第9話聞こえない電話とYouTubeの証言者


山伏慶太が安藤ありさの新たな奇行を発見し、それが事件解決に繋がっていくエピソードを執筆します。


***


### 第5話:聞こえない電話とYouTubeの証言者


おれはまた、富樫さんのデスクの前で頭を抱えていた。

いや、事件じゃない。今回は純粋に、あの女に関する素朴な疑問だ。


「**彼女、おもしろいんですよ。聞いてくださいよ、富樫さん**」


おれが切り出すと、富樫さんは淹れたてのコーヒーを一口すすり、面白そうに口の端を上げた。


「**おう、楽しみだな。今度はなんだ?** 生き埋めから生還する以上のネタがあるのか?」

「ありますよ! **はい**、聞いてください」


おれは身を乗り出した。

「最近、**彼女はやたらと電話してるんです**。カフェでも公園でも、ずーっとスマホを耳に当てて。相槌がまたリアルで、『**うん!うんて**』とか、『**はい!**』とか、真剣に誰かと話してるようにしか見えないんですよ」

「ふむ。まあ、友達の一人や二人…は、いなさそうだな、あの子」

「でしょ? それで、おれもおかしいな、と。『**あれ?会話してないな**』って思い始めて。だって、彼女、相槌しか打ってないんですよ。ずっと」


おれは、核心の部分を話すために一度ゴクリと唾を飲んだ。

「それで先日、決定的瞬間を捉えようと、背後からこっそりスマホの画面をみたんですよ」


「おう」

「そうしたら…通話画面じゃなかったんです」

「じゃあ、なんだ?」


「**画面が、ユーチューブの画面でした**」


「…………はぁ?」

富樫さんの、本日何度目かわからない間の抜けた声が響いた。

YouTubeを見ながら、さも誰かと電話しているかのような相槌を打つ女。意味がわからない。怖すぎる。


富樫さんはこめかみを押さえた。

「…山伏君、悪いが俺は今、ネット配信者が失踪した事件で手一杯なんだ。君のパートナーの奇行に付き合ってる暇は…」

「配信者の失踪、ですか?」

「ああ。一週間前に自宅からライブ配信をしたのを最後に、ぷっつりと。部屋は荒らされておらず、怨恨の線も薄い。残されたのは、最後の配信のアーカイブ動画だけだ」


その言葉を聞いた瞬間、おれの頭の中で、パズルのピースがはまる音がした。

まさか、な。


---


おれは、ありさのアパートを訪ねた。

彼女はイヤホンをして、例のごとくスマホの画面を見ながら、真剣な顔で頷いていた。

「うん…うん、それで?…ああ、そうなの」


おれは無言で、彼女がしていたイヤホンの片方をひったくった。


「…っ! なにするのよ、人の話の途中で」

「誰と話してるんだ」


おれの耳に聞こえてきたのは、イヤホンから流れる単調な雨音のASMR動画の音だけだった。

会話なんて、どこにもない。


「とぼけるな。お前、いつもこうやってYouTube見ながら、電話してるフリしてるだろ。一体、何がしたいんだ」


ありさは呆れたようにため息をつくと、スマホの画面をおれに見せた。

そこに映っていたのは、富樫さんが話していた、行方不明になった配信者の最後のライブ配信映像だった。


「だから、話してるって言ってるでしょ」

「誰と!」


ありさは、動画の中で緊張した面持ちでカメラに向かって話している、配信者の青年を指差した。


「**この人と**」


「…は?」

「この人、ずっと同じことを喋ってるんだよ。『怖かった』『赤い車が見えた』『変な匂いがした』って。自分がもう、ここにいないってことに、気づいてないみたい」


おれの背筋が凍った。

彼女は、イヤホンから流れる音を聞いていたんじゃない。

この、映像の中に記録された、過去の時間の断片。そこに閉じ込められた、彼の魂の「声」を、聞いていたのだ。


「…ありさ、彼が他に何か言ってなかったか」

「『倉庫みたいな場所』『海の匂いがする』って。あと、『腕に蛇のタトゥーがある男が来た』とも言ってた」


それは、動画の中のどこにも映っていない情報だった。

おれはすぐさま富樫さんに電話した。


---


結果、ありさの「YouTubeの証言者」からの情報は、驚くほど正確だった。

沿岸部の倉庫街、腕に蛇のタトゥーがある前科持ちの男。犯人はあっけなく逮捕され、配信者も無事に保護された。


後日、生活安全課で富樫さんが頭を抱えていた。

「…もう、わけがわからん。なんだ、安藤君は動画翻訳機か何かか? うちのサイバー犯罪対策課にスカウトしたいぞ、本気で」

「やめといた方がいいですよ。翻訳料、吹っかけられますから」


おれは、一人で誰にも聞こえない「声」と対話し続ける、ありさの姿を思い浮かべていた。

彼女の世界は、どれだけ多くの声で溢れているんだろう。

それは、きっと、ひどく孤独な作業に違いなかった。


そんなことを考えていると、ひょっこりと課のドアからありさが顔を出し、おれの前に手を突き出した。


「で? 今回の翻訳料、弾んでくれるんでしょ、検針員さん」


その、いつもと変わらない不遜な態度に、おれはなぜか、心の底からホッとしたんだ。

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