銀灰の掠夜彗星(ナイトグレイザー)~「夜」に追いつかれたら即死する世界で、深窓の姫君を拾いました~

@kira_0

第1話 黄昏の落とし物

 世界は、逃げていた。

 何かから?決まっている。「夜」からだ。


 この惑星の自転は、あまりにも遅い。だが、止まっているわけではない。東から昇る太陽は、ゆっくりと、しかし確実に西の地平線へと沈んでいく。日が沈めば、そこは死の世界だ。大気は瞬時に凍結し、気温はマイナス一〇〇度を下回る。あらゆる生命活動を拒絶する、絶対的な漆黒の断絶。それがこの星の「夜」だった。だから人類は大地を捨てた。巨大な星導エンジンを積んだ「都市艦」と呼ばれる鉄の箱船に乗り込み、沈みゆく太陽を追いかけて、永遠に西へ西へと飛び続ける道を選んだのだ。終わりのない、黄昏の逃避行。それが、今の「日常」だった。



 星歴数千年。昼と夜の境界線、薄明の空域――通称『黄昏回廊』。


 茜色と群青色が混じり合う空に、一羽の薄汚れた鳥が浮かんでいた。いや、鳥ではない。全長六メートルほどの、人型機動兵器だ。かつての大戦で使われていた軍用機のジャンクパーツを継ぎ接ぎして作られたその機体は、塗装も剥げ落ち、関節部からはオイルが滲んでいる。機体名は『黒鳶ブラックカイト』。腐肉を漁る鳥の名を冠したその機体は、主人の稼業をよく表していた。


 コクピットの中は、冷蔵庫のように寒かった。


「……チッ。ヒーターの効きが悪くなってやがる」


 操縦席に深く沈み込んだ少年、サクヤは、指先がかじかむのを感じながら悪態をついた。防寒仕様のフライトジャケットを着込んでいるが、隙間風が容赦なく体温を奪っていく。コンソールの隅に置いた缶コーヒーは、開封して五分もしないうちに冷え切っていた。


警告アラート。燃料残量、三〇%。メインタンクの圧力低下を確認。帰投を推奨します』


 スピーカーから流れる無機質な合成音声が、神経を逆撫でする。安物のナビゲーションAIだ。状況判断能力は皆無で、マニュアル通りの警告を繰り返すだけのポンコツ。


「分かってるよ。うるせえな……」


 サクヤはコンソールを指で弾いた。燃料計の針は、赤い危険ゾーンを行ったり来たりしている。帰りの分を残せば、活動限界時間はあと三〇分といったところか。


「今日の収穫はゼロ。このまま帰りゃ、燃料代と弾薬費で完全に赤字だ。……笑えねえ」


 ため息をつくと、白い息が風防キャノピーの内側で曇った。借金取りの顔が脳裏をよぎる。

 『鉄眼』の親父。右目が義眼の、強欲なジャンク屋の店主だ。今日こそは上物を持ち帰ると大見得を切って出てきた手前、手ぶらで帰れば、何を言われるか分かったものではない。最悪の場合、『黒鳶ブラックカイト』のパーツを借金のカタに引っぱがされる可能性すらあった。


 サクヤは空拾いスカベンジャーだ。都市艦から排出された廃棄物、あるいは過去の大戦で撃墜され、雲海を漂う戦艦の残骸から、金目の物を回収して生計を立てる「空のハイエナ」。聞こえは悪いが、立派な技術職だ。動かなくなった機械からまだ使える部品パーツを見抜き、回収し、洗浄して売る。特に、機動兵器の心臓部である『星導石ステラ』が見つかれば、一攫千金も夢ではない。だが、現実は甘くない。めぼしい残骸は、大手のサルベージ業者や、武装した野盗スカイ・パイレーツどもに荒らされた後だ。サクヤのような個人業者が入り込めるのは、誰も見向きもしないような危険な空域か、ゴミ溜めのような場所しかない。


「……場所を変えるか」


 サクヤは操縦桿を倒し、機体を旋回させた。眼下には、雲海が広がっている。その雲の切れ間から、いくつかの浮遊岩礁が顔を出していた。大気中の重力子を帯びた岩石が、磁力によって浮遊しているのだ。岩礁の周囲には、無数の鉄屑が漂っている。ひしゃげた装甲板、半壊したコンテナ、主を失った腕だけのマニピュレーター。まるで鉄の墓場だ。

 ガコン、と機体が揺れた。乱気流だ。『黒鳶ブラックカイト』の機体フレームが、悲鳴のようなきしみ声を上げる。


「おいおい、機嫌直せよ。帰ったら極上のオイルを奢ってやるから」


 サクヤは愛機に語りかけながら、スラスターの出力を微調整する。姿勢制御バランサーのプログラムは、サクヤ自身が書き換えたものだ。廃材の塊であるこの機体を、手足のように動かすには、純正のOSでは話にならない。彼の操縦技術と、機械への深い理解だけが、この空で生き残るための武器だった。

 その時だった。


――キーン……。


 耳鳴りのような音が、サクヤの鼓膜を震わせた。


「……ん?」


 彼は眉をひそめ、ヘッドセットのノイズキャンセリング機能を切った。レーダーを見る。反応はない。サーモグラフィーも真っ青だ。ただの冷たい岩と、死んだ鉄屑しか映っていない。だが、聞こえる。風切り音でも、エンジンの振動音でもない。もっと鋭く、それでいて規則的な、人工的なパルス音。


ピー……ガガッ……SOS……。


 それは、耳で聞いているというよりは、脳の奥底に直接響いてくるような感覚だった。サクヤには、特異な才能があった。『聴覚』だ。彼は、機械が発する微細な駆動音、電子回路を流れる電流のノイズ、そして何より『星導石ステラ』が共鳴する独特の周波数を聞き分けることができた。幼い頃、今は亡き祖父に叩き込まれた技術であり、そして呪いのような才能。


「……なんだ、この信号は」


 サクヤは目を細め、意識を集中させた。普通の通信波ではない。現在、主要な都市艦で使用されているデジタル暗号通信とは、波長がまるで違う。もっと複雑で、高度に暗号化された特殊回線。軍用か、あるいは政府高官専用のVIPバンド。


「……金持ちの船が遭難か?」


 サクヤはゴーグルをずらし、ニヤリと笑った。退屈と寒さで死にかけていた神経が、一気に覚醒する。遭難者が生きていれば救助して謝礼をふんだくる。死体なら装備を剥ぎ取る。どちらに転んでも金になるのが、この仕事のいいところだ。


「AI、音声入力。方位一〇-四、仰角マイナス三〇。雲海の下をスキャンしろ」

『了解。……スキャン中。微弱な熱源反応を検知。データベースに該当なし。未確認物体アンノウンです』

「未確認、ね。最高の響きだ」


 サクヤはスロットルを押し込んだ。『黒鳶ブラックカイト』が翼を広げ、雲海へとダイブする。視界が真っ白な霧に覆われる。水滴がキャノピーに当たり、瞬時に凍りついていく。寒い。高度を下げるにつれ、外気温はさらに下がっていく。雲の下は、太陽の恵みが届きにくい、夜に近い領域だ。


「……ここか」


 雲を抜けた先に、小さな浮遊岩礁があった。直径五〇メートルほどの、いびつな岩塊。その岩肌に、何かが突き刺さっていた。

 真新しい、純白の流線型ポッド。夕日を浴びて輝くその装甲には、傷一つない。明らかに、スラムの連中が使う安物ではない。最新鋭の素材で作られた特注品カスタムメイドだ。


「当たりだ。間違いねえ……こいつは上玉だぞ」


 サクヤの心臓が早鐘を打つ。これだけで、借金を返すどころか、当分の生活費にはなる。


「着陸するぞ。脚部ランディング・ギア展開」


 『黒鳶ブラックカイト』が逆噴射をかけ、岩礁の平らな部分へと降り立つ。ズズン……。重量で岩がきしむ音がした。サクヤは計器を確認する。外気温、マイナス六〇度。生身で外に出れば、数分で肺が凍る世界だ。だが、空拾いスカベンジャーがリスクを恐れていては、飯は食えない。


「……さてと。鬼が出るか、蛇が出るか」


 サクヤは防護マスクを装着し、愛用の星導鶴嘴ピッケルを腰に差した。キャノピー開放。プシュゥゥゥ……。気圧差で耳がツンとする。同時に、刃物のような冷気がコクピット内へなだれ込んできた。


「さっむ……!」


 サクヤは身震いしながら、機体から降りた。ブーツが岩肌を噛む。一歩、また一歩。彼は慎重に、謎のポッドへと近づいていった。

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