第2話 沸き立つ自己主張たち

 セナが向かったと思った次の瞬間、すれ違うように勢いよく長髪の少女が駆け込み、そしてそのまま、低い背で私に飛びついてきた。

 

「ケティスお兄ちゃん!お邪魔しまーす!」

「こんにちはセラピナ。元気そうで何よりです」

 

 腰に手を回され、反射的に頭を撫でる。

 セラピナは得意げにふふーんと鼻歌を歌い出した。


「……お邪魔します」

 

 少し遅れて、控えめな声。

 セナの隣で立ち止まった少年が、目が合うと微かに頭を下げた。

 

「あんた達、どうせ外遊びしてから来たでしょ。手を洗ってきな」


「はーい」


 三人が洗面所へ向かうのを見送り――

 

 ……ん?

 

「兄さんも外遊びしたんですか?」

 

 声をかけると、同じ高さで目が合った。

 染めた銀髪を反射の光で煌めかせながら翻し、兄はバチっとウインクを決めた。

 うるさい。

 

「売られたケンカは、子供でも本気で向き合う。それが男ってもんだ。お兄様は全人類に平等かつ対等なんだよ」

 

 爽やかに、致命的にダサいことを言っている。

 

「でも、泥団子爆弾に爆竹仕込んでたから私達が勝ったよ!」

「力を武力でカバーした」

 

 子供達も大概だった。

 

「……なるほど。兄さんのシャツの黒い点々は、そういうブランドじゃなくてただの汚れなんですね」

 

 そう言った瞬間。

 セナの顔がみるみる青くなった。

 

「ちょ、嘘でしょ。ごめん!あんた達!遊ぶにしても加減しなって!」

 

 兄さんの袖を掴み、必死に確認している。


「火薬使ったなら、燃えてるとこあるかな……?弁償……一括じゃ無理だけど……」


「気にすんなよ」

 

 兄さんはセナの頭にハンカチを乗せた。

 そのまま、ぽんぽんと2回ハンカチの上でセナの頭を叩く。

 

「俺だって勝負を受けたんだからよ。男に負傷は付きものだから、綺麗なままのがカッコわりーよ」

 

 その持論は同じ男でもよく分からない。

 

「汚れは普通に落ちるからよ。そんな気にすんな。俺が遊んでもらってたんだ」

 

「そうですよセナ。兄さんの髪がチリチリになったって良いザマですから、止めないでください」

 

 兄さんの狂信的な女性信者は、どうせ兄さんがスキンヘッドでも地の果てまで追いかけてくる。

 

 兄はニヤッといつもの得意気な笑いを浮かべる。

 八重歯がチラッと見えた。嫌なこと考えている時の笑い方だ。

 兄は私に近づいて小声で囁く。

 

「コーヒーあるか?お兄様がこっそりお前の袖にもかけてやろうか」


 兄は視線だけセナの方に動かした。

 

「生憎、兄さんと違ってコーヒー派ではないので結構です」

 

 手を洗いにいく兄の背中を見送りながら、ため息をついた。

 

「どうしたの師匠、頬膨らませて?クッキーでも食べてんの?」

「別に。さ、早く席に着いて。お茶が冷めますよ」


 

「でねー!学校でキエル君って子に告白されたんだけどね!」

 

 話し出すのは、やはりセラピナだった。


「お返事はまだ3人待ってもらってるから、時間かかるよって言ったら泣いちゃった」

 

「……それは大変な目に……合ってるんですか?」


 大変な目の経験が豊かであろう兄を見た。

 兄は露骨に嫌そうな顔をしている。

 あー、お茶が美味しい。

 

「お前、0だからって……俺の周りは潰し合いみたいな奴が多いから参考にはならねぇよ。とにかく、そいつも男なら構えて待ってりゃ良いのによ。嫌ってないならチャンスじゃねえか」

 

 確かに、セラピナは断っていない。

 でも、待っているのは辛いだろう。

 断ってないならチャンス……その間、何をすればいいというのだろう。


「そういう時、待っている間に何をすれば女性は喜ぶんですかね、セナ」

「あたしに聞かれても。……子どもなんだから、好きな相手に合いそうな、綺麗な花をあげるとかすればいいんじゃないかな?……わかんないけどさ」


 花か。

 想像してみる。

 頭の中に赤い薔薇の花束やオレンジのポピーの花畑が一瞬咲き乱れた。

 花畑の中で誰かが笑う。


 “――似合う?“


「ピナねーは色んな人にいい顔しすぎ。メリットないじゃん」

 

 気が付けば周りの話題は進んでいた。

 頭を軽く振って耳に意識を戻す。

 

「あるよぉ。私が困っていると、沢山の人から大丈夫?って心配してもらったり、お菓子もらったりするんだよ」

 

「あたし、ろくに学校行ってないから分からないんだけどさ……これって、普通?」

 

 恐る恐る聞いてくるセナ。


 私に振られても。引き出しにないものはいくら探してもない。

 

「私は軍学校で男ばかりに囲まれてましたから、なんとも……」

「一時期、一般の学校行ってたけどもよ。その頃の男の馬鹿ガキ共は遊びのことで夢中だったな。セラピナがちょっと強すぎるってのは、まぁあるよな」

 

 知らなかった。

 兄は貴族向けの学校にずっと通っていたものだと、勝手に思っていた。

 

「大丈夫だよお姉ちゃん!私、皆と仲いいから!女の子で嫉妬してくる子もいたけど、お話ししたら分かってくれたよ!」


 セラピナは姉にガッツポーズを送る。

 何を分からせられたんだろう。


「お姉ちゃん、安心していいよ。私が白馬の王子様を捕まえてきて、私達に素敵な家とお洋服を買ってもらうからね」

 

 私の時代は、お姫様は眠っていて、王子様が助けに行くのが主流だった。

 時代が変わったものだ。

 

「ケティスお兄ちゃんでもいいんだよ?私の王子様。ちょっと歳離れてるけど、クラスの男の子達よりずっとハンサムでかっこいいし」


 振られると思わず肩が少し跳ねた。

 慌てて考える前に言葉を出す。

 

「うぇ、わ、私?いや〜、私は歳が離れすぎてますから。に、兄さんがおすすめですよ!国一番のイケメン、金持ち、言うことなし!」

「ば、馬鹿やろーてめー!気軽にお兄様を売るんじゃねー!歳離れてるのは俺の方だろうが!俺は彼女いるし、どう考えても独り身のお前だろ!」


「醜い大人達……」

 

 ぼそりと1番幼いはずの弟、ルクが呆れて呟いてテーブルに沈黙が降りた。

 1人真面目な顔で、セナは右隣のセラピナに話しかける。

 

「セラピナ、お金のことは姉さんに任せな。無理して周りに敵を作らないでほしい。あんたとルクは周りから愛されるために生まれてきたんだ」

 

 うんうん。私も自然に頷く。


「その上で、どうしても好きな人って言うなら、あたしは止めない。師匠でもいいよ。まぁ、安心ではあるかも?」

 

 頷き続けかけて、途中で止まった。

 必死で首を振る。

 必死の懇願に、妹に慈愛の目を向けるセナは気が付かない。

 

「姉公認か。おめでとう」

 

 神妙に手を叩く兄の手を思い切り平手打ちで叩きたい。

 しかし、この兄は暴力的なのでやられたら5倍やり返してくるのだ。

 幼少期頬をつねられすぎて、大人になってほっぺがパンパンになってしまったらどうしようと眠れない夜を過ごしたこともある。

 

「僕はやだ」

「じゃあダメだね。師匠、ごめん。うちのお姫様はあげられなくなった」

 

 公認の撤回が私の承認より早かった。

 私は未来の小さな女王様の僕になる必要は無くなったらしい。

 

「だって、ケティスっておじいちゃんっぽいじゃん」

 

 ……お、おじいちゃん?

 ルクが涼しい顔で爆弾を投げてきた。


「普段全然出歩かないし、心配で姉ちゃんが世話しているし」


 そんなことない。

 散歩や買い物くらいは行くし、家事だって一通りしている。

 セナが時々押しかけて料理を作ってくるだけで、酷い言われようだ。


「恋人できても、絶対に面倒くさがるよ」

 

「そんな訳ないじゃないですか。ダンディな私は、スマートにエスコートしますよ」


 少しだけ眉を寄せると、兄が八重歯を覗かせて笑う。


 「ほう、じゃ、デートプラン選手権でも開こうか」


 やられた、と思った。

 同族のセナに目線で助けを求める。

 目が会うとゆっくり首を振られた。

 

 深く息を吐いて、冷めたお茶を飲み干す。

 

 ――先ほどより、苦味が舌に広がった。

 

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