防いだはずの事故が、別の場所で起きた。
事故は、形を変えて必ず来る。
世の中はそういう仕組みだ。
王子が眉をひそめた。
横恋慕令嬢が不安げな顔を作る。
悪役令嬢枠が立ち上がる。
立ち上がっただけで、空気がさらに冷える。
ああ、最悪の連鎖が始まる。
ここで誰かが出る。
出た先で火に油を注ぐ。
油を注げば、燃える。
燃えたら、面倒が増える。
増えた面倒は、なぜか私の方へ流れてくる。
私は、笑顔のまま、心の中で叫んだ。
(お願いだから、誰も動かないで)
神様が、呑気に言った。
「動くよ。だって主人公キャラがいるもん」
私は、静かにカップを置いた。
そして、内心で決めた。
——これ以上燃えるなら。
私は“何もしないために”、動くしかない。
歓迎式典は、まだ始まってすらいないのに。
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