第2話 このダンジョン、状態異常が主食みたいです
第2話
このダンジョン、状態異常が主食みたいです
ダンジョンの中は、思っていたより静かだった。
湿った石の匂い。
土に混じる、ほんのりとした鉄の気配。
遠くで水が落ちる音が、ぽちゃん、ぽちゃん、と規則正しく響いている。
「……瘴気、って聞いてたけど」
私は一歩、さらに奥へ進んだ。
喉がひりつくような臭さもない。
目が痛くなるほどの紫色の霧もない。
ただ、空気が少し重い。
深呼吸すると、胸の奥がじん、と痺れる感じ。
「これ……瘴気というより、状態異常の“残り香”?」
足元で、ぷるり、と何かが動いた。
「――っ」
反射的に身構える。
けれど、そこにいたのは――
「……スライム?」
半透明で、青白い。
拳ほどの大きさ。
攻撃してくる気配はない。
ぴと、と私の靴に触れた瞬間。
「……眠……?」
視界が、ふわり、と揺れた。
世界が一瞬、柔らかくなる。
「睡眠付与……弱め。でも、自然」
私は目を瞬いた。
すぐに意識ははっきりする。
「なるほど。あなたたち、攻撃しないのね」
スライムは、ぷるん、と揺れて離れた。
追ってこない。
その代わり――
ひゅ、と冷たい風。
「……今度は?」
足が、急に重くなった。
まるで泥の中を歩いているみたいに。
「鈍重。……しかも重ねがけ?」
次の瞬間、視界の端で、壁が歪んだ。
「……幻覚」
笑ってしまいそうになる。
「ちょっと待って。このダンジョン――」
毒。
睡眠。
鈍重。
幻覚。
どれも即死じゃない。
どれも嫌らしいほど“効く”。
でも。
「……弱い」
私は、はっきりそう思った。
魔物自体は、弱い。
殴れば倒せる。
火力もない。
なのに、状態異常だけが、やたらと的確。
「……主食、これね」
ぽつりと呟いた。
そのとき。
――コツン。
足元の石が、淡く光った。
地面の奥から、低い振動が伝わってくる。
胸の内側が、同じリズムで震えた。
「……なに?」
奥へ進むと、開けた空間があった。
中央に、黒い結晶。
人の胸ほどの大きさで、静かに脈打っている。
見た瞬間、分かった。
「……ダンジョンコア」
息を呑む。
こんな、むき出しで?
護衛もなしで?
私は、恐る恐る近づいた。
ひんやりとした空気。
結晶から、微かに温もり。
そっと、手を伸ばす。
――触れた瞬間。
『……管理者、確認』
声が、頭の中に直接響いた。
「……っ!」
驚いて、でも手は離さなかった。
「あなた……コア?」
『肯定。旧式個体。攻撃機構なし。』
「……攻撃、なし?」
『攻撃力:ゼロ。代替機能:状態異常増幅。』
一瞬、間が空いた。
「……ふふ」
思わず、笑ってしまった。
「それで、あんなに状態異常が濃かったのね」
『生存戦略。侵入者の死亡率を下げ、撤退率を上げる設計。』
「……つまり」
私は、結晶に額を寄せた。
「誰も殺さないダンジョン」
『結果として、そうなる。』
胸の奥が、じわっと温かくなる。
「ねえ。あなた、ずっと、管理者が来るの待ってた?」
少しの沈黙。
『……管理者不在期間、二百三十七年。』
長い。
あまりにも、長い。
「……そっか」
私は、結晶を撫でた。
冷たいけれど、嫌じゃない。
「じゃあ、今日から私が管理する」
『確認。適性測定――』
空気が、きゅっと締まった。
『状態異常耐性:高。制御精度:異常値。管理適性――』
ぴたり、と止まる。
『……最適。』
その一言で、全部が腑に落ちた。
「……やっぱり」
私は、はっきりと言った。
「ここ、私の庭だわ」
声が、石に反響する。
誰も、笑わない。
誰も、否定しない。
『管理者、初回報酬を設定。』
空間が、ゆらり、と歪んだ。
目の前に、木箱が現れる。
ぱかり、と蓋が開く。
「……え?」
鼻をくすぐる、強い匂い。
「……にんにく?」
白くて、ずっしりした塊。
隣には、しょうが。
黒い粒――コショウ。
そして、小さな赤い糸。
「……サフランの、めしべ」
思わず、声が震えた。
「これ……高級品……」
箱の端に、金貨が一枚、きらりと光る。
「……景品、って、こういう……」
『管理者の発想を反映。実用性・希少性・取引価値。』
私は、しばらく黙ったまま、箱を見つめた。
――これ、分かってる。
冒険者が欲しがるもの。
料理人が飛びつくもの。
薬師が喉から手が出るもの。
「……すご」
その瞬間。
視界が、ふわり、と歪んだ。
「……あ」
温かい湯気。
鼻に届く、硫黄と石鹸の匂い。
気づけば私は、露天風呂の縁に立っていた。
「……?」
湯の中に、誰かいる。
長い黒髪。
白い肌。
湯気の向こうで、こちらを見て微笑む美女。
「……え?」
「おいで?」
甘い声。
「……っ」
私は、顔を覆った。
「幻覚! 中程度!」
『侵入者誘導用サンプル。』
「いらない! 私は侵入者じゃない!」
幻覚は、ふっと消えた。
冷たいダンジョンの空気が戻る。
私は、はあ、と息を吐いた。
「……危ないわね。心臓に悪い」
『管理者の反応、興味深い。』
「興味持たなくていい」
でも――
笑ってしまう。
攻撃力ゼロ。
状態異常だらけ。
変な景品。
なのに。
「……これ、完全に当たりじゃない」
私は、木箱を抱えた。
「ここなら、生きられる」
いや。
「……ここなら、勝てる」
結晶が、静かに光った。
『管理開始を正式承認。』
ダンジョンが、私の呼吸に合わせて、脈打つ。
私は、ゆっくりと笑った。
「さて……まずは、露天風呂の幻覚、もう少し品よくしようかしら」
このダンジョンは、
今日から――私の庭だ。
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