第3話 「花音?」
気をつけながら電車で彼の住む街へと移動した。彼に助言を貰ってから、サングラスをかけて動くようになっていた。見える数が減るわけではないのだが、多少は気がまぎれるし、目が合ってしまっても誤魔化せることが増えた気がする。彼の言葉通りにしてよかった、と思っている。
一体どんな場所に辿り着くのだろう、とドキドキしながら探していたのだが、まず見えたのは閑静な住宅街でなんだか拍子抜けした。例えば人里離れたところにある怪しい施設だとか、そういう場所だったらどうしようと思っていたのだ。
なにせ、名刺に書いてあるこの文字が気になってしかたがない。
「月乃庭、管理人って何だろう……」
頭に思い浮かぶは怪しい集団の姿ばかり。もしそういう系統のお誘いだったら、ちゃんと断って帰れるだろうか。でも、竜崎さんがあの線路で何かを感じ取ったのは本当みたいだし……。
困ったままスマホを片手に目的の場所をついに見つけ、緊張しながら近づいてみる。そこにあったのは、少し大きめの一軒家があった。
外壁はアイボリーの漆喰で、柔らかで穏やかな雰囲気を醸し出している。屋根はオレンジ色に近い茶色で、波打つようにゆるやかなカーブを描いており、これまた温かな印象だ。玄関ドアは明るい色をした木製で、訪問者を歓迎しているように感じさせる。足元には小さなプランターがあり、パンジーが咲いていた。
周りの家とは少しテイストが違う……確かこういうのって、ナチュラルフレンチっていうんだっけ。
可愛らしい外観につい見惚れてしまった。想像していたのとあまりに違う。ここにあの人がいるというのか。
表札を見てみると、竜崎と書かれていたので間違いない。
「もしかして自宅? でも月乃庭って何……?」
玄関の前でうろうろと怪しく動き回ってしまう。しかしここまで来ておいて、帰るわけにいはいかない。私は決意し、インターホンに手を伸ばした。
「あーーっ。水やり俺だったあ! 忘れてたー!」
押す直前、そんな賑やかな声がして玄関から一人の男性が飛び出してきた。びくっと反応し、伸ばしていた手を引っ込める。彼は立ち尽くしている私に驚いた顔をし、きょとんとした。
同い年くらいだろうか? 短髪で栗色の髪をした男性は、やや吊り目のすっきりした顔で、スポーツをしていそうな爽やかさがあった。私はサングラスっを取り、慌てて頭を下げる。
「きゅ、急にすみません!」
「あ、いえ……どちら様?」
「あの、竜崎さんっていう方がいらっしゃいませんか? ちょっとお会いできれば、と思って……」
私が竜崎さんの名前を出した途端、目の前の彼は一瞬で表情をこわばらせた。元々少し上がり気味な目じりをさらに吊り上げ、私を睨むように威嚇する。その表情の変化に、私はついたじろいだ。
「え、なに? 誰ですかあんた。竜崎さんに会いに来たの?」
「あ、あの、そうなんですが、アポはとってなくて……」
「あーやっぱりね。そんな暇ないんだわ、帰ってもらえる? 急に来ても迷惑だよ」
「でも……」
「竜崎さんは会わない。帰った帰った」
まるでハエを払うかのように、手をしっしっと払った彼は、私の存在を無視してパンジーに水をあげ始める。間違いなく歓迎されていないことがわかり、私は涙目になってしまった。
もう彼ぐらいしか頼れる人もいないのに……。
でもこれ以上ごねる勇気もなく、私は俯いて去ろうとする。するとその時、玄関の扉が開く音がした。
「何事?」
聞き覚えのある落ち着いた声――はっとして振り返ると、やはり竜崎さんが立っていたのだ。相変わらず無造作な髪をぼりぼりと搔いて揺らし、どこか眠そうな顔で立っていた。全身真っ黒なスウェットを着ている。
「竜崎さん!」
私がわっと笑顔になった途端、水やりをしていた男性がばっと竜崎さんを庇うようにして私の前に立ちはだかる。私はぽかんと彼を見上げた。
「竜崎さん! なんかこの女、急に竜崎さんを訪ねてきたんです! またどっかから沸いて出た女ですよきっと!」
「あ、あの……先日名刺を頂いた者です!」
私は慌ててカバンから貰った名刺を取りだし、二人に見せる。竜崎さんはじいっとそれを眺めて、何かを考えるように唸った後、ああ、と小さく声を漏らした。
「思い出した。線路に身投げしようとしてた人か」
竜崎さんのセリフに、男性はぎょっとしたように私を見た。
「身投げ!?」
「あ、あの、色々事情がありまして……竜崎さんに助けて頂いて、その時名刺を頂いたんです」
「あ……あーそういうこと!? なるほどね。だったら最初から言えよ」
「す、すみません……」
言う隙を与えてくれなかったのはそっちじゃないか、と言いたかったけれど飲み込んだ。私たちの様子を黙って見ていた竜崎さんは、一つあくびをした後、私に言う。
「入って」
「あ……は、はい!」
私は誘われるがまま、この可愛らしいお家に足を踏み入れてしまっていた。あれだけ警戒していたのに簡単に中に入ってしまったのは、よっぽど自分が切羽詰まっていたからだと思う。
中は日当たりがよく、外と同じように明るい家だった。
白っぽい木材を基調とした家具が並んでいる。大きなダイニングテーブルには椅子が六脚。茶色のソファもかなりの大きさで、この家に住んでいる人は大家族なのだろうか、と思った。少なくとも、私の実家のものよりはるかに大きい。
どれもお洒落で可愛らしく、女性が好きなデザインだと思った。
「座って」
竜崎さんに促され、私はダイニングテーブルに腰かけ、彼は正面に座った。少しして、もう一人の男性が私たちにコーヒーを持ってきてくれる。
「あ、すみません……!」
「竜崎さんさ、こういう外見だから変な女が自宅を調べて急に来たりすんの。後つけてくるとかさ。てっきり、そういう類なのかと思ったよ」
「なるほど……」
男性が困ったように言ったので納得した。竜崎さんは確かに、高身長でものすごく顔が綺麗だ。初めて会った時は他のことに気を取られていたのだが、こんなに綺麗な人と向かい合って話すのは初めてだ、と今さら思った。
私にはまるでわからない苦悩だが、ストーカーとかしつこい人とか、そういうのがいるんだろう。
「私はそういうのじゃなくて……あの、お会いした時も少し話したんですが、ここ最近突然おかしなものが見えるようになりまして。いろいろ対策をしたのですが、どうにもならず。藁にもすがる思いで、竜崎さんの元へ」
そこで、これまでの流れを全て説明した。二十五になってから突然能力が開花し、家でも職場でも心が休まらず、仕事は休職中だということ。あらゆる場所に助けを求めても解決できず、もはやお手上げだということ。竜崎さんはずっと無言で、コーヒーを啜りながら私の話を聞いてくれていた。
出されたコーヒーには手も付けず、私は一気にすべてを話した。話し終えた頃には、コーヒーはすっかり冷めてしまっていた。喉を潤すためにようやくコーヒーを頂く。すると黙っていた竜崎さんが口を開く。
「言ったけど、僕はこんな大人になってから能力が目覚める人なんて初めて会ったんだ。普通はみんな生まれつきだからね……何か原因がある可能性は高い」
「原因?」
「心当たりない? 見えるようになった日の前に、おかしなこと。心霊スポットに行ったとか、そういうことでもいい」
「全くないです、本当に。私元々怖がりなんです。怖い話も苦手だし、こっくりさんとかもやったことないし……何も思いつきません」
「うーん……」
竜崎さんは考えるように黙り込んだので沈黙が流れる。少し気まずく思った私は、話題を変えてみる。
「あの、この月乃庭っていうのは……」
答えたのは、竜崎さんの隣に座るもう一人の男性だ。
「ああ、ここの家の名前。ルームシェアしてるんだ」
「あ、それで管理人って……」
「ただし住民は普通の人間じゃないけど。あんたと同じ見える人」
「え!?」
驚きの声を上げてしまった。竜崎さんだけではなく、この人も同じ能力を持っているだなんて!
「そ、そうなんですか? 私、今まで見える人なんて会ったことなくて……」
「そらそうだろうねえ。普通、『私見えます』なんて言わないから。おかしな人間として見られるだけだからな」
「……そうですね。私も、誰にも言えていません……」
親にすらどういおうか迷っていたくらいだ。友達にだって相談できていない。それぐらい、自分の見えている世界は信じられないものなのだ。
でも、竜崎さんとこの人も見えるだなんて。それだけで、心が救われる気がする。
今度は竜崎さんが言う。
「ここにいる人間は霊が見える。だからそれを活かしていろんな仕事をしてるんだ。いわゆる、心霊現象の調査だね。君って、話によると相手の存在が随分はっきり見えるみたいだね?」
「は、はい。生きてる人と同じぐらいはっきり見えます」
「この能力は個人差が大きくてね。例えば僕は、そこに何かいるのを感じ取ることはできても、姿までは見えないんだ」
「そうなんですか!? あ、そういえば最初に、見えてないって言ってた……」
「祐樹もそう」
男性は祐樹という名前らしい。
「影で見えたり、その部分が歪んで見えたりするタイプなんだ。君みたいにはっきり見えるタイプは、実はあまり多くなかったりする。ここにいるメンバーはそれぞれ自分の強みを使って調査して、仕事にしてる。それがこの家に住む条件でもあるんだ」
なるほど、つまりは仕事仲間であり、ルームシェア仲間ということか。一体どんな仕事内容なのかはわからないが、同じものが見える同士一緒にいられる、という部分は理想的だと思った。
私はテーブルの下で拳を握りしめる。すぐそばに同士がいるというだけで羨ましくてたまらない。怖い思いをしたら気持ちがわかってもらえる。もしかしたら、能力を消すことはできなくても、いろいろ困ったときの対応などを教えてもらえるかも。現に、竜崎さんに言われたようにサングラスをかけたのはいい方法だった。
いいな……ルームシェア……。
「……あ、あの、ここは部屋が余っていたりしませんか……?」
私は恐る恐る尋ねた。すると祐樹さんがきっと目を吊り上げる。
「何? もしかして住みたいって言いたいの? やっぱり竜崎さん狙いなんじゃねーの!?」
「ち、違います! 単に、同じ能力の人と一緒にいられたら心強いなって思ったんです……! 今のアパートじゃ家の中まで霊が入ってきて気が休まらないし、それは実家に戻ってもそうなのかなって。もし可能なら、ここの仲間に入りたいと思うのは当然じゃないですか……! 決して下心なんてありません! これまでそういう女性がいたのかもしれませんが、一緒にしないでください。私は今! ほんっとうに! 悩んでいるんです!!」
私は声を大きくしてそう言ってしまった。二人は驚いたように目を丸くする。
だって、そうじゃないか。これから一体どうやって生きていこうか悩んでいるところに、同じ境遇の人たちと出会った。その仲間に入りたいと思うのは至極真っ当な考えだろう。やけに祐樹さんは私を疑ってきているが、こっちはそれどころじゃないのだ。
眠れなくて怖くて辛くて、とにかく何かにしがみつきたいだけなのに。
少しして、竜崎さんが静かに言う。
「まあ、確かに名刺を渡したのは僕だからね。祐樹、ちょっと失礼だよ」
「……うっす」
祐樹さんはしょんぼりと小さくなった。これまで見ても、二人のパワーバランスは明らかだ。祐樹さんは竜崎さんに頭が上がらないらしい。
竜崎さんは私をまっすぐ見た。
「部屋は空いてる」
「本当ですか!?」
「ただ、すぐに入居の許可は下ろせない。こちらの事情も分かってほしい。言ったように、ここはただのルームシェアではなく、特殊な仕事仲間でもある。あまり知らない人をむやみに入れるのは難しいんだ」
「し、知らないというなら知ってください! あ、そういえばまだ私の名前を……安藤花音です! 二十五歳、お酒は強いです。えーと、料理はそこそこします! 地元は……」
「花音?」
私の名前を聞いた途端、竜崎さんが食いついたように聞き返して目を見開いた。急にそんな反応をされたのでこちらも驚いてしまう。祐樹さんが、慌てた様子で竜崎さんを止める。
「竜崎さん! 名前に反応しないでください、だめですだめ! そんな簡単に許しちゃ……」
「花音か。いい名前だね。まあ、お試しで少しの間住んでみてもいい」
先ほどとはまるで答えが変わってしまった。私はきょとんとし、祐樹さんは頭を抱えて俯いた。なんで急に許可が下りたんだろう?
「い、いいんですか?」
「僕たち、もしくは君、どちらかでも無理だと思ったら終わり。そういうことで」
竜崎さんは話が終わりとばかりに立ち上がり、空になったマグカップを持ってキッチンへ入ってしまった。残されたのは私と祐樹さんで、気まずい沈黙が流れる。私は入居を許可されて舞い上がりたい気持ちだが、明らかに祐樹さんは反対している。
とりあえず頭を下げた。
「あ、あの祐樹さん。急に来てこんなことになって申し訳ありません。私、本当に困ってて……ずうずうしいと分かってはいるんですが、あの」
「あーいや、別にあんたが悪いわけじゃない。あんただから反対してたってわけじゃないんだ。素性もよくわからない人間と一緒に暮らすってなると、誰だって慎重になるっしょ」
「た、確かにその通りです。あ、一応身分証明書をお見せしておきます!」
「はいはい」
祐樹さんはちょっと近寄りがたいしやけに敵意を感じていたけれど、彼の主張を聞くと当然の気持ちだと思ったので、嫌な気はしなかった。むしろ、少しは私をフォローしようとしてくれる様子がうかがえる。
彼は私の身分証をさらりと見ると返してくる。そんな私たちに竜崎さんが声を掛けた。
「祐樹、いろいろ説明しておいて。僕もうちょっと寝てくるから」
「あ、はい!」
「花音はまた後でもう一度ゆっくり話そう」
「はい」
さらりと花音、と呼ばれたことになんだかドキッとしてしまった。竜崎さんって少し変わった雰囲気を持った人だなあと思う。いつも落ち着いて淡々としているし、距離感もイマイチわからないし……。
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