①
二時間目が終わった段階で既に翔真は眠くなってきていた。
この分だと次の数学の授業は絶望的だと考えて、一階の自販機に缶コーヒーを買いに行くことにした。
春眠暁を覚えず、という言葉がある。
意味を正しく理解しているとは言えなかったが、翔真は「分かる、春って眠いよな」と常々思っていた。
ただし、今は春ではなく六月、それも第四週で、樵木翔真が眠気を感じているのは年中だ。その文句を残した古代中国の詩人は翔真のいい加減な理解と適当な同意にあの世で憤慨しているかもしれない。
談笑する生徒達で騒がしい廊下を進みながら、なんでこんなに眠いんだろ、と考えてみる。
ここ数日は早く床に就くようにしていた。なのに、どうにも眠い。
六月上旬から続く戦いが影響しているのだろう。
戦闘を行えば体力を消耗する。何より精神的に疲れる。
さっさと終わりにしたいものだ。
リタイアすれば、すぐにこんな重圧からは解放されるのだろうが。
「…………」
昨日戦った茶髪の少年のことを思い出す。
大きな剣を背負った彼は、どんな願いを抱き、戦いに望んでいたのだろうか。
勝った後はいつもこうだ。考え込んでしまう。
達成感はある。
疲労感も正直心地良い。
戦っている際には、高揚感も――ある。
だがしかし、その日の夜や、そうでなければ翌日の昼間、ふとした瞬間に思い悩んでしまう。
物思いに耽る。これまでのことを思い出す。
自分の想いや誰かの願いについて。
「しょ、お、まっ!」
背後からいきなり抱き着かれた。誰かは分かっている。
翔真は呆れながら、
「人が見てるだろ、ミミ」
と言った。
言われたミミこと花見蓮巳は、翔真の横に並ぶと、にやりと笑う。
「……なんだよ、その笑い」
「他の人が見てなかったらいいんだー」
「そんなことは言ってない!」
揚げ足を取られてしまった。
「コイツは男心をまるで分かっていない」。内心で文句を呟く。
蓮巳は子どもの頃と同じようにじゃれているつもりなのだろうが、高校生にもなって、小学生のような接し方をされても困る。
控えめながら確かに感じる柔らかさとか、香る彼女のシャンプーの香りとか、そういった諸々に動揺しないよう努めることがどれくらいに大変か、彼女は理解していないらしい。
かと言って、「ドキドキしてしまうから、そういうスキンシップはやめてくれ」なんて告げられるはずもない。恥ずかし過ぎるし、情けなさ過ぎる。
女子の求める「格好良さ」はどうでもいいと思っている翔真だが、自分で「ダサい」と思うような行動はしたくなかった。
二人して角を曲がり、階段を下りる。ここまで来ると生徒の数も少なくなる。
隣を歩く蓮巳が声量を落として質問を投げ掛けてくる。
「……あと三つだね」
「ああ、三つだ。俺が六つ。お前が二つ。安土が一つ。合計九つだから、三つ集めれば終わり」
そっか、と蓮巳は頷いた。
「今日の作戦会議は何処なんだっけ」
「カラオケ」
「じゃ、一緒に行こうよ。迎えに行くからさ」
断る理由もなかったので、分かったと返すと、「嬉しかろ?」との答えが。
一緒に歩くだけで嬉しいような間柄ではないので、翔真は何も言わず、ただ、
「夕方の作戦会議も日常になってきたな」
と、呟いた。
戦いはいつまで続くのだろう。
先の蓮巳の問いを翔真はスルーしたが、『ザ・ポリビアス』に関して言えば、蓮巳が共に戦ってくれることで助かっている。戦略的、肉体的にもそうだが、特に精神的に。嬉しい、と思う。
けれども、「ありがとな」と本人に伝えると調子に乗ることは目に見えているので、黙っておくことにした。
花見蓮巳がプレイヤーだと分かったのは、安土もねと知り合った翔真が『ゲーム』への参加を決意した、ほんの数日後のことだった。
その時、翔真はまだ、『ゲーム』の理解に努めている段階だった。
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