07 ナイフ
ハハハハハハハハハハハハハハハ
ハハハハハハハハハハハハ
ハハハハハハハ
「ねえ、あんたたち、誰?」
大笑いしている悪魔たちへと語り掛ける少女の声があった。
丸い黒縁眼鏡を掛けた少女、アンナ・ベルメールである。
怪訝そうな顔で、彼女は悪魔たちを見ているのだ。
「え?」
え、えっ?
見えて、いる?
衝撃にメルフィーデは目をまん丸にして驚いていた。
「……アンナちゃんにも、見えるんだ」
小声で問う。
「ん? ぼうぼう青く燃えてる三匹の動物だろ?」
「うん。あ、あのね、信じられないかも知れないけど、わたしに⋯⋯」
栗色髪の少女は、悪魔について簡単に説明しようとするのであるが、
「こそこそ勝手に話してんじゃねえよ」
「ぶがえ!」
顔面へと、ハーディングの靴底がぶち込まれていた。
蹴り抜かれ後へ倒れた際、壁に後頭部を激しく打ち付けた。
「大丈夫?」
「ほがっ、びゃいぼびゅっ」
まだ腕を縛られていない彼女は、涙目で鼻を押さえた。
大丈夫ではないが大丈夫みたいだ。
「デカ男、お前なにすんだよお! こっち、か弱い八歳の女の子なんだぞ!」
縛られながら、アンナがきっと男を睨む。
「うるせえ。こそこそわけの分かんねえこと喋ってっからだ。殺すぞ」
大男、ハーディングは生命を脅かしつつも、楽しげにぐふと笑った。
むしろそうする理由を与えてくれと、いわんばかりな表情である。
しかし眼鏡の少女アンナは、清楚で大人しそうな顔とは裏腹に、脅しにまるでひるまない。
後ろ手を縛られながらもメルフィーデへと身を擦り寄らせると、今度こそ男に聞こえないように小声で、短く一言を発するのだ。
「ナイフ」
と。
彼女が向ける視線の先にあるのは、床に落ちている一本のナイフだ。
メルフィーデは考える。
後ろ手を縛られているというのに、そのナイフでなにをしようというのだろうか。
よしんば手に入れられてもこの体格差と性差だ、相手が素手であっても戦いにすらならないのではないか。
「そんじゃあ、てめえも縛らせてもらうぜ」
凶悪逃亡犯ハーディングは、服の背中を適当に掴んでメルフィーデを乱暴に引き寄せた。
「ふぎぃ!」
首がきゅっと布で締まり、苦しげな悲鳴を上げてしまう。
瞬間、脳裏にアンナが先ほどいった言葉が浮かんでいた。
ナイフ⋯⋯
そうだ。
ちらり、その床のナイフを確認すると、
「やめて!」
縛られることに抗う振りをして、激しく身をよじらせた。
逃げようと手で、肘で、少女は抗い床を這い進もうとする。
「逃げんなぁあ小娘!」
大男ハーディングはすかさず腰を屈めて、床を這う少女を捕まえようと手を伸ばす。
一瞬、その手が止まったのは、少女の濡れた服を気にしたものだろうか。
背中やスカートのお尻は、いまのところ濡れてはいないが、暴れられたら汚ねなとか無意識に気にしたものであろうか。
と、男の躊躇を時間稼ぎにさらに肘で這い進むメルフィーデであったが、結局、
「ぶぎっ!」
汚れても構わない靴裏で背中を思い切り踏みつけられ、這い這い快進撃は終了であった。
「手間ぁ掛けさすんじゃねえよ! 殺すぞほんとてめえ」
「ぐばっ、ずっ、ずびばぜんっ! ぎふっ!」
男に背中をぎゅむぎゅむ踏まれ、メルフィーデは悲鳴を上げる。
だけど⋯⋯
既に、第一の目的は果たした。
ナイフは、伏せた腹の下だ。
這い逃げるそぶりを見せて背中で死角を作りながら、手を伸ばして掴み取っていたのである。
アンナちゃんは、このナイフでわたしに戦って欲しいと思っているということ?
まだ縛られていないのが、わたし一人だから?
いや、違う。
きっと⋯⋯
「おらよっ!」
ハーディングに襟首を掴まれ起こされたメルフィーデは、ずるずると、他の子たちのいる壁際へと引きずら戻される。
メルフィーデは、痛みに身悶えするふりをしつつ、再びハーディングから死角を作り出す。
そして、隠し持っていたナイフを、手首の動きでアンナへと滑らせたのだ。
「ありがと」
呼気より小さい、耳元でないと聞こえないほどの小声でそういうとアンナは、自らの尻を軽く浮かせて滑ってきたナイフを隠した。
「今度おかしな真似をしたらあ、すぐに殺すからなあ。くそっ、どこ掴めばいいんだよ、汚えなあこいつは!」
ハーディングは、服の濡れた部分に触れぬようメルフィーデを後ろ手に縛り始める。
『エアハルトの小娘が、縛られてやがるぜ! こらざまあねえや!』
『いっそ全身ぐるぐるきつく縛って、こんがり回し焼いてくれないかしらん』
『そうなれば最初に喰らう権利があるのは我であろう。⋯⋯だがしかし、漏らしたばかりなのであるぞ』
『気にすんなあ!』
ハハハハハハハハハハハ
ハハハハハハハ
ハハハ
「だあからあ、うっさいんだよお! さっきからお前らっ!」
アンナの小声が、しっと空間を疾る。
続いてアンナの視線は縛られてる最中のメルフィーデへ向いた。
「ねえ、メルフィーちゃん、だっけ? なんなんだよ、この三匹は?」
『匹っていうなあ!』
「⋯⋯え、あ、うん、わたしに取り憑いている、悪魔」
『匹を取り消せ! 眼鏡え!』
「悪魔? うぉ、すげえなあ。あん時、教会でも、ちらっとなにか見た気がしてたんだけど。そっかあ、わたしの気のせいじゃなかったかあ」
ぽそりこそり、小声のやりとりである。
「てめえら、勝手に話すなっていってんだろ!」
「うぁ、ご、ごめんなさい!」
メルフィーデがびくびくした様子で謝ることに、少し気分をよくした様子のハーディングであるが、だけれど今度は別の口が動き出す。
「助けてくれよおおおおおおお、人質こんなにいらねえだろおおおおおおおお! 助けてくれゆぉおおおおおおおおお!」
短髪の十一歳、オズワルド・ヴァインベルガーである。
大きな図体のくせに情けない大声で喚きながら、じたばたと身を悶えさせている。
「ああ、ああ、確かに生きた人質はぁ、そんな頭数いらんかもなあ。んじゃあ、てめえから死んでみっかぁ?」
ハーディングはヴァインベルガー家のお坊ちゃまを、胸ぐら掴んで引き寄せた。
「ふがらああああああああああっ! ぶいっ、ぶっ殺すんならペーターか、あのおしっこ漏らし女にしてくれよう! おしっこ漏らした罪で死刑! おしっこするやつに生きる資格はねえんだ」
「いい加減だまれや!」
「ヒイイイイイ!」
やり取りを聞きながら、眼鏡の少女アンナは小さく舌打ちをした。
アンナの苛立つ理由、メルフィーデにもなんとなく分かる。
犯人の神経を過剰に逆なでして、本当に刺し殺されることになったらどうするのか。
オズワルドだけが刺されるならば構わないどころかむしろ歓迎だが、それにより床のナイフをこっそりくすねたことに気付かれてしまうではないか。
と、差し詰めそんな理由だろう。
メルフィーデとしては、もしオズワルドが刺されたら申し訳なさに謝っても謝り切れないが。
だって、先に自分たちこそが余計なことを喋っていて、ハーディングの脳内温度を上げてしまったのだから。
とはいえ、ハーディングがオズワルドの態度に腹を立てて気を取られているのは、ある意味でチャンスでもある。
眼鏡の少女は、そう考えたのだろうか。
もぞもぞ、縛られた後ろ手でなにかを掴んで身をよじり、メルフィーデへとそのなにかを渡そうとするのだ。
先ほどのナイフであった。
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