02 出発!

「それでは……」


 クラス担任のタネンバウム先生が、すぐそばにいた栗色髪の少女へと視線を向けた。


「ヒィイイ!」


 いきなり声を掛けられて、栗色髪の少女、メルフィーデは目を真ん丸に見開いて震える甲高い悲鳴を上げた。


「あのお、メルフィーデ・エクスタインさん……いつも思うんですけど、どうしてわたしの顔を見るとお、そうやって怯えるのですかあ?」


 のんびり口調でちょっと首を傾げつつ、怯えられていることに少し悲しそうなタネンバウム先生である。


「いえ、怖がっているわけでは……済みません」


 何故かと問われれば、彼女の顔がゲレッタ伯母に似ているからだ。

 性格はずっと優しい。

 どちらかといえば笑顔が多い。

 でもそれはそれで、伯母が大爆発する直前に浮かべる笑みに思えてしまって。

 先生には申し訳ないと、思ってはいるのだけど。

 思って心を制御できるなら、平然こんなビクついて生活していない。


 さて、話を進める。

 ここは、そびえる城壁の下だ。


 集まるは三十人ほどの子供たち。

 それと引率の先生が二人。


 わいわい賑やかである。

 学年合同の遠足で、二クラスの生徒たちが集まっているのだ。


 扉の両脇には、兵士が立っている。

 軽鎧の上から赤白縞の服を着込んでおり、槍を立てて柄尻を地に突いている。

 道化みたいな服装だが、彼らは騎士だ。

 この城塞都市は、騎士団の若手が順繰りに門番を務めているのだ。


「みなさんー、それではあ、出発ぅしますよお。では門番さん、どうぞ、開門を、お願いいたしますぅ」


 タネンバウム先生が、二人の門番へと深くゆっくり頭を下げた。


「了解っす。おい子供たち、楽しんでこいよー」


 より若い方の門番がそういうと、大きな扉がぐぎぎぎ軋る音を立てて、左右にゆっくりと開き始める。


 開いた僅かな隙間から、城壁の向こうが見える。


 メルフィーデは、胸をそっと押さえ、どきどきしながら見ている。少しずつ開かれて視界の広がっていく様、景色を。


 現在は戦乱の時代ではなし、城壁の外にだってたくさんの人たちが生活している。こないだ父が亡くなり埋葬をしたが、そのお墓だって城壁の外だ。

 でも、普段は城壁内でずっと暮らしているから、ワクワクの冒険気分なのだ。


「おい、メルフィーデ、お前え今日も漏らすのかあ」


 ペーター・スチューベンが近寄って、出っ歯でしししっと意地悪く笑った。

 いじめっ子グループの一人である。


「うわあ、いやだあ、うわあ、きたなあい」


 ユッタ・ベンヤミンが、鼻をつまんで鼻声を出しながらやってくる。

 彼女もまた、いじめっ子グループの一人である。


 気の弱いメルフィーデはなにもいえず、下を向いてしまう。

 ワクワクに胸がドキドキしていたが、違う意味のドキドキになってきた。


「外なんだから、漏らしたっていいだろ! バーカ」


 いい返せない本人に代わって反応するのは、アンナ・ベルメールだ。

 丸い黒縁眼鏡に清楚な顔立ち、でも態度はめちゃくちゃガサツな男前少女である。

 論点がズレているし、余計にメルフィーデが傷付きそうなことをいっているが、まあ悪意はないのだろう。


 最近、メルフィーデとアンナは一緒にいることが多い。

 そのため、ペーターもユッタも迂闊に手を出せず、こうしてチクチク嫌味が関の山だったりする。

 どうして手を出せないかというと、単純にアンナが強いからだ。

 こないだだって、巨人みたいに大きな男性の凶悪犯を、肘打ち一発でやっつけてしまったのだから。


 メルフィーデにとっては、有り難くもあり困ることでもあるのだが。

 何故ならば、発散ができずに恨みに思うペーターたちから、常にバチバチと恨みの火花が飛んでくるからだ。


 その悔しい思いを、彼らはきっとボスのオズワルドに報告しているのだろう。

 最近は家でのいじめもより暴力的になってきてるし、おそらくは。

 先日も、めくられたスカートをすっぽり頭で結ばれて、廊下を端まで引きずられたし。


 ぼんっ

 メルフィーデの眼前に、三つの青く揺らめく炎が浮かび上がった。


『今日もおしっこ漏らすんかあ?』

『着替えは充分に持ってきておるのか?』

『行く先に洗濯所とかお風呂ってあるのかしらあ。ま、すぐ漏らすから関係ないかあ』


 ハハハハハハハハハハハ

 ハハハハハハ

 ハハハハハハハ


 青い炎の、狼、鷲、人魚。

 悪魔である。

 狼のシルエットは、ビルゴリアス。

 鷲は、グデイオン。

 人魚は、レパル。


 三体の悪魔は今日もメルフィーデをからかって大笑いだ。


「お前たちは黙れーーーっ!」


 悪魔にまるで動じない強心臓の眼鏡少女が、メルフィーデに代わって文句をいう。

 そう、眼鏡少女アンナにもなんと悪魔の姿が見えるのだ。声が聞こえるのだ。


 つまりは、メルフィーデに見えるのは取り憑かれているからではないということだ。

 ならばアンナ以外にも見える者がいて不思議でない道理だが、現在の様子からして可能性は低そうだ。

 みんなわいわいと楽しそうに騒いでおり、ここに悪魔がいることなどまるで気付いていなさそうだ。


「ではみなさあん、二列を作ってえ、隣の人と手を繋いでえ、出発、しまあす!」


 タネンバウム先生が大声で号令を出した。

 ゲレッタ伯母みたいな顔のくせに、妙におっとりとした優しい態度で。


 いつの間にか城門の扉は完全に開いており、外には丘陵が広がっている。


 メルフィーデとアンナはお互いに顔を見合わせると、どちらからともなく笑みを浮かべた。

 先生の指示に従って、そっと伸ばした手を繋いだ。ちょっと、恥ずかしそうに。


 遠足の始まりだ。

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