第2話 権藤の家

  さて、半年間の準備期間はあっという間に過ぎ――結婚当日とあいなった。

 

「陽毬と申します。ふつつかものですが、よろしくお願い申し上げます」

「がはは! 業界の老舗、両口屋のお嬢さんがうちに嫁いで来てくれるとはなあ。まるで夢のようだ。さあさあ、堅い挨拶は抜きにして、楽にしなさい」


 ついこの間まで女学生だった身には、その声の大きさだけでも少し息苦しい。

 

 ご子息の宿禰が長らく療養中で、人前には出せない身体だという話は、両口屋にも伝わっていた。

 そのため、この嫁入りには結納やお式といったものは一切無い。白無垢に身を包んだ私ひとりが、わずかな嫁入り道具とともに、権藤家へと運ばれただけだった。

 

 苦境にある両口屋家をおもんばかってか、衣装も道具も不要だと先方は言ったが――。

 

「それでは、陽毬があんまり可哀想だわ」

 そう言って母は泣き、せめてもと、かつて自分が袖を通した白無垢を、私に持たせてくれた。

 

 その純白が、今、この部屋ではひどく浮いて見える。

 革張りのソファに、てかてかと磨かれた大理石の床。お義父様が手にしている、金色に光る日の丸の扇子。

 白無垢の冴えた白はこの部屋のどこにも馴染まず、まるで置き場を失った花嫁人形のようだった。


「ほら、立っていては疲れるだろう、こっちへいらっしゃい」

「いえ、……私はこちらで」

 

 豪快に笑うお義父様の誘いを断り、かろうじて下座となる入り口側に腰を下ろす。

 

 すると目に入ってくるのは、てかてか光る亀の甲羅や鮮やかすぎる色味をした虎の毛皮――いかにも偽物めいた調度品ばかりだ。

 

 同じ実業家でも、品のあるお父様とはあまりに違う。


「おお、なんともめんこいお嫁さんだ。権藤の家にこんな可愛い娘が来てくれるとは、宿禰も果報者だのう。なあ、ミツ子や……」

 

 ひどく大袈裟な喜び様に、笑顔を作って応じたものの、心の奥はしんと冷えたままだった。

 その笑い声とは裏腹に、お義父様の眼の奥は少しも笑っていないから。

 この方は、何を隠しているのだろうか――そんな疑念だけが、胸の底に澱のように溜まってゆく。

 

 一方で、彼とは対照的に、終始無言を貫いているお義母かあ様の存在は、別の意味で私を落ち着かなくさせた。

 

 世にも美しいその御顔は、能面のように動かない。

 お義父様が笑うたに、目じりはかすかに吊り上がるものの、頬の筋肉がちっともまるで動いていないのだ。


「何ですか、あれは……まるで蛇のようだわ!」

 顔合わせの後、実家のお母様が、そう評していたのを思い出す。

「考えすぎだ」と父が母を宥めていたが、内心、私も手強さを感じていた。

 ……もっとも、お母様が心配するほど、私は弱くないつもりだけれど。

 

 と、感極まった様子で、お義父様が、手酌てじゃくでグラスに洋酒ブランデーを注ぎ始めた。

「あ、私が」

 

「いやいや、いいとこのお嬢さんにそんな真似はさせられんよ。祝い酒じゃ。陽毬さんはいける口かい?」

 ミツ子お義母様が、ジロリとお義父様をねめつける。

 それを見て私も即座に断った。

 

「あ、あの……すみません。私もその、あまりお酒は嗜まなくて。お気持ちだけ、いただきます」

 

 父の影響もあり、本当は嫌いではないのだが。

 ここで素を見せるほど、私はまだ、この家を信用してはいなかった。

 

「ふむ……そうか」

 お義父様は、少し残念そうにしながらも、すぐに気を取り直し、また陽気な声に戻った。

 

「まあ、本来ならもっと盛大に祝いの席を設けるところだが……息子の宿禰のせいで、本当に申し訳ないことをした。せめて権藤家ここではゆったりと過ごしてほしい」

「あなた」

 

 ここで初めて、お義母様が口を挟んだ。

 

「ねえ、あなた。おひとりで楽しんでいないで、そろそろ花嫁を宿禰に紹介してあげては? あの子、きっと待ち侘びておりますわ」


 その声は、妙に平坦で、抑揚がない。

 暖かいお部屋のはずなのに、何故か肩口にうすら寒さを覚えた。

 

「ん……むう。しかし、陽毬さんも今日は疲れているだろう。対面は明日以降でも――」

 

「あなた!」

 

 ぴしゃりと、言葉が被せられる。

 

「ああもう、分かった分かった!」

 

 お義父様は、観念したように手を振った。

 

「ではミツ子や、陽毬さんを、宿禰の元へ」

 

「はい、承知いたしました」

 

 一礼するとお義母様は、早速と言わんばかりに腰を上げる。

 

「さ、参りましょう、陽毬さん」

「は、はい」

 

 その瞬間、彼女の口角がほんのわずかに吊り上がった。

 

 薄い唇から覗いた白い歯を見た途端、胸の奥がしんと冷えるのを感じた。


 ――私は今、この家のへ連れていかれようとしている。


 まだ顔も知らない夫、

 権藤宿禰の元へ――。


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