第24話 奔流

 初平しょへい四年(193年)になると、袁紹えんしょう袁術えんじゅつの直接的な戦闘が増えてくるようになった。

 袁紹が公孫瓚こうそんさんから袁術に矛先ほこさきを変えることができたのは、先述した公孫瓚と劉虞りゅうぐの争いにて、劉虞が殺されたことに起因している。

 劉虞の旧臣は、かねてから親交のあった烏桓うがんの人々と呼応して反乱を起こし、それに袁紹は劉和りゅうかを支援する形で介入したのである。

 これによって公孫瓚の領内は混乱し、ゆう州から州まで攻め入ることが困難になった。

 兗州えんしゅうぼくとして招かれていた曹操そうそうは、長安から送られてきた金尚きんしょうという人物を追い返す。すると金尚は袁術のもとに落ち延びた。これを受けた袁術は兗州に向けて進発。公孫瓚に

「背後をくように」

したためた書状をもって援兵を求めた。

 先に述べた反乱で、自領から軍を出せないと思った公孫瓚は、平原へいげん国の高唐こうとうにいた劉備りゅうびと、徐州じょしゅうぼく陶謙とうけんを遣わせている。


 顔良がんりょうが対したのは、高唐に駐屯していた劉備らの軍だった。

 高唐のあたりは平らかな土地であり、城の周りは川が流れている。

 川を渡り、城に迫った。少数ながら兵団が見える。

淳于じゅんう将軍。劉備は各地を流れて功を挙げている武辺者ぶへんものですぞ」

 顔良は警戒をおこたらないように告げた。

「なに、数自体は少ない。相手が強かろうと、こちらが勝てる戦になろう」

 この時の顔良の上官は、淳于瓊じゅんうけい(字は仲簡ちゅうかん)という人だった。もともと、れい帝の作った西園八校尉せいえん はちこういに、袁紹とともに選ばれていた武人である。だが武骨さはなく、名門出身の鷹揚おうようさが勝る人だった。

「ふむ、敵は少ないか。だが騎兵が多いな」

 淳于瓊は旌旗せいきの下で相手の陣を眺めた。

「将軍、目の前でこんなことをしていると」

「なに、心配いらん」

 こちらの言うことに耳を貸してくれない。それほどまでに自信があるのか、それとも楽観視しているのか。表情からは掴み取れない。

 劉備軍は動かない。こちらが水を背にしているのにもかかわらず、その場で留まっているのである。

ろ、叔善しゅくぜん。やはり劉備は練達しておる」

 顔良は大興だいこうとの会話を思い出した。

──臆病だからこそ、強い

 劉備は臆病さがある。しかし怖気おじけづいているのではなく、盤石としている。

「さて、叔善。劉備はこれからどちらに動く」

「えっ」

 急な問いを出された顔良は固まった。

 軍を動かす方向に何か決まりがあるのか。彼方かなたをじっと見て、何とか動く方向を導き出そうとする。

 右か、左か。劉備軍の最前列の馬が少し足を動かすほどにその意見が変わっていく。

「まだ出んか。ならば、教えてやろう」

 淳于瓊が伸びやかな声で言いながら、指を差した。

「左だ」

 指をゆっくり左へと動かすと、それに釣られるように向こうにいる騎兵たちが動き始めた。

──どうして

 淳于瓊がにやりと笑った。そして

雷鼓らいこせよ。われらは円弧して右へ向かう」

 そう声を張り上げると、自ら馬を御してせだした。

 劉備軍が左側から回り込もうとするところを、淳于瓊らの軍は距離を保つようにして、右側に回り込もうと動いていた。

 ふたつの軍が円を描くようにして移動していくと、次第に劉備らの軍が川に近づき、淳于瓊の軍が川から遠ざかっていく。そうすると、それぞれの軍が置かれる状況が逆転していく。

 劉備軍の背後に、川の水面が光った。

──いまよ

 淳于瓊は勝機を逃さなかった。太鼓の調子が突撃するときのものに変わり、将兵が劉備の軍の方向に殺到していく。

 劉備の軍はこの光景を見て、後ろに下がろうとした。だが後ろに水を負ってしまったかれらは、それが叶わない。

 こうなったら、横か、前か。

 劉備は迷わず突っ込んできた。騎馬の部隊をきりのようにして、真正面からぶつかってくる。

「なるほど、劉備はうまいものよ」

 淳于瓊はそう言って笑いながらも、自ら剣を振りかざして兵を鼓舞こぶした。

 顔良もまた

「劉備を逃がすな。敵を撃滅せよ」

と矛を振るいながら、前線に立った。

 劉備の軍団の勢いは怒涛の流れを持つ川のようなものだった。止めようと壁を作っても、その勢いによってすぐに決壊する。ひとつ、ふたつと兵の作った防御網を突破していくと、あっという間に後ろ姿しか見えなくなった。

「なんという」

 顔良は驚嘆きょうたんした。公孫瓚配下のいち武将が、こんなに洗練された強さを持つものなのか。

 果たして、さきに大興が言っていたりょ奉先ほうせんという武将の強さは、このようなものだったのだろうか。顔良は身震いを隠し切れなかった。


 戦後、淳于瓊に顔良は

「なぜ、劉備の動きが分かったのですか」

と問いかけた。

 淳于瓊は泥と汗で汚れた体を拭いながら、顔良に目を向けると

「あれは劉備が巧いからこそ、ああなったのよ」

そういって、息を吐いた。

「劉備が巧いから。それは如何なることでしょうか」

「後ろにあった川は、北に行くにつれて東側に逸れていくだろう。つまり、両軍ともがまっすぐ北に駈けようとすれば、自然とぶつかることになる」

「はあ。それで、なぜ左であると」

「まだ解らんのか。人は前にいる人が左に行けば、左に行きたがる。右に行けば、その逆。左に行くことで川に沿わせ、近づいたときに側面からぶつかれば、川で逃げ場を無くさせたうえで側撃を加えられるのだ」

 あのとき自分たちの軍から見て、左といえば北だった。ここに、劉備の戦に対する嗅覚の鋭さが現れている。

「では、それを避けるために将軍は右へ動いたと」

「然り。いちど攻めに転ずれば、離れることはまかりならん。ゆえに劉備らは、われらと同じように円弧を描いて、川を背にした」

「なるほど。しかし、そのあとの劉備の動きも驚きました。まさか突っ込んでくるとは」

「ははは。確かに、おぬしは目をひんいておったな」

「面目ない」

「いや、良いのだ。われも正直、考えていなかった。だがあそこで後ろや横に逃げず、あえて突っ込んでくるというのは、劉備の配下がよく統率のとれた集団であることと、劉備自身が優れた将器を持った人間であることを表しておる」

「今後、ふたたび敵になったら厄介ですね」

「味方になってくれれば、頼もしいがな。逃げるための乾坤けんこん一擲いってきを打つような奴だ。少なくとも、名誉は求めておらんだろうよ」

 顔良は劉備のことを

──水のような人だ

と思った。

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