夜明けの異邦人
古橋陽
第1話
伝説の魔人のその最期について、
魔人についての各々の意見を披露するうちに、白熱した議論が殴り合いへと変わっていた、なんてこともあるというが、アコウにはそんなことに真剣になる者たちの気が知れなかった。
魔人とはあくまで伝説――有り体にいえば〝嘘〟なのだから、議論の種としていかに馬鹿げた嘘を思いついたか、自分はどの嘘が気に入ったかと、そうして盛り上がればいいだけの話なのだ。
そもそも魔人が死んだ、という話をアコウは聞いたことがない。ならば、最期という言葉も適当ではないだろう。
アコウの唇の片端が吊り上がった。
誰が考えたのか知らないが、実にうまいやり方だと思う。
かつて存在したけれど、今はもういない。もういないけれど、死んではいない。魔人の伝説の肝要なところは、まさにそこなのだ。
「今はもういない」ということで、魔人がかつて存在したという〝おはなし〟を人々に信じさせることができる。さらに「もういないが死んではいない」ということが、人々に一つの願望を抱かせる。魔人の再臨という隠れた願望を。
そうして魔人は今もなお、峯影にあまねくその霊威を及ぼし続けることになる。
そもそもこの峯影という国自体、どこかの誰かがつくり出した〝おはなし〟なのだ。そんなものを人々はなぜ真面目に信じているのか――。と、そう考えたアコウの顔に苦笑が浮かんだ。
――いや、きっとそういうものなのだ。
皆が嘘だと思っていることを、皆で信じているのが国家というものなのだから。
国だの民族だのというのはそもそも幻想なのだ。
国の神話として、魔人というより大きな嘘を採用したのが何者なのかは知らないが、そいつはよほど頭が切れるのか、さもなければ相当な変わり者だったに違いない。
しかしよくわかっていた。伝説の魔人という〝おはなし〟がきわめて有効に機能するということを。国と民衆とを強く結びつける
――そう、きっとそういうものなのだ。
誰かがつくった〝おはなし〟を遠い昔からそこに存在している事実と「信じて」生きていくしかない。人間というのはきっとそういう生き物なのだろう。
ただ人々が魔人の伝説を信じる理由もわからなくはない。
〝神器〟の存在である。
龍刀・蛇環という名のその剣と環は、一般には玉剣・玉環と呼ばれていて、魔人がその身に帯びていたものだとされている。魔人という嘘のためにこんなものまで用意したのだから、まったく周到な話である。
いったいどんな仕掛けが施してあるのか、玉剣は鞘から抜くことができず、玉環は見えない膜でも張ってあるかのように、中に何も通さない。つまり実用には適さない飾りのようなもので、持っていても何の意味もないものである。
とはいえ、それは卑しい者にとっての話で、高貴な人間となれば、それを持つ意味も変わってくる。
〝神器〟は、八家と呼ばれる有力貴族が持ち回りで管理しているもので、本来ならば現在
それがなぜこの
親と子の間で引き継がれるものの中に、執着というものが含まれるのだとすれば、ダイゼンは正しく父親であるタンザンの執着を引き継いだのだといえた。
十五年ほど前、前紫翠国主であったタンザンが突如、自身こそが魔人の正統な後継であり、神器の所有権も己にあると主張した。
この件をきっかけとして、紫翠で大規模な内乱が起こり、乱の鎮圧に手間取る紫翠に、首都や周辺国から救援の兵が入り、何とか乱は収まった。結局、神器の管理を紫翠に移すということで話はまとまったのだった。
紫翠、秀穂、
秀穂の
しかし、社の前に陣取る五十人は、これから戦いに臨むとは思えないほど弛緩している。開いた扉からアコウにも見えているはずなのに、注意する様子もない。
これにはある理由があった。
「エンザ」
アコウは隊士の一人を呼んだ。
「はい」
エンザは目端の利く男で、アコウは何かと重宝していた。
「エンザ、おまえは紫翠から流れてきたそうだが、前のときはどうしていた」
問われたエンザはぽかんとしてアコウを見た。しかしすぐに、以前の紫翠での内乱のことだと察したのだろう。顔を
「……どうって言われても、そのころ自分はほんの餓鬼でしたから。親が死んじまって、ただ生きてくのに精一杯でしたね」
「ひどかったか」
「そりゃあ、もう。村一つ焦土にされちまう、なんてこともありましたからね。――もっとも、そんなのは後から聞いて知ったことですが」
「そんなひどい中で、どうやって生き延びた」
エンザは眉間に
「自分みたいな餓鬼は他にもいましたから。そういう連中で徒党を組んで、盗みかっぱらいをしてなんとか」
そして記憶をたどるように天井を見上げる。
「もうみんな荒れちまってましたから。盗みどころか、殺しまでしたって構わねえなんて言いだす奴もいたし、かと思えば、盗んだものを食わされたからって怒り出す馬鹿正直な奴もいて――」
――まあいろんなのがいましたね、と言ってエンザは軽く笑った。
以前の騒動の教訓を生かして、ということなのか、今回は神器の管理を紫翠に移すことが早々に決定された。
ただし、八家と神器が絡むと話はややこしくなる。それは紫翠によって奪われたという形でなければならない、という条件付きだった。その茶番劇を演じるために、アコウたちはわざわざ出向いて来たのである。隊士たちの弛みの理由はそこにあった。
「しかしなんでこんな面倒なことをするんでしょうね。紫翠の殿様だって八家なわけでしょ。だったら神器の管理を移すってことで済む話だと思うんですが」
エンザの言うとおりだと思う。しかしそう単純にいかないのは、複雑に渦巻く政治的打算が絡んでいるせいだろう。
「まあ、上の連中には上の連中の都合というものがあるんだろうよ」
「まったく厄介な話ですねえ」
アコウは横目でエンザの表情を
実際、厄介な話なのだ。おそらくダイゼンが神器に関して何らかの問題を起こしたときのために、この茶番は書かれたのだろう。もともと話はできているのだから、神器を奪われたことに対しては、お咎めを受けることはないだろう。
ではもしその後に問題が起きた場合はどうなるのか。
そのとき責任を負わされるのが、アコウとこの場にいる隊士たちということになるのなら、これはまったくの貧乏くじである。任務を無事終えたところでなんの手柄にもならないだから。
「あれを手に入れてどうする気なんですかね」
社の中にある簡素な祭壇の上に、神器はのせられていた。目線でそれを指しながら、エンザが言った。
「飾って眺めるためってわけでもないでしょうし、かといって身につけて持ち歩くってわけにもいかないでしょう。ま、剣のほうは腰に吊るしておけばいいでしょうが、環っかのほうは
まったく遠慮がない彼の物言いに、アコウは思わず苦笑いした。そこに関してはアコウも同意見だったが、あまりに明け透けなその物言いに、ちょっとしたいたずら心をおこした。
「八家の人間ならばそんなことをする必要はないだろう」
エンザがはっとしてアコウのことを見る。わざとらしいその言葉に、
「それはそうなのかもしれませんが。……でも前のときだって結局、それでなにかしたって話は聞かなかったですし」
その口ぶりは、彼が八家に関する一つの神話――八家の人間は神器の力を行使することができる――を信じていないことを感じさせた。しかしエンザも、あまり率直にすぎたと思ったらしい。本心を包んだ言い方に変わった。
アコウは、興味がわいて一つ訊いてみた。
「おまえは魔人を信じているか」
その問いにエンザは黙ってしまう。しん、と静まり返った社の中に、山で鳴き交わす鳥や虫の声が、聞こえてきた。
わずかな沈黙のあと、返ってきた答えはアコウの予想とは違ったものだった。
「……信じてるか信じてないかって言われれば、まあ、信じてるっていっていいんでしょうけどね。だけど、ちょっと違うなって思うんですよね。そういうものがいたって言われれば、ただ受け入れちまうんです、俺は。ああそうかって。――信じる信じないってのはまた別の問題っていうか……。いたってんなら、いたでいいじゃないですか。なんでわざわざ信じる信じないって話にしちまうのか、そっちのほうがわかりませんね、俺としては」
それでは神器についてはどう思うかを尋ねてみると、エンザはなぜか故郷の話を始めた。
「俺の故郷の山にはきれいな
――その瞬間、わずかに空気が揺らいだ気がした。
アコウとエンザの目が、かっと見開かれる。
目の前で起きた出来事の衝撃に、
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