第4話
§
夜空を指でなぞり、星座を作っていたあの頃が懐かしい。
あれから二十年が経ち、私は結婚していた。そして二年目で妊娠し、現在は二十週目に入る。お腹の大きさが妊婦らしくなってきた。最近、腰や背中に負担を感じ、我が子の成長を身をもって感じる。
今日はエコー検査で病院を訪れていた。検査室で寝台に寝そべり、お腹にゼリーを塗られると、プローブがお腹に当てられる。するとモニターに白黒の映像が映し出される。
「それじゃあ赤ちゃん見ていきますねー」
産科医の女性がプローブを動かしていく。縦横無尽にプローブをお腹に走らせる様子を見るたび、子供がミニカーを走らせる姿を連想する。まだ産んでないのに。男の子か女の子かも分かってないのに。
「ここが頭で、ここが手、足。心臓も元気に動いてますねー」
産科医の女性は手慣れた操作でプローブを動かし、淡々と説明する。
「赤ちゃん、男の子ですか? 女の子ですか?」
急かすつもりはなかったけれど、結果として口を突いて訊ねていた。前回の検査ではまだ分からなくて、二十週目になれば性別も分かってくる頃だと聞かされていたから、気持ちが前のめりになっていた。
すると産科医の女性はプローブを動かし、確認する。そして、
「女の子ですよ」
「本当に? よかった。出来れば女の子が良かったんですよ。手が掛からないって言いますもんね」
嬉しい発表に私は声を弾ませると、産科医の女性ははにかみながら説明を続ける。
「二十週目辺りから赤ちゃんを包む羊水の量も増えてきますから、胎動も活発になってきますよ」
赤ちゃんの周りを囲む黒い影が、前回よりも大きくなっていた。
ふと私は気になって、話を脱線し、訊ねる。
「羊水って、要するに水の中ですよね? 赤ちゃんって水の中にいて溺れないんですか?」
すると産科医のお姉さんは丁寧な受け答えで返してくれる。
「はい。お腹の中では赤ちゃんは肺呼吸してませんからね。へその緒を介して酸素を取り込んでいるので私たちとは呼吸の仕方が違うんですよ」
「そうなんだ。でも不思議だなぁ」
「お腹の中は、外の世界とは違う仕組みで出来てますからねぇ。へその緒は酸素と栄養の供給や老廃物の排出を担っていますし、羊水は衝撃から守るクッションや温度を一定に保つ役割がありますし、胎盤は赤ちゃんに不純物が混じらない濾過装置になっています。いわばお腹の中は赤ちゃんを育てる為だけの生態系が作られているんですよね」
「生態系、って。なんだか壮大ですね」
「ごめんなさい、今のは言い過ぎたかも」
そう言って産科医のお姉さんは照れ臭そうにはにかむ。でも彼女の表現は的外れでも大言壮語でもないように思えた。スケールこそ違えど、やっている事は一緒だ。
「それで言えば、私のお腹は羊水で満たされた水の惑星と言ったところかな?」
私も乗っかると、お姉さんは楽しそうに言葉を続ける。
「なるほど、上手いですね。それに母性と母星が掛かってますし」
「本当だ。確かに」
それは気付かなかった。
なるほど、母星かぁ。
母星――母星?
「あれ?」
「どうしました?」
一瞬の閃き。点と点が繋がる。それはまるで星座のように、意味が繋がる。
母星――ママの星。
遠くで懐かしい声が聞こえる。
――ママがね、もしこのまま死んじゃったら。ママは星になるの。夜空に輝くお星様。
それは遠い記憶の声だ。幼稚園の時、病室にいたの母の声が聞こえた。 ママは死んだら星になる。私を悲しませない為に吐いた母の嘘。優しい嘘。
でも――、もしかするとあの言葉は間違いではないかもしれない。
私のお腹の中には今、小さな世界がある。水に満たされ、守られ、外界とは違う理で小さな命が息づく。
もしそれを星と呼ぶのなら――。
母の言葉は、もしかすると未来の私に向けたメッセージだったのかもしれない。
そう思った、その時。
トクン、とお腹の中で小さく確かな鼓動が跳ねた。
§
幼稚園の教室には、もうほとんどの子供が残っていなかった。
夕方の光が窓から差し込み、床に長い影を落としている。
教室で、あなたは一人、膝にカバンを乗せて待っている。
待っているだけなのに、胸が苦しくなる。
すると、教室の扉が開き、先生がやって来た。
「未星ちゃん、パパね、お仕事で少し遅れるって」
先生がそう言って、申し訳なさそうにしながら、元気付けるように微笑むと、未星は無表情を変えずに言った。
「うん、仕方ないよ」
気持ちを飲み込むように、未星は言うから、先生は少し同情した表情を浮かべる。けどすぐに微笑んで「えらいね」と頭を撫でてくれる。
けれど未星は表情を変えなかった。きっと、あなたはそれを偉い事だとは思っていない。そうするのが当たり前だと思っているのかもしれない。本当は遅いよ、と言っていいのに、あなたはパパを気遣い、グッと堪える。
パパのお迎えが来るまで、先生が未星と一緒にお絵かきをして時間を過ごす。でもあなたは浮かない表情でペンを走らせる。その背中は小さく丸まって、寂しい。
それでもあなたは、ジッと堪えるように、静かに迎えを待った。
そんなあなたに、私はどうする事も出来ない。
でもせめて、あなたに言いたい。呼んであげたい。
この気持ちが届くといいと、願うような気持ちで、名前を呼ぶ。
「――未星」
するとあなたはパッと振り返り、星空のような明るい表情で言った。
「――ママ!」
§
「ママ、遅いよ!」
門の前で待っていた娘が、仁王立ちで私を待ち構える。
「ごめんごめん、ちょっとお仕事が長引いちゃって」
私は足早に娘の星来の元へ歩み寄り、手を握る。するとその手は温かくて、柔らかい。
「でも、ちゃんと待ってたよ」
「うん、えらいね」
私は素直にそう言うと、星来は得意げに笑った。
二人で家路に就くと、私は何気なく空を見上げた。見上げた先には深い青が満ち、雲が波の飛沫のように散って、夕日の色を静かに沖へと追いやっていた。
すると隣で無邪気な声が聞こえる。
「ママぁ! ソラ! お星様がいっぱい!」
冬の空は空気が薄く、星が綺麗に映る。
「ママ、どれがシリアスでペテンシでプロミスだっけ?」
「うん、全部違う」
星来が言っているのはシリウス、ペテルギウス、プロキオンだ。
冬の大三角。
「ほらあれ、ひときわ輝いて見える白い光がシリウスで、その上にオレンジっぽく光ってるのがペテルギウス。で、左の強い光がプロキオン。その三つの星を線で結んだのが冬の大三角だよ」
「そうそう、それそれ。ホントは知ってたけど、ママの事ためしたの。よく言えたね?」
嘘吐け。
私は内心でそう思いつつ、「そっかそっか」と相槌を打った。
すると星来はしみじみと言う。
「ママは星はかせだねぇ」
それは懐かしい言葉の響きがあった。
その昔、そんな事言ったっけな。
ふと思い出して、私は笑みが溢れる。
「昔、教えてもらったからね」
ずっと昔。私が小学生だった頃、星が好きな男の子に教えてもらった。星の名前や、星座の物語を。
「その人ってパパ?」
星来は気になってそう訊ねるから、私はニッコリ笑って言う。
「あたり」
まさか真君とここまで長い付き合いになるなんて。人生分からないものだ。
私はしみじみ思っていると、不意に星来が歌を歌い始める。
「きーらきらーひーかるー、よーぞらのーほしよー」
きらきら星だ。
たどたどしい声で、星来は歌を続ける。
まばたきしては、みんなをみてる。
その一節を聞いた時、胸の奥がキュッと締め付けられた。
見ている、誰かが。夜空の上で。
私はもう一度、顔を上げて星空を眺める。
小学生の時、私は母の言葉を信じてママの星を探した。けれどあれは、母の優しい嘘で、本当は夜空のどこにもいない。
けれどあれは、ただの嘘じゃなかった。
母親になって気付いた。
母親のお腹の中には、水があり、温度があり、命があった。それは子供を包み、守り、育てる小さな世界。小さな星だった。
ママは星になるのではなく、星だったのだ。母親という星。
二十年越しに母の言葉が、私の中で意味を結んだ。
そして私は、もう一つ解釈する。
もし母親のお腹が惑星なのだとしたら、私たちが住んでるこの地球も、誰かのお腹の中なのかもしれない。
死んだら天に昇る。
それは終わりではなく、産道をくぐる事なのかもしれない。
そしてまた、生まれてくる。
もしかしたら母は、子として生まれ直し、また私を産む準備をして待っているかもしれない。
そう思うと、夜空のどこかで母がいるような気がした。私の事を見守ってくれているような気がした。
私は早くに母を亡くしたけれど、それでも私は母の娘でよかったと思う。
だって、母がいなければ私はいないし、そして娘もいない。
星来を持って分かるけれど、我が子は可愛い。何度生まれ変わっても、私はこの子を産みたい。
きっと、母もそうだろう。
だから私は、死んだら母の星へ向かい、またあなたの娘として生まれてもいい。何度でも。
そう思える今がある。それは母がくれたもの。大切で、かけがえのないもの。
娘の手を握りながら、私も一緒に歌う。
きらきらひかる、おそらのほしよ。 みんなのうたが、とどくといいな。 届くといい。そして繋がるといい。星と星を繋ぎ合わせ、形を作る。家族という名の星座で、永遠に私たちは繋がり続ける。
マザー・プラネット 大いなる凡人 @shido0742
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