第一章 その名は《魔皇》

第2話 その名は《魔皇》①

 ――かつて一匹の蛇がいた。

 最初はただの醜悪な蛇だった。しかし、人を襲い、人を喰らうことによって怪異と化す。知能を得て狡猾に。人を喰らい続けることによって異形と成った。いつしか、宝石を思わせる角が生えた蛇は『鬼』と呼ばれるようになった。

 鬼と成ったかつての蛇は、数多なる人の女を孕ませて、子を増やした。

 鬼の子たちは、変幻自在の擬態にて人に化けると、人の世に潜み、男ならば弄び、女ならば犯し、気まぐれに孕ませる。最後には等しく喰らった。当然のごとく人を超えた力を有し、中には異能を有する個体まで現れた。人を喰らい続ける限り死ぬことはなく、年月を経るほどに、より狡猾に、より強大になる鬼の末裔。まさに人間の天敵だった。

 そうして、体のどこかに始祖から受け継いだ『ほうかく』を持つ鬼の末裔たちは、いつ頃からか自ら『よう』と名乗るようになった――。



「一つ聞くが、お前たちは俺を侮っているのか?」


 時刻は夕刻。

 場所は取り壊し予定の廃墟ビル内。その四階にある元ボーリング場にて。

 ゲームの待機用のソファーに腰を掛けて、男は不快そうに言った。


「俺はお前たちの天敵だぞ? わざわざ誘いに乗ってやったというのに」


 進学高の制服を着た十代の少年らしきその男は、つまらなそうな様子で壁に目をやった。

 そこには大の字になって壁に埋め込められた二人の男の姿があった。

 床に大量の血溜まりを作り、二人ともすでに絶命していた。


「これでよく鬼狩りなんて名乗れるものだな」


 片足を組んで、制服の男は呆れた笑みを見せる。

 人喰い鬼の末裔――妖鬼。

 その凶悪な化け物に抗う者たちもいた。

 それが『鬼狩り』と名乗る者たちだった。いわゆる霊能を持つ術師である。

 古くは千年以上前から、彼らは世界の裏側で妖鬼たちを狩っていた。

 例えば、まだ生きている唯一の男。制服を着た男の前に立つ人物は、まだ少年といってもよい年齢だった。壁に埋め込まれた二人も同年代の少年だった。


「……ガキどもが」


 制服の男は、自分の膝を使って頬杖をついた。

 歯をカチカチと鳴らす鬼狩りの少年は、右腕に籠手を装着していた。手には刀を握り、切っ先を制服の男に向けている。ただ、その刀身は小刻みに震えていた。


「見たところ霊獣と契約したばかりか? 力を試してみたくて仕方がねえ年頃だな。馬鹿が。三人がかりなら俺を仕留められると思ったのか」


 制服の男は、双眸を鋭く細めた。

 鬼狩りの特徴として挙げられるのは『じゅうかく』と呼ばれる特殊な武装だった。

 死後、百年以上、天に還ることなく、人語を理解するほどに昇華した動物霊――『霊獣』と契約をし、それを武具と甲冑に変える術式だった。

 武具は契約者の意志のままに変幻自在。身体能力も大幅に強化される。しかし、顕現する甲冑の範囲は霊獣の格によって違っていた。

 下位の霊獣だと籠手のみ。中位から上位ならば籠手から二の腕まで。そして最高位になると肩まで完全に覆うといったところだ。

 目の前の少年は籠手のみ。殺した二人も同様だった。

 獣殻の顕現範囲は契約者自身の霊力や霊感応センスにも影響するので一概に霊獣が弱いとも言えないが、いずれにせよ、こいつらの実力はこの程度ということだ。


「完全に雑魚だな」


 心底不満そうに、制服の男は吐き捨てる。

 しかし、そんな雑魚に擬態を見破られたのだ。これは猛省しなければならない。情報過多の時代だ。同級生の少女が次々と行方不明にもなれば怪しまれるか。


「次はもっと上手く隠れることにしよう。しかし」


 制服の男は立ち上がり、パンパンと腰の埃を払った。


「どうせなら女が来いよ。男なんぞ面白味もない」


 さっさと殺すか、と呟いた時、


「――ひ、ひィッ!」


 虚勢だけで刀を構えていた少年がとうとう悲鳴を上げた。

 そのまま背中を向けて逃げ出すが、


「残念。お前が女だったらもう少しは生きられたのにな」


 制服の男は指先を上に動かした。

 直後、少年の体が浮かび、そのまま頭から天井に突き刺さった。

 下位の獣殻ではこの衝撃には耐えきれない。首の骨が折れ、少年もまた絶命した。

 制服の男は小さく嘆息し、


「もっと嬲ってやってもよかったが、男はどうにもいまいちだしな。とっとと食事だけ済まして新しい偽装先でも探すか」


 そう呟く。直後、男の口元が裂けて顎が床にまで届く。そこから三本の大蛇のような舌が伸びて三人の死体を絡めとった。巨大化した口に取り込むと、咀嚼音を立てて噛み砕く。まるでミキサーに肉塊を押し込んでいるような不気味な『食事』だった。

 ややあって、男はげぷうっと息を吐いた。


「さて。行くか」


 顔を元に戻して、制服の男は立ち去ろうとした、その時だった。


「……ん?」眉をしかめる。


 ボーリング場の入り口。そこに人影が現れたことに気付いたのだ。

 厚手の黒いコートを着た男だった。深々とフードも被っている。


「……やれやれ。おかわりか」


 制服の男は「はあ」と溜息をついた。

 遅れてきたということは、先の三人とは別枠のようだ。

 迷いこんだ一般人の可能性もあるが、その割には実に堂々としている。獣殻こそまだ纏っていないようだが、間違いなく鬼狩りだろう。


「しかも、また男か。今日はもううんざりだぞ」


 制服の男は肩を落とした。

 人間は等しく美味ではあるが、男は女に比べるとどうしても劣る。骨も筋肉も硬いからだ。その歯ごたえこそがいい。または、人の旨味は魂にこそあると力説する変わり者の同胞もいるが、自分は断然女の方が良かった。特に鬼狩りの女は最上級に美味だった。

 まあ、それを逆手に取られて罠に嵌められたという同胞の話もよく聞くが、その程度で殺されるなど妖鬼としては恥ずべきことだった。


「まあ、いいさ」


 いずれにせよ、火の粉は払わなければならない。

 制服の男は、クイクイと手を動かした。


「俺も忙しいんだ。早くかかって来い、鬼狩り。さっさと殺してやろう」


 絶対の自負と共に、そう告げるのであった。






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