新宿No.1ホストが異世界行ったらド醜悪ゴブリンだったけど、気遣いと話術でがんばります。
冥府ドリアン
第1話:ホスト、異世界でゴブリンとして落つ
鏡の中の俺は、今日も完璧だった。
セットしたばかりの銀髪を指で梳きながら、軽くウィンクしてみせる。
(よし。今日も”指名本数No.1・歌武鬼町の怪物”の出来上がりってわけ)
ここは新宿歌武鬼町、ホストクラブ「All Things」。
その中でナンバー1の座に――もう何年も、俺は君臨し続けていた。
「カイトさまぁ~♡ 今日も同伴ありがとう~」
腕に絡みついてくる客の女は、どこにでもいる港区系量産型。でもそこに”特別感”を見せてやるのが、No.1ホストの仕事だ。
「ん? 今日のドレス、新作でしょ。肩のライン、いつもより綺麗に見える」
「え、わかる!? カイトくんほんと見る目ある~!」
女の目が一気に潤む。
こういう時は、わずかに距離を詰める。手を重ねる。でも、抱き寄せはしない。
そして心にこっそり”置き土産”をする。
俺は女の耳元で囁いた。
「ワインとか、香水とか……本気でやる人って、”鼻”が仕事するんだよ」
「え?」
突然の言葉に女は戸惑い、文脈を探す。
目くばせをすると、察したように酒を頼んだ。
(残念、そうじゃない)
これは俺以外誰も知らないことだが、俺は客全員のカルテをつけている。
この女に向いている仕事は”香りを扱う仕事”。エロオヤジから金をせしめることじゃない。
俺は席を立ちあがった。
「えっゴメン、私なんかした?」
「今日さ、帰るとき街の匂い、ちょっと意識してみ」
「雨上がりとか、タクシーの中とか」
「”あ、これ嫌い””これは落ち着く”って思えたら、それで十分」
女が目をきょろきょろさせて、言葉の意味を繋げようとしている。
(そう、それでいい)
最後に、いつもの軽い調子で言う。
「向いてることってさ、夢とか目標より先に、先に体が知ってる」
「お前が今頼んだファランギーナ、センスいいよ」
俺は女に手を振った。
◇◇◇
――白い壁。鉄の二段ベッド。
カーテンもない、殺風景な「施設」。
親はいない。物心ついたときには、もう施設にいた。
名前だけ与えられて、「佐藤海斗」という戸籍上の存在になった。
あの施設で、唯一存在した”心の拠り所”は、同じ施設にいた幼馴染だった。
無知で無力だった当時の自分。
彼女が夜な夜な寮長に腹を蹴られていたのを知りながら、怖くて止めに入れなかった愚かで罪深い自分……。
部屋の中央にぶら下がった、彼女の足が今でも鮮明に脳裏にこびりついている。
「守れなかった」って記憶だけが、胸の底にずっと刺さったままだ。
あの時俺は、決めたのだ。
どんな状況に置かれようと、もう二度と、目の前の物事を放ってはおかない。
確定した過去は変えられないが、未来なら変えられる。
◇◇◇
その日の営業も、いつも通り大盛況で終えた。
シャンパン三本、タワー一基、お姫様抱っこ写真三回。
そして俺が関わった客には全員、こっそり”置き土産”をした。
同僚がテーブルで突っ伏している脇で、カルテに客たちの進捗を打つ。
最近来なくなった客のSNSを裏垢でチェックして回ると、太客だった社長の女が、潰れかけていた会社が立て直せて嬉しいと日記を書いていた。
よかった。俺が提案した新商品、うまくいったらしい。
少し気分が軽くなって店を出ると、歌武鬼町のネオンはうっすらと色を失い、空が白み始めていた。
「ふぁー……さみぃ」
ジャケットの襟を立てながら、裏路地を歩く。
キャッチの兄ちゃんも、タクシーも、さすがにこの時間は少ない。
足元から、かすかな嗚咽が聞こえた。
「……ん?」
自販機の脇で、膝を抱えた小さな影が震えている。
「お前……」
濡れたボロ布みたいな上着を羽織った女の子が、こちらを見上げる。
泣きすぎたのか、目は赤く腫れて、鼻水も拭かれていない。
それでも、必死に声を殺していた。
「――待ってろ、って言われたのかよ」
しゃがみ込み、目線を合わせると、女の子は小さくうなずいた。
「ママが……すぐ戻るって」
その言葉に、胸の奥がひくりと痛んだ。
ガリガリに痩せた手首。
寒さに耐えるように、ぎゅっと握られた指。
(……やめろよ)
昔、施設の裏口で泣いていたアイツと重なる。
誕生日。
クズ母親に「迎えに来るね」って言われて。
夜が明けるまで待っていたあの朝。
「……なぁ」
声をかけようとして、言葉が見つからない。
でも、身体は勝手に動いていた。
自分のジャケットを脱ぎ、女の子の肩にかける。
「寒いだろ」
コンビニに向かう。
温かいおでんと、紙コップのホットミルク。
路地裏に戻ると、女の子は黙ってそれを受け取り、少しずつ口にした。
時々、不安そうにこちらを見る。
「……ったく」
スマホを見る。
始発が動き出す時間だった。
(一回、家に連れて帰るか……警察か、児相か……)
そのときだった。
女の子が、ふいっと立ち上がった。
「……ママ!」
「え?」
振り返った先、大通りの向こう。
誰かを見つけたように、女の子は走り出す。
「あ、おい! 待てって!」
小さな身体が、路地を抜け、車道へ。
その方向から、トラックのエンジン音。
嫌な予感が、背筋を貫く。
「止まれ!!」
全力で駆け出す。
視界の先で、女の子が一歩、車道に踏み出した。
ヘッドライトが、白く世界を塗りつぶす。
「あ――」
考えるより先に、身体が動いていた。
女の子を抱きしめるように飛び込んで――
冷たいアスファルトの感触も、
クラクションの音も、
何もかもが、そこで途切れた。
◇◇◇
次に目を開けたとき、そこは真っ暗だった。
(……あれ?)
まず、匂いが違う。
酒と排気ガスとタバコじゃない。湿った土と、草と、水の匂い。
仰向けのまま、手を伸ばす。
指先に触れたのは、コンクリートじゃなく、柔らかい土だった。
「どこだ、ここ……?」
身体を起こす。
その瞬間、視界がぐにゃりと違和感。
目線が、低い。
ビルもネオンもなく、代わりに巨大な木々が空を覆っている。
ジャケットもシャツもなく、かわりに――小汚い布切れみたいなものが腹に巻かれていた。
「……は?」
何が起きたのかさっぱり分からない。
「う……っく」
状況を把握する前に、耳に飛び込んできたのは、かすかなうめき声だった。
女の声。
反射的にそちらを見る。
――倒れていた。
銀糸みたいな髪が泥にまみれ、尖った耳のついた女が、血だまりの中に横たわっている。
(コスプレ? 撮影? いや、そんなレベルじゃ――)
腹部には深い裂傷。服は破れ、肌が露出している。
このまま放っておいたらまずいと言うのだけは分かった。
「おい、大丈夫か!」
近づこうとした瞬間、その女がガバッと顔を上げた。
「く、来るな……! 化け物……っ、犯される!!」
「は?」
あまりにストレートな言葉に、思わず足が止まる。
「ま、待て。俺は別にそういうんじゃ――」
「近寄るなぁぁぁぁぁ!!ゴブリンめ!!!」
女は涙目で、石ころを掴んでこちらに投げつけてくる。
当たっても痛くはないが、その怯え方は尋常じゃなかった。
(ゴブリン? いやいやいや、ちょっと待て。俺今まで、初対面の女に悲鳴あげられたことなんて――)
そこまで考えて、ふと違和感に気づく。
――声が、違う。
自分の口から出ている声が、聞き慣れた「ホスト声」じゃない。
もっと濁って、低くて、ねばついた感じ。
「……おいおい」
胸騒ぎがして、ふらふらと近くの水辺に向かう。
小さな池のような水面が、月光を映して揺れていた。
「なんかのドッキリだよな? なぁ?」
半笑いで身を乗り出し、水面を覗き込む。
そこに映っていたのは――
頭頂部が見事に禿げ上がり、残った髪も短く散らかって、脂で光った頭皮がのぞく。
鼻は潰れ、耳はちぎれたみたいにギザギザ。
黄ばんだ牙が口から飛び出し、濁った小さな目がこちらを見返していた。
そして眼下にはでっぷりと出っ張った下腹。
ゆっくりとつまむと、確かに腹がつままれた感覚がある。
「…………」
知らない男。
いや、男と呼んでいいのかどうかも怪しい。
「……誰だよ、これ」
呟いても、水面の中のそれも同じタイミングで口を動かす。
「え、ちょっと待て。嘘だろ」
頬をつねろうとした指は、緑色でぶよぶよしていた。
爪は黒く、短く太い。
指先から手首、腕、腹。
全部、見たこともないくらい醜く、たるんでいて、脂ぎっていた。
「…………」
(お れ か よ)
遅れて、理解が追いつく。
俺は、トラックにひかれて――死んだ。
そして今、なぜかこんなところで、ド醜悪ゴブリンとして立っているらしい。
背後から、さっきの女のかすかな声が聞こえた。
「お願い……来ないで……殺される……」
振り返る。
尖った耳の女は、まだ怯えきった目で俺を睨んでいた。
このまま放っておけば、死んでしまうかもしれない。
どんな状況に置かれようと、もう二度と、目の前の物事を放ってはおかない。
でも、近づけば悲鳴をあげられる。石を投げられる。化け物扱いされる。
(……はは。最悪だな)
No.1ホスト、歌武鬼町の怪物・カイト。
どんな難しい女でも落としてきた、この俺が。
「……いいぜ。やってやろうじゃねぇか」
思わず、口元が歪む。ド醜悪なゴブリンの顔で不敵に笑う。
俺は女のもとへ一歩踏み出した。
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