不活性化に沈む

あさき のぞみ

第1話 辞令



大学を卒業して、今の会社で働きはじめて5年目を迎えようとしていた。ある日、課長の青山に呼ばれた。


「みゆき、お前の強みはなんだ?」


すぐに答えられなかった。


五年間、この会社で何をしてきたのだろう。営業部で数字を追い、資料を作り、会議に出席してきた。でも、自分の強みと言われると、言葉が喉の奥で固まってしまう。


青山課長は、私の沈黙を待つように少し間を置いてから、続けた。


「長谷川会長が理事長をしている蔵川女子学園に出向するように、と内示が来ているんだが、どうする?」


女子学園。


その言葉が、妙に重たく耳に残った。


私は鏡に映る自分の顔を思い浮かべた。どこから見ても女性にしか見えない顔立ち。華奢な体つき。高校の頃から何度も女子トイレに入ろうとしたと勘違いされ、大学では女子学生に間違えられ、会社でも新入社員の頃は女性社員だと思われていた。


戸籍上は男。それは紛れもない事実だ。


しかし、世界は私をそう見てくれない。


「女子学園、ですか」


私は搾り出すように言った。


「ああ。会長の肝煎りでな、企業との連携を強化したいらしい。お前、几帳面だし、まあ、その……見た目も問題ないだろう」


青山課長は最後の言葉を濁した。その曖昧な配慮が、逆に私の存在の曖昧さを際立たせているようで、息苦しかった。


「考えさせてください」


「明日までに返事をくれ」


課長のデスクを離れ、自分の席に戻る。パソコンの画面には未読メールの通知が並んでいたが、一つも目に入ってこなかった。


スマートフォンを手に取り、何気なくSNSを開く。タイムラインには、誰かの幸せな日常や、誰かの怒りや、誰かの孤独が流れている。


私は何者なのだろう。


男でもない。女でもない。


いや、男なのだ。そう自分に言い聞かせてきた。でも、鏡の中の自分は、その言葉を拒絶しているように見えた。


ふと、大学時代の友人、拓也からのメッセージが目に入った。


『久しぶり。元気? 今度飲もうぜ』


既読をつけずに、画面を閉じた。


拓也は私を「男」として扱ってくれる数少ない存在だった。でもそれは、彼が私の「見た目」を無視して、無理に「男」扱いしてくれているだけなのではないか。そんな疑念が、いつも胸の奥で燻っている。


窓の外を見ると、夕暮れが街を橙色に染めていた。


女子学園への出向。


それは、私にとって何を意味するのだろう。


自分を偽って生きることの延長なのか。


それとも、何か新しい答えを見つける機会なのか。


答えは出ないまま、私はただ、夕焼けに沈んでいく街を見つめ続けていた。​​​​​​​​​​​​​​​​

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る