第14話|王国武闘大会・血のない決闘

第14話|王国武闘大会・血のない決闘

① 開幕 ―― 血を望む空気

 王都中央闘技場。白い石で組まれた円形の観客席は、冬の陽を受けて鈍く光っていた。  耳を打つのは、粘りつくようなざわめき。  人の声。靴音。金属の擦れる音。そして、抑えきれない期待が発する、熱を帯びた息遣い。


「今年は各国代表が揃ったらしいぞ」 「剣士だけじゃない。魔導士、獣人まで出るって話だ」 「どうせなら派手にやってほしいよな。血が出なきゃ、つまらん」


 最後の言葉が、不快な湿り気を帯びて空気に溶けた。それは悪意というより、慣れだった。力とは流血を伴うもの。勝利とは、相手を壊すこと。観衆の多くは、疑いもなくそう信じていた。


 控室の通路。冷たい石壁に囲まれた狭い空間で、シルヴィアは静かに目を閉じていた。  鼻腔をくすぐるのは、鉄の匂い。剣油。血の染み抜けきらぬ床。かつて何度も「名勝負」が演じられた場所特有の、重たい匂いだ。


「……今日も、期待されてますわね」


 独り言のように呟く。胸の奥が、わずかに軋んだ。  英雄への期待。血を流さぬ異端への、歪んだ興味。  シルヴィアは、ゆっくりと丹田へ呼吸を落とす。外気の冷たさと、身体の内側の温度が、穏やかに釣り合っていく。


「倒さず。壊さず。……それでも、勝つ」


 それは誓いではない。彼女にとっては、呼吸と同じ当たり前のことだった。


 鐘が鳴る。低く、重く、闘技場全体を震わせる音。 「第一試合、出場者、入場!」


 シルヴィアは目を開き、歩き出した。  観客席から降り注ぐ視線が、肌を刺す。剣も持たぬ、杖もない、魔力の波動も感じられない。


「……あれが、噂の女か?」 「武器なし? 舐めてるのか」


 相手は、王国騎士団代表の剣士。長剣を構え、鎧の継ぎ目から、汗と緊張の匂いが漂ってくる。 「始め!」


 剣士が踏み込む。鋭い剣風が空気を裂く。  だが、シルヴィアは、避けていない。弾いてもいない。ただ、半歩、内側へ入っただけだ。  肘が、剣士の前腕に触れる。強くない。打撃ですらない。


 それでも、剣士の指が開いた。  カラン、と。剣が石床に落ちる音が、やけに大きく響いた。


「な――!?」


 次の瞬間、剣士の視界が反転した。  重心を奪われ、呼吸が乱れ、気づいたときには喉元に、何もない掌が添えられていた。


「……ここまで、ですわ」


 静かな声。審判が息を呑む。 「勝者、シルヴィア・フォン・アステリア!」


 一拍遅れて、観客席がざわめいた。 「え? 何が起きた? 血は……?」  血は出ていない。叫びもない。それなのに、誰もが理解していた。  完全に、制圧されたのだと。


② 激化 ―― 壊さず、倒さず、覆す

 連戦が続く。  魔導士が放つ火球の灼熱。獣人の咆哮と、石畳を震わせる質量。  観衆は当初、血が出ない展開に苛立ちを見せていた。しかし、試合が進むにつれ、会場を支配する空気は変質していった。


 シルヴィアの動きは、残酷なほどに「静か」だった。  猛り狂う獣人の突進を、彼女はわずかに体を開くだけで「空」へと流す。相手が自ら転倒する直前、彼女の指先が首筋や脇の下へ、羽毛のような軽やかさで触れる。


「……負け、だ」


 誇り高き獣人が、傷一つない体でそう呟いた。  観客席のあちこちで、誰かが呟き始める。


「……派手じゃない。なのに、目が離せない」 「なぜだ? あんなに優しい動きなのに、どうしてあんなに強いんだ?」


 その時、観客席の一角に、一人の老いた兵士がいた。  かつての戦場で多くの返り血を浴び、自分もまた傷だらけになった男だ。彼は、シルヴィアが倒れた相手に差し伸べる「手」を見つめていた。


 男の目から、一筋の涙が溢れた。  彼は知っていた。力とは、常に誰かを踏みにじるものだと思っていた。だが、今、目の前の少女が見せているのは、相手の尊厳を一切奪わずに勝利するという、奇跡のような技術だった。


 言葉にならない感動が、波紋のように観衆へ広がっていく。  拍手が起きた。最初は、まばらに。やがて、確かな重圧を持って広がっていく。  それは、流血への歓声ではなく、理解への拍手だった。


③ 決勝 ―― 理の継承、魂の邂逅

 陽光が真上に達した頃、決勝の鐘が鳴った。 「決勝戦――シルヴィア・フォン・アステリア対、ルーク・フェルナンド!」


 ルークが、ゆっくりと入場する。かつての迷いはない。背負った大剣は身体の一部のように馴染んでいた。


「……ルーク。良い目になりましたわね」 「……貴女に教わったからです、シルヴィア様。強さとは、自分を律する意志なのだと」


 審判の手が振り下ろされた。「始めッ!」


 ルークが爆ぜた。大剣が横一文字に薙がれ、空気が悲鳴を上げる。  シルヴィアは身を沈め、ルークの肘に関節を吸い付かせる。「柔法」で力を逸らす。  だが、ルークは止まらない。転倒する寸前、剣を支点に身体を反転させ、左拳でシルヴィアの側頭部を狙った。


(――誘った? 私が関節を制しに来るのを、読んで……!)


 シルヴィアは左腕を掲げ、「剛法」の打ち払いで迎撃した。  肉と肉がぶつかり合う、重い衝撃音。シルヴィアの腕に、熱い痺れが走る。  ルークの拳から伝わってきたのは、切実なまでの「学びへの渇望」だ。


「いいでしょう。ならば、全てを受けなさい」


 シルヴィアの空気が一変した。  彼女は一歩、踏み込んだ。目にも止まらぬ連続突進。  上段突き、中段蹴り。ルークは必死に剣の腹で受け、あるいは腕で防ぐ。  打撃を受けるたび、ルークの身体から無駄な力が抜け、呼吸がシルヴィアと同調し始める。


(見える……。シルヴィア様の、力の通り道が!)


 ルークは剣を捨てた。丸腰で彼女の懐に飛び込む。  シルヴィアは、微笑んだ。  彼の右拳を受け止め、同時に左手で手首を捕らえた。


「送り小手」。  ルークの勢いを旋回運動に変え、彼の巨体を宙に浮かす。  地面が迫る瞬間、シルヴィアの手がルークの襟首を、壊れ物を扱うように優しく支えた。  衝撃を殺し、ふわりと着地させる。


「……参りました」


 ルークは膝をつき、深く頭を下げた。瞳には、真理に触れた充足感が溢れていた。


 地鳴りのような拍手が沸き起こる。  「血を流さずとも、人は、理解されうる」  その事実が、数万人の心に突き刺さった。


 観客席の上段、カイル皇太子は顔を屈辱に歪め、手すりを粉砕せんばかりに握りしめていた。 「……何が理だ。あんなお遊びで、世界が変わるとでも!」


 だが、カイルには見えていなかった。  観客席のあちこちで、人々が静かに涙を拭い、隣に座る見知らぬ誰かと頷き合っている姿を。  暴力の時代が、静かに幕を閉じようとしている音を。


 シルヴィアは、ゆっくりと「結手礼」を交わした。  それは、勝利の誇りではなく、理(ことわり)が伝播したことへの感謝の礼だった。


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