407号室の住人
藤原いちご
ケース① ミツイトモハル
これは大学生の頃にあった話です。
僕自身にとって、忘れられない出来事でしたが、誰にも言えず今日まで過ごしました。
あれから十年が経ち、故郷に帰るのをキッカケに、供養としてこの体験談を送らせて頂きます。
◇ ◇ ◇ ◇
当時、上京に際して事前に物件探しをしていました。
既にスマホは普及していて、不動産会社とのビデオ通話で内見することが出来るという、地方住みにはありがたいサービスもあり、実際に生で見ることなく物件選びをしていました。
結婚するまで都内で暮らしていた母からの助言で、あまり郊外に住まない方がいいと、築年数だとか、多少の割引き要素には目を瞑ってでも、都心寄りに住めと強くいわれました。
親からの仕送りも限られていたので、バイト生活前提だったため、僕自身も立地は重視していました。
名のある不動産会社から、聞いたこともない怪しそうな不動産会社まで、一ヶ月近くかけて物件を探していましたが、そろそろ決めておきたいと焦燥感が募っていたところ、地元のバイト先でお世話になっている店長から、知り合いに不動産会社で働いている人がいて、信用出来る相手だとのことで紹介して頂いたのです。
店長の人柄はとても温厚篤実で、そんな店長が言うならと、その不動産会社を疑いもせず頼ってしまいました。
いま思えば、あんな出来事も全てはそこから始まっていたのだと思います。
早速、紹介してくれると言ったその日から、不動産会社の担当者から僕の携帯に連絡がありました。
「もしもし?」
「あ、あ、あの、紹介で、あの、三井智晴様の携帯の方で、よろしかったでしょうか? あの、高島不動産の者ですが」
言葉遣いも誤りが多く、第一印象は辿々しくて頼りない。そんなイメージを受けました。その理由もおおかた納得のいくもので、本人の口から二言目には「申し遅れました新入社員の影山です」と早口で言っていましたので。
「あの、オススメの物件がありまして、事前に条件は伺ってますので、ご案内できればと思うのですが」
影山さんがいくつか提示した物件のなかで、僕が良いなと思ったのはひとつだけでした。
どれも条件には近いが、やはり家賃の面でもう少しどうにかならないかと、そこがネックになってました。
そもそも都心寄りの物件という条件下なので、コスト面は本来ならトレードオフではあるのですが、唯一興味のあった物件は家賃が破格だったのです。
立地は東京都S区で、間取りはワンルーム。当時の家賃相場から見てもかなり破格な額でした。
築年数も当時で30年と聞いて、古い物件だなあと思っていると、影山さんはさらっと電話越しで言ったんです。
「案内可能なお部屋、いまフロア全て空室ですよ」
正直、その言い方に、妙な引っかかりはありました。
それでも安さの理由を深掘りするほどの余裕もなかった。これも事実です。結局、二つ返事でビデオ通話による内見をお願いしました。
段取り良く進み、次の日には「明日内見が出来ます」と連絡がありました。ちょうどバイトも休み。実に電話から二日後のことです。
そして内見の当日。昼過ぎに影山さんから着信がありました。
「あ、あの、もしもし影山です。建物に到着したので、出入り口から始めます」
「はい、よろしくお願いします」
ビデオ通話での内見に不安はありましたが、影山さんも新人なりに頑張ってくださり、隈無く映像を映してくれました。
建物はコンパクトタイプのワンルームマンション。しかしオートロックはなく、四階建てですがエレベーターもありません。
四階建てで階段のみというのは少し引っ掛かりましたが、そのときなぜその階だけ空室のままなのか、なんとなく理解出来ました。
どうせ四階は全て空室で家賃も変わらないならと思い、最奥の角部屋の内見をお願いしたところ、影山さんは407号室に向かって下さいました。
映像の画質が悪いところは、並行してピンポイントでリアルタイムで写真を送ってくださり、内装のイメージは一瞬で掴めました。
伝えきれない箇所は影山さんなりに必死に言語化してくださり、概ね住む分には困らないなという印象でした。
ユニットバスは初めてでしたが、それも織り込み済みでしたから、自分の中ではその時点でほぼ確定していました。
すると影山さんから、駄目押しのように「307号室もちょうど空室ですよ」と言われ、騒音トラブルに悩まされることはないと安堵し、その一言を以て引っ越しを決めました。
それからは早いものでした。両親にも伝え、敷金等の振り込みも済ませると、二週間後には引っ越しも手配。
翌月にはもう東京都S区での初めての一人暮らしが始まっていましたから。
◇ ◇ ◇ ◇
大学が始まるまでの、引っ越して最初の数日。新たにバイト先を見つけるために面接を繰り返す日々が続いていました。
荷物も少なかった上に手狭な部屋だったので、その頃にはもう生活基盤は整っていたと思います。
なにより良いなと思ったのは、夜は静かで、車の音すらほとんど聞こえないこと。
古い建物特有の軋みも、眠りを妨げるほどではなかった。
確かに4階の他の部屋と307号室だけ空室ではありましたが、外から見る限りではカーテンもあったので人が住んでいる気配はあった。
けれど、あれよあれよと一週間が経った頃、まだ一度も入居者とすれ違っていないのはどうなのかなとも思ってました。
でも一週間なら、まあそんなものかなと、その時は特に気にも留めていませんでした。
ですが、最初に〝アレ〟を耳にしたのは、ちょうどその頃でした。
最初に音を聞いたのは、夜も更けた深夜の時間帯。
ピン……… ポン………
それはチャイムの音でした。
古い建物ですから、チャイムの作りも昔ながらのもので、ボタンを押すと「ピン」と鳴り、離すと「ポン」と鳴る、田舎では未だにお馴染みの作りのものです。
一瞬、自分の部屋のチャイムかと思い、びくっとしましたが、どうにも音は遠い。
それが隣の部屋のものだと分かったのは、二回目のピンポンでした。
壁越しでもはっきり分かるほど夜は静まり返っていたので、異様に鮮明に聞こえていたんです。
ふと実家から持ってきた卓上時計に目をやると、時刻は午前0時をとうに過ぎている。
こんな時間にチャイムが鳴るのも、ましてや隣が空室であることも考えればかなり気味が悪いなと思いましたが、その日は、それきりだった。
翌朝。昨日の出来事が一夜明けてもまだ離れませんでした。
最終的に、斜め下の階のチャイムが鳴ったのだと自分を無理矢理言い聞かせることで、とりあえず空室の部屋を誰かが鳴らしたということだけは考えないようにしました。
ですが……
それは次の日も続きました。
その日もバイトの面接で、今日中には合否を伝えてもらえる連絡待ちのものが一件あり、いつでも電話に出られるように夕方にはもう帰宅していました。
閑散とした部屋に、小さな24インチのテレビから流れるバラエティー番組のごきげんな音声だけが響く。
テレビ画面は不揃いのカーテンの隙間から差し込む西日に照らされ、それにどこか哀愁のようなものを感じつつ、くたくたになった体は微睡みに引き込まれていきました。
プルルルルル……! プルルル………!
携帯電話の着信音に飛び起き、すぐに電話を受けると、面接を受けていたピザ屋からの合否の連絡でした。
「あぁ、そうですか…… 分かりました。わざわざ連絡してくださりありがとうございます」
ドライバーを重点的に募集していたらしく、当時、原付免許さえ持っていなかった僕は丁重に断られてしまいました。
まだほんのりぼやけたままの目で時刻を確認すると、とっくに19時を過ぎていました。
それから軽くシャワーを浴びて、気晴らしに近所へ散策に出て、そのついでに買い物して帰った頃には23時過ぎ。
なかなかバイト先が決まらないことに若干の焦りが芽生えつつあるなか、不貞寝のように眠りにつこうとした、そのときでした。
ピン……… ポン………
またです。またチャイムが鳴ったんです。
しかも、なぜか昨日よりも如実に隣の部屋から壁を抜けて聞こえてきたんです。
それにどこか、誰かが、そこに立っているような気配もあった。
いたずらだろうか。
空室ばかりのフロアで?
そう思っても、胸の奥の違和感は消えなかった。
こういう時は、いわゆる鈍感力が大切だと思い、とにかく気にしないようにしようと、テレビもつけっぱなしで寝ました。
それから翌日。その日の夜も、同じ時間帯にまたチャイムが鳴った。
テレビをつけていても音が微かに聞こえてくる。変に意識するから、余計に耳がその音を拾おうとしているのだと感じてました。
それから深夜のチャイムは連日続き、掻き消すためのテレビの音量を上げていると、ある日の朝、玄関の扉には「テレビの音量が気になります」と張り紙がされていました。
以降はイヤホンや耳栓も使って、どうにか聞こえないようにしていたのですが、なぜか耳に残っているんです。
まるで貫通してくるかのように、本当にいま鳴らしているかのように、毎日、決まった時間に、規則的に、ピンポン………と。
影山さんから伝えられた管理会社に電話をしたのは、目の下に隈が出来るようになってからでした。
電話に出たのは、関西訛りが残る中年の男性。どこか馴れ馴れしく、正直あまり良い印象はありませんでした。
事情を話すと、山岸と名乗った関西訛りの男性が乱雑にメモを取る音がして、その直後に無愛想に言いました。
「了解です。ほなまずは注意喚起の張り紙を出しますんで。それでも続くようやったら、またご連絡ください」
本音で言えば納得のいかない対応だったが、まだ断定的である以上は仕方ないと、割り切るしかありませんでした。
遠く離れた両親に相談しても、同調はしてくれても、まだイタズラかも分からないなら仕方ないと言われ、自分でも納得するしかないと感じてました。
しかし意外にも仕事は早く、翌日には出入り口の掲示板に張り紙が貼られており、その一瞬は少しホッとしたのを覚えています。
それでもまだ、終わらなかった。
その夜も──
ピン…… ポン……
こうなればと、勇気を振り絞って直接文句を言ってやろうとガチャンとドアを開けて廊下に出た。
けれど、廊下には誰もいなかった。
それどころか、チカチカと不規則に点滅する切れかけの蛍光灯に照らされ、余計に恐怖を植え付けられるだけだった。
親に電話を入れ、もう引っ越したいと伝えても、やはりまだ越してきて半月ちょっとともなれば承諾はしてくれませんでした。
「まだ様子見してみなさいよ。慣れない環境だから体が緊張してるだけよ」
母から返ってきたその一言に、少し憤りを感じてました。
仕方なく翌朝にはまた管理会社に連絡を入れました。
同じ内容の二度目の電話では、山岸さんは少し黙ったあと「今晩、そっち方面に用があるんで、現地で確認してみますわ」と言った。
その夜、音はしなかった。
あれほど続いていたものが、まるで最初から存在しなかったかのように。
静かすぎる夜に、逆に眠りが浅くなった。
「やっぱりイタズラだったのか……?」
そんな風にも思いながら、とうとう眠りに落ちたのは、朝刊配達の原付の音が聞こえてくる時間帯だった。
翌朝、目覚ましのようにチャイムが鳴った。
ピンポン。
今度は、自分の部屋だった。
あれほど不気味だったチャイムも、素早く鳴らすなら何も怖がるようなことはないと感じました。あるいは単に外が明るい午前中だったからなのか。
寝癖のままドアを開けると、警察官が立っていました。
警官の背後には、黄色い規制線が覗いており、白い手袋をした人間が行き交っていた。
「すみません、警察の者ですが、少しよろしいでしょうか?」
「ど、どうされました?」
何事かと怯えながら聞き返すと、身分証明で見せた手帳を仕舞いながら警察の方は淡々と答えた。
「昨晩、お隣の部屋から白骨化した遺体が見つかりました。それで聞き取りをしていまして。持っていた荷物から〝山岸〟さんという方なのが分かったんですが。ご存知ありませんか?」
頭がすぐには追いつかなかった。
ちょうど昨晩、様子を確認しにくると言った管理会社の、あの関西訛りの男も山岸という名前だったからだ。
偶然なのか、あるいは……。
とにかく僕は、最近引っ越してきたばかりだとアピールするかのように答えました。
「そうでしたか。失礼ですが、お宅を拝見させて頂いてもよろしいですか?」
その言葉が、ひどく現実味を帯びていて、耳に残った。
もはや理解も追い付かないまま、警察の方に部屋の中へ招き、捜査に協力。
手狭ゆえに数十分で終わり、渋々ではあったものの連絡先と氏名も答えた。
「あの、そういえば…… ここ何日も深夜にチャイムが鳴っていて困ってたんです」
「それは、貴方の部屋が?」
「いえ、隣のお部屋で…… その…… 事件があった……」
部屋にいた警察官の二人は互いに顔を見合わせながら淡々と聴取の紙にペンを走らせていた。
「詳しく聞かせてもらえますか?」
あったことをあったまま話すと、警察官の方は「わかりました」とだけ言いました。
その後、心持ち穏やかではないものの、管理会社に電話をしました。
「もしもし、富浦不動産の森屋です」
電話に出たのは女性の方でした。
言葉を詰まらせながらも、僕はなんとか伝えました。
山岸さんが昨晩確認に行くと言っていたこと。持ち物から同じ名前と推測される白骨遺体が出て警察が来ていること。
彼は無事なのか、発見者なのか。
答えを求めるように、相手の話す言葉に意識を集中した。
電話に出た森屋と名乗った女性は、不審がるような声色で答えました。
その一言に、僕は一瞬、心臓が止まる思いをしたんです。
「山岸ですか……? 彼は五年前に失踪しています。弊社の連絡も音信不通でしたし」
耳鳴りがした。
何も言えないまま、通話時間の秒数だけが増えていく。
「もしもし? もしもし?」
思わず僕は電話を切ってしまいました。
心臓がバクバクと鳴りやまずにいると、すぐに森屋さんから再度のかけ直しが。
森屋さんは「警察にはこちらで対応しますので。私の方でも確認に向かいます」と言っていた。
正直、頭が回らないので返す言葉はいい加減な空返事だったと思う。
僕の脳内には、ただひたすら、あの無機質で間延びした「ピン…… ポン……」というチャイムの音だけが繰り返されていた。
縺セ縺?邨ゅo繧峨↑縺
その日のうちに、ネカフェに入った。素泊まりするつもりだった。どうにもあの部屋には、戻る気にはなれなかった。
無意識にネカフェのPCで物件サイトを見ていたのは、早々に引っ越したかったからだと思います。
ふと気になって、住んでいる物件のこともその場で調べました。
思えば、影山さんとのビデオ通話での内見の時に、なぜしっかりと事前に調べなかったのかと後悔してます。
しかし、どんなに調べても、住んでいる建物が、いわゆる事故物件だという情報は出てこなかった。
母に説得したところ、さすがに白骨化した遺体が隣室に出たとあれば、引っ越しは了承してくれました。
しばらくネカフェ暮らしをすると伝え、多めに仕送りを貰い、とりあえず安堵した瞬間でもありました。
◇
数日後、母がこっちまで来て一緒に物件選びをしてくれると連絡がありました。
それと同時に、引っ越しまでに置きっぱなしの荷物を整理する必要が生まれ、あの時の出来事がまるでつい先程のことかのように鮮明に蘇ったんです。
でもこれで終わり、この一回で終わりと言い聞かせ、深夜であると分かっていてもとっとと済ませたい一心であの部屋に向かいました。
なぜ次の日の午前にしなかったのか、そんなことを考える余裕もなく、ただもう二度と近寄りたくないからと。引っ越しの立ち会いすら親に丸投げしてやる、とにかく終わらせたい一心でした。
その道中で、ふと管理会社からなにも連絡がないことを思い出したものの、それ以上は深く考えませんでした。
マンションにつくと、久しぶりに見る建物の外観がどこか淀んで見えたような気もしたんです。
警察の捜査は既に外れているのか、とうに規制線は引かれておらず、すんなりと4階まで上がることが出来ました。
事件のあった部屋の前を通るとき、無意識に息を止めていた。
自分の部屋の前に立ち、鍵を差し込む。
ガチャン、ガチャン……
「あれ? おかしいな……」
嫌な予感がしながら、何度も試す。
けれど、いくらやっても回りませんでした。
そう、鍵が変わっていたんです。
ですが何一つ管理会社からの連絡もなかったので、不審に思いこちらから管理会社に電話をかけると──
『この番号は現在使われておりません』
という音声が流れた。その声は、これまでに聞いたどのアナウンス音よりも無機質に思えました。
このままでは埒が明かないので、警察に電話しようと、スマートフォンを取り出し、110番を入力。
と、その瞬間。
ガシャン………
あろうことか、ドアの向こうで鍵が開く音がしたんです。
一気に心臓が震え始め、気づけば指先までガタガタと小刻みに揺れていました。
生唾を飲んで、ゆっくりとドアノブを握る。
一息整えると、静かに引いて、扉を開ける。
自分の部屋のはずなのに、妙に罪悪感さえ感じていました。
すーっと中へ入ると、当たり前というべきか、室内はあの日から変わっていません。
つけっぱなしだった換気扇のジーっという音だけが鳴るなか、部屋を見回すと──
「え……?」
部屋の中に、スーツを着たままの白骨化した遺体があった。
目眩を起こしそうななか、遺体のそばに落ちていた荷物に気づいたんです。
自分のものではない、見知らぬバッグからはみ出るように、名刺入れがポツンと転がっており、ふと一枚抜いてみると……。
『株式会社富浦不動産 森屋◯子』
どうしていいのかもわからず、目の前の事実にただただ立ち尽くすしかありませんでした。
すると、そのときでした。
ピン…… ポン……。
これまでと同じ時間。
あの音が、407号室で鳴ったんです。
それ以降のことはよく覚えていません。
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