第3話 その名は《魔皇》②
同刻。とある武家屋敷にて。
一人の少女が、床張りの廊下を歩いていた。
年の頃は十五歳ほどか。とても涼やかなる和装の少女だった。凛とした美貌に、流れるような長い黒髪。紺色の和装も着こなして良く似合っている。
彼女が歩を進めるたびに、長い渡り廊下がキシキシと微かに軋み、夕日が差す、見晴らしのよい日本庭園からは鹿脅しの音も聞こえてくる。
彼女は目的の部屋の前にまで辿り着くと、おもむろに膝を折り、
「……お爺さま。翔子です。ただいま参りました」
部屋の主人にそう呼び掛ける。と、
『……ああ、来たか翔子。入ってもいいぞ』
部屋の奥から声が返ってくる。
彼女――御門翔子は「失礼します」と告げ、目の前の衾を開けた。
部屋の中は広い和室だった。全体的にやや薄暗く、古い畳の匂いがする室内。
その上座には、背筋を伸ばして正座する老人がいた。年齢は七十代。老体とは思えない大柄な体躯に、灰色の和装を纏っている。御門家の現当主、御門兵馬だった。
「よく来てくれた、翔子。座るといい」
祖父は孫娘を歓迎する。翔子は「はい」と答えるが、ふと疑問も抱く。
何故か、祖父の前に長い木箱が置かれていたからだ。
(何でしょうか? あれは)
少し気になりつつも、翔子は祖父の前まで移動すると膝を折った。
再び一礼をしてから、
「本日はいかなる御用でしょうか。お爺さま」
早速本題に入る。それに対し、祖父は双眸を細めて、
「……ふむ。そうだな。翔子。お前は新城学園のことは知っているか?」
と、尋ねてくる。翔子はわずかに眉をしかめた。
(新城学園? 確かそれは……)
記憶を探りつつ、翔子は答え始める。
「確か政府の後ろ盾のもと、六大家が主体となって、風倉市の山間辺りに建設した新設校と聞いております。来年の四月に初めて一期生を迎えるという……。表向きは私立高校。その実態は若き鬼狩りを育成する学園であると……」
翔子のその回答に対し、祖父は静かに頷き、
「ああ、それで大体合っている。さて。この計画のこと、お前はどう思う?」
その問いには、翔子は少しばかり答えるのに逡巡した。
「個人的には、決して悪い話ではないと思います。ですが――」
そこで言葉を詰まらせる。
この日本という国には、古くから特殊な役割を持つ家系が数多くあった。
すなわち、鬼狩りの家系である。かくいう翔子の家系である御門家もそれに当たる。それも『六大家』と呼ばれる最高峰の名家の一つに数えられていた。
ただ、そんな鬼狩り家だが、政府とは協力体制にあるものの、その指揮下や管理下にある訳ではなかった。基本的には家系ごとに独立した組織であり、特に鬼狩りの育成に関しては各家系が独自の方法で行っているのが現状だった。
しかし近年、次世代を担う鬼狩りの死亡率がかなり問題視されていた。
SNSなどから容易く情報が入手できるために先走り、命を落とす者が後を絶たないのである。先走る若手の多くは獣殻を手に入れたばかりで万能感に酔っている者が多かった。
そこで六大家を筆頭に、有力な名家の当主たちと政府は議論を交わし、抜本的な若手の育成に乗り出したのだ。それが新城学園――鬼狩り育成機関――の創立であった。
しかし……。
「この計画には、各家の戦闘法や秘術を集約して
と、翔子は指摘する。すると、祖父はかぶりを振って小さく嘆息し、
「ああ、まさにその通りだ。教員もすでに選抜し終え、もう校舎まで建てたというのに、未だ入学希望者――協力を申し出た家系はたった一桁台なのだ」
「……一桁台、ですか」
流石に翔子も驚く。想像以上に難航しているようだ。
「それでだ。今回の件、六大家は儂を含めて五家が賛同した。雅堂家だけは相も変わらず静観だが、かなりの出資もしている。政府も儂らも相当に力を入れた計画なのだ」
そこで腕を組む。
「だが、想像以上に各家の腰は重かったようだ。このままでは計画が頓挫する。そこで儂は入学希望者を集めるために、ある『餌』を用意することにした」
神妙な声で、祖父はそう続けた。
(……餌? 一体何を……)
翔子は眉をひそめた。
「……お爺さま。一体何をご用意されたのですか?」
すると、祖父は淡々とした声でこう返した。
「
「………え?」
翔子は一瞬、言葉の意味を理解できなかった。祖父はさらに言葉を続ける。
「三年後、卒業時点の最優秀者に、お前と子を生す権利を与える。その者がお前に胤を与える男になるということだ」
おもむろに双眸を細める。
「その者が望むのならば、御門家の婿養子としても考えよう。ただ、生まれた子は相手の素性に関わらず御門家の嫡子として迎えることを確約するつもりだ」
翔子は未だ目を見開いたまま言葉が出せない。
それは政略結婚に似た話だった。古き家系にはよくある話である。
ただ、本来ならば婚姻相手にもそれなりの家格を求めるところを今回は考慮しないと祖父は言っているのだ。仮に素性不明の者であっても、御門家へ迎えると。
「だが、お前だけではまだ足りぬ」祖父はそう続けた。
「それだけでは恐らく他の大家は動かんだろうな。小家も御門家に取り込まれることを危惧するかもしれん。そもそも最優秀者が女である可能性もある。だからこそのこれだ」
祖父は目の前に置く木箱に目をやった。
入室時から翔子も気になっていた長い木箱である。
「中を見てみるがよい」
祖父にそう命じられて、翔子は困惑しつつも立ち上がり、木箱を開けてみた。
(……これは)
そこに納められていたのは一本の槍だった。
白い柄と、長い穂先を持つ槍である。柄には紋様のような文字が刻まれている。
一目で分かった。これは尋常ではない武具だ。
「……まさかこれは……」
「……ああ、そうだ」翔子の声に、祖父が答える。
「御門家に伝わる神器。《
一拍おいて、
「天変地異さえも操るという世界にたった七つしかない神器の一つだ。これをお前と共に三年後の最優秀者にくれてやる。それが儂の用意した餌だ」
「――お待ちください! お爺さま!」流石に翔子は叫んだ。
「私はともかく神槍を餌にするなど! これは当主といえどもあまりに横暴です!」
「だが、破格だ」
祖父は翔子の動揺を淡々と流す。
「これならば大家も動くだろう。今の鬼狩りには抜本的な改革が必要なのだ。知識においても実力においてもな。さもなくば妖鬼どもはもはや抑えきれぬ。破滅はいずれ来る」
「……お爺さま」
翔子は唇を噛んだ。すると、
「案ずるな。翔子」そこで厳格な祖父が初めて笑みを零した。
「これが今回の本題の一つだ。こうは言ったが、実のところ、儂はお前も神槍もくれてやる気など一切ないのだ」
そう告げる祖父に、翔子は「え?」と目を瞬かせた。
「……お爺さま? それは一体どういうことでしょうか?」
率直にそう尋ねると、祖父はふっと口角を上げて、
「なに。簡単な話だ。最優秀者にお前と神槍が贈られるのならば、他ならぬお前自身が最優秀者になればよいということだ」
事もなげにそう告げる。翔子は驚いた顔をした。
「いささか不誠実ではあるが、ルール違反と指摘されるほどでもなかろう。そしてお前ならばそれが果たせると確信しておる」
祖父は袖に腕を通してそう続ける。それから優しい眼差しを孫娘に向けて、
「優れた血を残すことは鬼狩りの使命の一つだ。大家の当主ならば望まぬ妻を多く娶ることもよくある話だ。女が当主ならば胤だけ貰うこともな。今の時代であってもそれは変わらぬ風習だ。しかし、儂の本心としては、やはりお前には愛する男と結ばれてほしいと思っておる。そのためにもお前には勝ち抜いてほしいのだ」
「………お爺さま」
翔子は祖父に向けて、微かに笑みを見せた。
「……分かりました。それこそが今回の本題。私の任務なのですね。私もまた新城学園に入学して最優秀者となり、神槍と私自身を守り抜けと仰られるのですね」
「ああ、その通りだ」祖父は首肯する。
「御門家の《
御門家当主はそう問うた。翔子は三つ指をつき、当主に自身の意志を示した。
「確と承りました。この任務、御門家の者として恥じぬよう見事達成してみせます」
「そうか。期待しておるぞ。翔子よ」
祖父は孫娘の凛とした姿勢に、優し気な笑みを浮かべた。
しかし、おもむろに双眸を細めると、表情を真剣なモノに改めて、
「……さて」
顎に手をやり、一呼吸入れて、
「それでもう一つの本題なのだが」
そんなことを言い出した。翔子は顔を上げた。
「……もう一つの本題? お爺さま? まだ他にもあるのでしょうか?」
眉をひそめてそう尋ねると、祖父は腕を袖に入れ直して頷き、
「ああ。実はな。神槍は入学希望者に対してだけの餌ではないのだ。別の者も誘い込むために用意した餌でもあるのだ」
どうにも不穏な言葉を紡ぐ。翔子の表情に少しばかり緊張が走った。
そして、
「なあ、翔子よ。お前――」
一拍置いて、祖父はこう告げるのだった。
「《
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