第1話:目覚めた後
「――はっあ?!!」
息が出来ない――と思い切り口に空気を吸いこみ、上体を起こした瞬間。
額に痛みが炸裂し、呻きいてようやく理解する。
思い切り頭をぶつけた。
それを知ってから、ようやく言葉が出た。
同時に、声も聞こえた。
「いった?!」
「ったい!!」
苦悶しながら手を頭に沿わせようとして、何かを掴んでいることに気がつく。
それは、自分より一回り小さな、それでいて剣だこができた、照明に反射されて白さが際立つ――女性の手だった。
まじまじと見つめてもう片方の手で手の甲に触ると、上から声が降ってくる。
「……もういいかな。師匠、手汗すごいよ」
顔を上げれば、印象的な赤い吊り目、赤い髪の少女がソファの後ろに立ち、背もたれから身を乗り出していた。
私と頭をぶつけたのがまだ痛いらしく、口を曲げて不服そうにこちらを見返す。
見渡せば、周りは冷たい風もなく森の中でもない。
昼下がり、窓も閉じられており、暖かい春の光が白いレースカーテン越しにリビングへ注がれていた。
ソファで考え事をしていたらいつの間にか眠ってしまったらしい。
昨日は仕事で会議に出かけたが、その会議があまりに長く、建設的じゃないこともあって非常に疲れていた。
同僚が頷くかのように舟を漕いでいる一方、私は眠気と闘うため、殆ど瞬きすらせずに長々と異議を唱えていた上官を凝視していた。
そのせいで、目もしばしばしている。
……いけない、弟子が変な人を見る目で私を見ている。
「師匠を変な目で見ないでくださいよ。1人しかいない貴重な存在なら、もう少し敬意をですね」
「あんただって弟子1人しかいないじゃん」
そう言われるとそうだ。
いや、弟子が1人しかいないことは別に悪いわけでもないし、むしろ何故1人いるか、と私が問いたい。
私はいつの間にか弟子がいて、それがこの少女だった――という事実を兄から伝えられただけだ。
6年前、気がついたら居たのだ。もはや自然発生、不可抗力に近い。
周りが言うには事故による記憶喪失というものらしいが、あまり納得していない。
平和を愛する私が幼い少女に暴力にもなりうる剣術を教えたのだろうか。
若気の至りにしては、私らしくもない。
彼女以外の人や出来事は覚えているような気がするし、そうでもないような気もするし、そもそも人付き合い自体が少なくて――いや、やめよう。
休日の昼にわざわざ悲しい気持ちに浸る趣味はない。
「……夢を見ていて」
セナはふぅん、と気だるげに返す。
興味はなさそうだ。
そもそも私が寝ていた時には1人だった筈だが、寝ている間に以前渡した合鍵で入ってきて私を発見したんだろう。
「……悪夢?」
相変わらず眉を寄せて不機嫌そうだ。愛想はないが、聞く気はあるらしい。
「悪夢、なんですかね。私としては、悪いというより、なんでしょう、胸が締め付けられるような感じで」
はぁ、と返される。
セナはこの手の繊細な情緒を理解できないらしく、訝しげなまま「で?」と続きを促してきた。
うーん……言ったら気持ちが楽になるのだろうか。
そう思いながらも言い淀んだが、心配して頭突きまでされた相手に黙っているのも気まずい。
「崖から落ちる夢です。疲れてる時ときに、時々見るんですが……起きる度に心臓の動悸がひどくて」
色々考えたり、思い出そうとしたりするが、何も浮かばない。
森がどこで、少女の顔や声はどうだったか――見ているはずなのに、存在しか分からない。
「所詮夢は夢じゃん。都合悪いなら、さっさと忘れなよ」
セナは、私に握られた右手を一本ずつ剥がし、服で手のひらを拭いて溜め息を吐いた。
それを見て、私が傷ついていることには気がついていないらしい。
……私は汚くない。多分。
「うなされて冷や汗出してたから拭いてたら、急に手を掴まれてさ。ホラーかと思ったよ。夢の話にあたしを巻き込むんじゃあないよ」
「すみません」
自分の額を服の袖で拭おうとした瞬間、白いタオルが私の顔面に放り投げつけられたた。
そのまま、見えない視界で頭をわしゃわしゃともみくちゃにされる。
「いいですよ、自分でやります」
「体調悪いから、そんな夢見てんじゃないの。師匠、風邪引くと結構重症になるって聞いたし。仕事も休みなんだから、ベッドで寝たら?
」
もみくちゃは止まらない。
私はセナの手を探し当て、頭に押しつけて止める。
タオルを外し、腕を曲げて力こぶを作った。
「兄さんですね?言ったのは。病弱だったのはとっくの昔ですよ。見てください。鍛えて強くなったんですよ?ほら、この胸筋とか。触っちゃダメですけど」
仕事柄トレーニングも業務の一環なので、魅せる仕事ではないといえ、そこそこ自信がある。
特に胸筋。
そのうち左右で動かせるんじゃないかと時折意識して胸に力を入れているが、口角が代わりにピクピク動くだけで今のところ進捗は見られていない。
「要らない。そんなどうでもいいことは置いといて」
置いていかれた。置いていかないでほしい。
セナは視線を右奥にずらした。
ふむ。アフタヌーンティーに最適な時間だ。
「体調悪くないなら、そりゃよかった。あと10分くらいでクリ兄と妹達が来るからさ」
「はい?兄さん達?」
思わず気の抜けた声が出た。
セナは不思議そうに首を少し傾げる。
「あれ、言ってたよね。お茶菓子用意しておくって言ってなんだかんだ嬉しそうにしてたじゃん」
……してない。が、確かに言われた気がする。
「まずい、お茶の準備が間に合わない!!」
私は慌ててソファから飛び上がるように立ち上がり、キッチンへ向かった。
「そんな知った中なんだし、適当でも良くない?」
「いやいいです、兄さんはそこら辺の泥水でもいいですが、貴方の妹弟達にはいいものを出さないと」
「うーん。そうは言っても、この家に来てる時点であたしよりいい生活与えてるんだけどな」
それからセナが何かを言っていた気がするが、用意していたケーキを冷蔵庫から取り出し、お茶を沸かし、テーブルを拭いてと慌ただしく動いているとドアベルが鳴った。
騒がしい時間が始まる前に、私は大きく背伸びをして欠伸をした。
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