3-6 黒字の祝杯
僕はくるりと踵を返し、嘲笑を浮かべている男たちを真っ直ぐに見据えた。
気づけば、口が勝手に動いていた。
「……数字も見ずに笑う人ほど、足元を掬われるんですけどね」
ギルドの喧騒を切り裂くように、僕の声が響いた。
「……派手な獲物を狩ることだけが、冒険者の強さじゃない」
「は?」
ひそひそやっていた冒険者が、こちらを振り向く。
「グラスホークは、この一ヶ月、新たな前借りなしで月を越えました」
僕は、できるだけ声を荒げないようにしながらも、はっきりと言った。
「ポーションも修理代も全部払って、それでも金貨が残っています。
“草むしり”だって馬鹿にする人は多いですけど──
数字で見れば、ちゃんと食わせてくれる立派な仕事です」
一瞬、空気が固まった。
「数字も見ずに見栄だけで戦って、気づいたら破産して引退……。
そんな末路を辿りたくなければ、他人を見て笑う暇なんてないと思いますけどね」
そこまで言って、自分でも言い過ぎたかと少しだけ冷や汗がにじむ。
「……アラタ」
隣で、アイナが小さく僕の名を呼んだ。
「行きましょう。控室、借りてるんでしょ?」
彼女はひとつ息を吐き、僕の袖を軽く引いた。
そのまま人目を避けるように廊下へ出たところで、アイナがぼそっと言った。
「……ありがと。かっこよかったわよ、今の」
言い切った瞬間、彼女はふいっと視線を逸らす。
その横顔は、どこか気恥ずかしそうで──それでいて、少しだけ嬉しそうにも見えた。
* * *
控室に戻ってもしばらく、アイナは何も言わなかった。
ただ、短く息を吐いて――それから、ぽつりと言った。
「……ああやって笑われるとさ。一瞬、“やっぱりド派手なクエストに戻ろうか”って思うのよ」
机の上には、今月のクエストの一覧表。僕とリオットがまとめた、簡易の“売上と残り”の表が広がっている。
「“グラスホークが草むしり専門になった”なんて、冗談でも言われたくない」
そう言いながらも、アイナは視線を紙に落とした。
「――でも、今のやり方を始めてからまだ前借りの木札を割ってない」
静かな声。
「ギルドの前借りの木札に、一度も名前を刻んでない。それくらいの変化は……信じてみてもいいでしょ?」
その言葉に、胸の奥がふっと温かくなった。
* * *
「じゃあ、今月のまとめです」
月末。例の小部屋で、僕は板の前に立った。
「今月受けた仕事で入ったお金は、鉄背熊が素材込みで金貨22枚、灰牙狼が7枚、洞穴トカゲが6枚。
それから、護衛が3回で金貨9枚に、薬草採取が1回で金貨1枚――全部で金貨45枚分ほどです」
『+ 今月の仕事で入ったお金:金貨45枚』
「ポーションや矢、修理など、“仕事のために増えた支出”は、高級ポーション3本と通常ポーション10本で金貨9枚。
それから、装備の修理に金貨5枚、その他の道具や移動費で金貨6枚――全部でだいたい金貨20枚分です」
『− 仕事のために増えた支出:金貨20枚』
「差し引き、“仕事で残った分”は、金貨25枚」
『= 今月の“仕事で残った分”:金貨25枚』
隣でそろばんを弾いていたリオットが、震えながらうなずいた。
「間違いありません……!」
「ここから、いつもの宿代・部屋代・食費など、固定費の金貨15枚を引きます」
『− 固定費(宿・部屋・食費など):金貨15枚』
「残りは、金貨10枚分」
『= 手元に残った分:金貨10枚』
「このうち金貨3枚分は、前の月までの前借りの返済に回しました。
……“感謝の上乗せ”もしっかり銀貨9枚分、取られましたけどね」
メリスが付け足す。
「それでも、袋には金貨6枚と銀貨が少し。突然の修理が発生しても、すぐには詰まらないくらいの余裕があるわ」
「……本当に、残ったのね」
アイナがぽつりと言った。
「ただ生き延びただけじゃなくて、“来月に持ち越せるお金”が」
バルグがしばらく黙って板を見上げていたが、やがて照れくさそうに笑った。
「なんだ。数字ってやつも、悪くないじゃねえか」
* * *
その夜。酒場でささやかな打ち上げをした。
「ここまでは使っていい、ってラインは守ってくださいね」
僕は一応念押ししつつ、その“ここまで”の中から、いつもより少しだけいい酒を選ぶことにした。
「今日は、一番高いエールで!」
バルグが嬉々として叫ぶ。
「今月“残った分”からだ。たまにはいいだろ!」
「ほんっと、すぐ全部使い切ろうとするんだから」
メリスが呆れつつも、ジョッキを受け取る。
ジョッキが打ち鳴らされ、泡立つ麦酒の匂いが店内に広がった。
少し酔いの回ったアイナが、ふらりと僕の隣に座る。
「……ねえ、アラタ」
「はい」
「あんたの“お金の数え方”、どうやら本物だったみたいね」
彼女は、ジョッキの縁を指でなぞりながら言った。
「派手な一か八かじゃなくて、“来月も戦えるだけの余裕”を残してくれる武器。
そういうのも、悪くないわ」
「ありがとうございます」
少し照れながら答える。
「僕は剣も魔法も使えません。でも、みなさんが“来月も戦えるかどうか”を確かめることなら、これからも手伝えます」
「……じゃあ、うちらの財布と命の守り、これからも頼んだわよ」
そう言ってから、彼女はさらに一歩、僕の方へ体を寄せた。
「……あんたがいれば、次はもっと上に行ける気がする。B級だって、夢じゃなくなるかもしれない」
そんな熱っぽい瞳で見つめられて、僕は思わず目を逸らした。
アイナも恥ずかしさを隠すように、ぐいっとジョッキを突き出す。
僕も自分のジョッキをぶつけた。
「乾杯」
「乾杯!」
* * *
数日後。
ギルドの裏で書類整理をしていると、ロアンに呼び止められた。
「おい、アラタ。お前宛てに、こんなもんが届いてる」
差し出されたのは、上等な紙の封筒。封蝋には、見覚えのある紋章──エルドレッサ商会の印章。
便箋をひろげると、そこには端正な筆跡で、こんな言葉が綴られていた。
『このたび、エルドレッサ商会では、あなたが教えてくださった「両側に数字を並べる帳簿」を正式に導入することにいたしました。
つきましては、本店で帳簿を預かる者たち──弟レオニスや若い帳簿係たちにも、あなたから直接教えを授けていただけないでしょうか。
お忙しいとは存じますが、ぜひ一度、商会本店までお越しください。
あなたの知恵の一端を、エルドレッサ商会にも分けていただけることを願っています』
『――セラフィナ・エルドレッサ』
「なになに、手紙?」
背後からアイナが覗き込む。
「……へぇ。“エルドレッサの薔薇”から、ね?」
ほんの少しだけ、不機嫌そうな顔。
(そういえば、……アイナさんは、エルドレッサ商会が“上乗せしてる”って言っていたな)
ギルドと商会、その間で動くお金は、ずっと気になっていた。
(でも、セラフィナさんが、そんな雑なやり方をするとは思えない)
ギルドの帳簿。グラスホークの財布。
そして次は──。
便箋の最後に記されている流麗な署名。その名前を見つめながら、僕は唾を飲み込む。
冒険者パーティの「お財布改革」は、ひとまず小さな成果を見せた。
次は──商会の帳簿だ。
ギルドの片隅で帳簿を抱えた会計士は、いつのまにか、商業の中心へと足を踏み出そうとしていた。
* * *
【次回予告】
ここまでお読みいただきありがとうございました!
次回より、新章「忙しいのに儲からない工房」開幕。
――注文は山積み、職人は残業続き。なのに、なぜ金庫の金は減り続けるのか?
現場改革にセラフィナと二人三脚で挑む。――そして、二人の距離も急接近!?
よければ★/フォロー/応援(♥)や感想をいただけると執筆の励みになります!
※第3章の補足解説や挿絵を近況ノートで公開しました。よろしければどうぞ。
近況ノート:https://kakuyomu.jp/users/cpa_n/news/822139842729846944
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