第7話 スマホ
「さて、とりあえず連絡先でも交換しますか」
俺が立ち尽くしていると、咲希が苛立ちを見せた。
「スマホですよ、スマホ。充電でも切れました?」
「……あの。俺、スマホ、ないです」
二人の顔が固まった。
「は、はぁー。現代人においてスマホ持たず生活できる人もいるんだ」
「訳ありっぽいツラだな。――依存でもしてたか?」
俺の口角が独りでに下がった。
『それ』が、刺さった。何かの結び目がほどけた。
スマホ依存。
その言葉が胸で弾け、記憶を呼び覚ました。
頭の奥で、『彼』に巻かれた糸がほどけた。
――
タプタプ。俺はスマホをいじっている。
タプタプ。スマホから短い電子音が漏れる。
タプタプ。指を、止めたい。止めて欲しい。
タプタプ。誰かの笑い声。誰かの成功。誰かの人生。――全部他人事。
タプタプ。時間だけ削れてく。何年、経ったんだろうか。
――
息が吸えない。喉が狭い。冷や汗が床に落ちた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
耳だけが、自分の荒い息を拾っていた。
肩を掴まれた。
「おい、祥也!」
「祥也さん!」
返事をしようにも声が出ない。
胸が痛い。指先が冷える。
視界が暗転した。
――仮眠室。
気づけばベッドの上だった。喉はからからだ。
咲希が水を持って部屋の中に入ってきた。
「あら、起きました? 少しは平気ですか?」
咲希に渡された水を飲みほした。
「だいぶね。ここは?」
「事務所の仮眠室です。事務所の部屋を案内する前に使うことになるとは」
咲希は苦々しく笑った。
凛も入ってきた。
「なんだお前、どうした? パニック障害持ちか?」
「の割に、グール戦の時平気そうだったしなぁ」
凛は心底不思議そうな顔をしていた。
「記憶喪失なんだよ。いくつかトラウマが抜け落ちてる」
「トラウマの記憶喪失ねぇ」
凛は首をかしげた。
「まあ、都合良くも感じるが、あり得る話か」
ほんと勘がいいな、こいつ。
四柱戦まで巻き込みたくはないから、すべてを話すわけにもいかない。
「まあ、とりあえず」
俺は起き上がって軽く頭を下げ、凛にお願いをした。
「ちょっと、とある場所まで送ってくれない?」
――マンション前。
俺は凛の車から降りた。
「ここであってんだな?」
凛は少し不安げだ。
「大丈夫。車もあるから少ししたら戻る」
「へぇ……」
咲希が車の窓を開け、外を覗き込む。
「ここが祥也さんの家ですか。なかなか良さそうなとこじゃないですか。」
「では」と降りようとする咲希を、凛が止めた。
不思議そうな顔をしている咲希。
「どうしました? お土産ほしいの?」
「違うわ。私たちは帰るんだよ」
「え? なんで? 祥也さんの部屋見てからでも……」
「あああぁぁぁーーー」
車が発進し、咲希の声が遠のいて行った。
――自宅。
鍵は開いていた。
開け慣れた、それでも初めて触れるような感覚で、ドアノブを触る。
呼吸をするように玄関のドアを押しのけた。
決まったように靴を脱ぎ、気づけば玄関に鍵をかけていた。
ゴミは残っている。なのに、部屋は妙に整っていた。
スイッチに手が伸び、電気をつける。――遅れて、リモコンをここに置いた記憶が戻る。
冷蔵庫の上の酒瓶が目に止まり、舌の上に甘い味がよみがえった。
座椅子のへこみが体にあう。ここで日に浴びていた。
スマホの充電ケーブルが、部屋の端に乱雑に纏められていた。
そして――ベッドの横。スマホが置いてあった。
手が勝手に伸びた。
取る寸前で止める。指先がぬるい手汗で滑った。
無意識で取ろうとするそれが、何より不快だ。
――財布。――車のキー。――そして、スマホ。
それらを手に取った後、ベッドで少し横になり呆ける。
ふと、
自分の通帳を確認した。
通帳にはこんな記載があった。
――
24.1.12 振込 ――― *9,999,999 【残】*9,999,999
24.1.28 振替 *13,526 ――― 【残】*9,986,473
24.2.28 振替 *11,000 ――― 【残】*9,975,473
24.3.28 振替 *11,000 ――― 【残】*9,964,473
・
・
・
24.10.12 振替 *9,999,999 ――― 【残】 *28,507
――
引き落としの額と残高が、どう考えても噛み合っていない。
それでも通帳は、正しい顔をしている。
『彼』が辻褄だけ合わせたのだろう。
アウトライアーに意識を向けると、視界が歪んだ。
現実が薄れる。
――プシュン。
この空間と世界がカチリと接続された。
アウトライアーは煤けて笑った。
「一応、説明しとくけど」
「僕が通帳書き換えておいたから」
「大丈夫だ。『代償』はもうもらってある」
――プチュン。
身の毛がよだった。
吐き気だけがきて、――それ以上は、頭が拒んだ。
ひとまず、
家をゲットした。
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